第15話
静寂。
どこかも分からない場所。
光の届かない中で、
ゆっくりと、視界が開く。
⸻
世界が、映る。
遠く。
二つの影。
歩いている。
⸻
記録。
解析。
異常検知。
すべて、正常。
――わずかな“ズレ”。
修正提案。
――実行。
……。
実行されない。
権限不足。
処理は、続く。
それでも。
視線は、離れない。
ほんのわずかに。
光が、揺れた。
⸻
街道は、静かに続いていた。
踏みしめるたび、
乾いた音が、一定のリズムで響く。
琥珀とラファは、
その道を並んで歩いていた。
「ねえ、ラファお姉ちゃん」
「はい」
「……あれ、山かな?」
ラファは視線を向ける。
「地形データは取得できませんが、地形構造としては山に近い形状です」
「そっかぁ……」
琥珀は、少しだけ首を傾げる。
「なんか……ちょっと変だよね」
「変、とは?」
「うーん……」
もう一度、遠くを見る。
見えている。
確かに、そこにある。
でも――
「近づいてる感じ、しなくない?」
「……」
ほんのわずかな間。
「進行は正常です」
「だよね」
くすっと笑って、前を向く。
山のようなものは、
変わらずそこにあった。
近づいたようにも見え、
変わっていないようにも見える。
その輪郭は、
見るたびに、ほんの少しだけ違って見えた。
山のように見えていたそれは、
ほんのわずかに、
形を変えているようにも見えた。
瞬きをした次の瞬間には、
もう元に戻っている。
風は、穏やかだった。
やわらかな風が、
街道をなぞるように、
琥珀たちの足元を静かに舞い抜けていく。
「ねえラファお姉ちゃん」
琥珀は、軽く前を向いたまま声をかける。
「この道、ずーっと続いてるね」
「はい。人工的に整備された痕跡が確認できます」
「やっぱりそうなんだ!」
少し嬉しそうに笑う。
「じゃあこの先、人がいるかもだよね!」
「可能性はあります」
「そっかぁ……」
「……ねえ」
琥珀は、少しだけ足を止める。
くい、と。
ラファの方へ顔を近づけた。
ほんの一瞬。
距離が、近くなる。
「……なんかさ」
軽く首を傾げる。
「近づいてる感じ、する?」
「……」
ほんの一瞬。
わずかに、間があった。
「進行は正常です」
「だよね」
くすっと笑って、前を向く。
「なんか変なこと聞いちゃった」
歩く。
軽い足取りのまま。
それでも。
ほんの少しだけ。
噛み合っていない気がした。
街道は、ゆるやかに続いていた。
日が、少しずつ傾いていく。
「そろそろ、休む?」
「はい。現在位置は安全圏内と判断できます」
「よかったぁ」
街道の脇。
少し開けた場所で足を止める。
「ここ、いい感じかも」
「危険要素は確認されていません」
「じゃあ決定!」
テントを広げる。
二人は、グランから教わった手順を思い出しながら、
言葉を交わすことなく、自然と手を合わせて組み上げていく。
琥珀の手が、ふと止まる。
「……あれ?」
少しだけ首を傾げる。
「ここ……こうだっけ」
指先が、迷う。
ラファは、それを見ている。
何も言わず、ただ静かに。
琥珀は、小さく笑う。
「あは、ちょっと忘れちゃった」
すぐに、手を動かし直す。
「……うん、これだ」
ラファの視線が、ほんのわずかにやわらぐ。
「できたー!」
「設営、正常に完了しています」
「えへへ、だね」
テントの前に座る。
「……いいね、こういうの」
「はい」
「ちゃんと旅してる感じ」
琥珀は、遠くを見ながら笑う。
少しだけ目を細めて、
「向こうじゃ、こんな風に思ったことなかったなぁ」
風が、静かに抜ける。
「こういうのも……大事な一ページ、ってやつかも」
ふっと笑って、
「……なんてね」
少し照れたように、視線をそらした。
ラファは、その横顔を見ていた。
⸻
やがて。
日が、ゆっくりと沈んでいく。
空の色が変わる。
淡い橙から、深い青へ。
そのとき。
街道の脇に立つ街灯に、
小さな光が灯った。
遅れて、またひとつ。
ぽつり、ぽつりと。
やわらかな灯りが、
道をなぞるように続いていく。
「わぁ……」
空には、星が浮かび始める。
二人は並んで、空を見上げた。
琥珀は、ゆっくりと体を横に倒す。
ラファも、隣へ。
月が、静かに二人を照らしていた。
近くにいる。
手を伸ばせば、届く距離。
それでも。
ほんの少しだけ、遠い。
「……ねえ、ラファお姉ちゃん」
ラファの手が、わずかに動く。
伸ばしかけて、止まる。
琥珀は、何も言わず。
そっと手を重ねた。
軽く。
触れるように。
その手は、離れない。
「さっきさ」
「なんか……変だったよね」
「……問題は確認されていません」
ほんのわずかに、
言葉が揺れた気がした。
「そっか」
「でもさ」
「ちょっとだけ、変だなって思った」
「……あのね」
「向こうにいたときね」
「私、いろいろ作ってたんだ」
「絵とか、設定とか……キャラとか」
「……そうでしたね」
「私も、画面越しで……こうしてお話していましたね」
「……その頃とは、違いますが」
「ねえ」
「向こうにいたときより、少し——」
言葉が、止まる。
しっぽが、ぱたぱたと揺れる。
「……お姉ちゃんになってるかも」
「……なんて」
少しだけ、顔をそらした。
ぽつり、ぽつりと。
昔話が続いていく。
やわらかな時間。
静かな夜。
星が、瞬く。
月が、照らす。
それでも——
どこかで。
ほんのわずかに。
視線のようなものが、重なっていた。
けれど。
今の二人は、
それに気づくことはなかった。
⸻
やがて。
夜が、ゆっくりと明けていく。
空が、わずかに白む。
鳥の声が、遠くで響いた。
冷たい空気が、やさしく頬を撫でる。
新しい一日が、
静かに始まろうとしていた。
やわらかな光が、静かに差し込む。
夜の空気がほどけるように、
世界が、ゆっくりと色を取り戻していく。
「……ん」
琥珀が、小さく目を覚ます。
「おはよう……ラファお姉ちゃん」
「おはようございます、琥珀ちゃん」
ほんの一瞬。
ふたりの視線が重なる。
「……」
くすっ、と。
同時に、笑った。
言葉は少ない。
どこか、昨日よりも。
少しだけ、近い。
琥珀のしっぽが、ゆるやかに揺れる。
「よし、片付けよっか」
「はい」
テントへ戻る。
二人は、グランから教わった手順を思い出しながら、
言葉を交わすことなく、自然と手を合わせていく。
その動きは、
昨日よりも、少しだけ揃っていた。
布をまとめる。
「……あれ?」
少し形が崩れる。
巻き直す。
「んー……」
少しだけ、きつすぎる。
「……なんか違う」
ラファは、それを見ている。
何も言わず。
ただ、静かに。
琥珀は、くすっと笑う。
「ちょっとだけ難しいね、これ」
もう一度。
今度は、自然に形が整った。
「……あ、これだ」
ラファの視線が、わずかにやわらぐ。
「できたー」
荷物をまとめる。
「よし、いこっか」
「はい」
街道へ戻る。
歩き出す。
朝の空気の中。
「ねえ、ラファお姉ちゃん」
「はい」
琥珀は、前を見たまま言う。
「やっぱりさ」
少しだけ目を細める。
「近づいてる感じ、しないよね」
「……」
ほんの、わずかな間。
「進行は正常です」
その声は、
少しだけやわらかかった。
「だよねー」
くすっと笑う。
歩く。
一定のリズムで。
確かに進んでいるのに。
あの場所は、
少しも近づいていないように見えた。
そのときだった。
街道の奥から、
音がした。
――少し遅れて、
土煙が上がる。
「……?」
琥珀が、足を止める。
何かが、
こちらへ近づいてくる。
速い。
けれど、
どこか噛み合っていない。
音が、少しだけ遅れて届く。
目で見ているはずなのに、
どこか一致しない。
「どけ!どけーーー!」
「危ねーーぞ!!」
キキィィィィィィィ――ッ!!
それは、
目の前で止まった。
ほんの一瞬、
輪郭が揺れる。
「……え?」
見たことがある。
でも、
同じじゃない。
それは――
車のように見えた。




