↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/35

26. 前線

 村を発ってから、さらに二日が過ぎた。


 街道はとうに途切れ、隊列は岩がちな斜面を縫うようにして進んでいた。吐き出す息が、白く曇っては、風に溶けて消えていく。その白さは、日を追うごとに色濃くなっていた。


 風の音までもが、どこか鋭さを増しているように感じられる。木々の背は低くなり、視界を遮るものが少しずつ減っていく。代わりに、遠く前方にそびえる山の稜線が、否応なく僕らの視界に居座り続けていた。


「もうすぐ、前線基地に着くらしいぜ」


 カイルが先頭の方から戻ってきて、そう報告した。


「前線基地……」


「ああ。今回の遠征のために、急遽組まれた拠点だとよ。物資の集積とか、負傷者の後送とか、そのための場所らしい」


 僕は思わず、ごくりと喉を鳴らした。前線、という言葉の重みが、これまでとは違う緊張感を連れてくる。




 半刻ほど進むと、切り立った崖に囲まれた窪地に、簡素な砦のような施設が見えてきた。丸太を組んだ櫓、幾つも並んだ天幕、忙しなく行き交う人々。ここまでの道中とは、明らかに違う空気が流れている。


 運び込まれた物資の山、忙しなく走り回る伝令、あちこちで交わされる短く鋭いやり取り。これまで歩いてきた牧歌的な街道とは、まるで別世界だった。


「わ、私……足が、竦みそうです」


 シエルが杖を抱きしめながら、そう呟いた。声は小さかったが、隠しようのない怯えが滲んでいた。


「大丈夫。今までと同じだよ」


 僕がそう言うと、シエルは小さく頷いたが、その顔はまだ強張ったままだった。


 基地に足を踏み入れると、セドリックが僕らを手招きした。見れば、他にも幾つかのパーティが、同じように集められている。


「これより前線に立っていただく皆さんには、本来なら景気づけの一つも用意すべきなのでしょうが……生憎、時間があまりありませんので、手短に状況を共有させてください」


 直接、あの魔獣の群れと対峙することになるパーティだけが、ここに集められているらしい。


 案内された天幕の中には、簡易な地図が広げられていた。周囲には、他パーティの代表らしき顔ぶれも集まっている。


「先行させていた偵察部隊から、報告が入りました」


 セドリックの声に、いつものからりとした明るさはなかった。


「山の奥、聖痕とおぼしき地点の周辺に、無数の魔獣が集まっているのが確認されています。数は、少なく見積もっても数十。中には、討伐推奨に該当しない、分類不能の個体も複数」


 分類不能、という言葉に、僕は思わず自分の手のひらを見つめた。固有スキルの「???」と、同じ響き。この現象と、僕の力が、本当に繋がっているのだとしたら――その先に何が待っているのか、僕にはまだ、想像すらできなかった。


 天幕の中に、重い沈黙が落ちた。


「それと……偵察部隊の一部が、未帰還です」


 その一言に、僕は息を呑んだ。周囲の空気が、目に見えて張り詰めていく。


「未帰還って、見捨てるつもりか」


 誰かが低く声を上げた。セドリックは静かに首を振った。


「捜索は継続しています。ですが、これ以上の深入りは、二次被害を招きかねません。判断が難しいところです」


 その正直な物言いに、天幕内はさらに重い空気に包まれた。誰かが小さく舌打ちする音、誰かが深く息を吐く音。それぞれの反応が、静かに交錯していた。


「じゃあ、俺たちは、これからどうすんだ」


 カイルの問いに、セドリックは地図の一点を指差した。


「明日、態勢を整えた上で、本格的な進軍を開始します。今夜は、ここで英気を養ってください。装備の最終確認も、怠らないように」


 その言葉には、これまでのような軽さは、微塵もなかった。




 天幕を出ると、辺りはすっかり夕闇に沈んでいた。篝火のあちこちで、他パーティの面々が、静かに武具の手入れをしている。誰もが一様に、口数少なく、それぞれの覚悟と向き合っているようだった。


「――なあ」


 カイルが、ぽつりと口を開いた。


「明日、何が待ってるにしても。四人で、絶対に生き残るぞ」


「うん」


「わ、私も……頑張ります」


「言われなくても」


 ルミナはそう返したが、声の端に、隠しきれない硬さがあった。


 カイルが拳を軽く握って、僕の前に突き出してくる。こつん、といつもの音が響いた。それから、シエルとルミナにも同じように拳を向ける。二人とも、少しはにかみながら、それに応えた。四人分の小さな音が、夕闇の中に重なって消えていく。




「――お前ら、まだ起きてたか」


 声のした方を振り返ると、篝火の陰からガイウスが歩み寄ってくるところだった。後方警戒の任務も、ここまで来れば一区切りらしい。


「ガイウスさんも、こっちに?」


「ああ。基地に入っちまえば、後方も前方もあるかよ。今夜くらいは、皆同じ空の下だ」


 ガイウスはそう言うと、僕らの顔を順に見渡した。


「明日の話は、もう聞いたか」


「はい。数十体の魔獣に、分類不能の個体も、と」


「ああ。楽な仕事じゃねえ」


 ガイウスの声は低く、それでいて落ち着いていた。


「だが、お前らはここまで、よくやってきた。あとは、それぞれのやるべきことをやるだけだ」


「ガイウスさんは、怖くないんですか」


 僕が思わずそう尋ねると、ガイウスは一瞬だけ黙り、それから低く笑った。


「怖くないわけ、あるかよ。何年やってても、こればっかりは慣れねえもんだ」


 その正直な答えに、僕は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。


「だが、怖いからこそ、油断しない。それだけだ」


 ガイウスはそう言って、僕らの肩を順に軽く叩いた。武骨で、温かい手だった。


「ガイウスさんは、どうしてこの仕事を続けてるんですか。危ない目にも、何度も遭ってきたはずなのに」


 僕がそう尋ねると、ガイウスは少しの間、篝火を見つめていた。


「……昔、世話になった奴がいてな。もう、この世にはいないが」


 それだけ言うと、ガイウスは小さく笑った。それ以上は語らなかったが、その横顔には、これまで見せたことのない、静かな翳りがあった。


「だから、って柄でもねえけどよ。守れるもんは、守っておきたいだけだ」


 その一言が、思いのほか胸に響いた。カイルが妹を守りたいと言った時と、どこか同じ響きがある。


「わ、私も……ガイウスさんみたいに、誰かを守れる人に、なりたいです」


 シエルがそう言うと、ガイウスは意外そうに目を細めてから、ふっと表情を緩めた。


「なれるさ。今日みたいに、怯えながらでも前へ出られるなら、な」


 その一言に、シエルは驚いたように顔を上げ、それから、はにかむように小さく頷いた。


「明日、また声かけるさ。それまで、しっかり休んどけ」


 それだけ言うと、ガイウスは踵を返し、自分の陣営の方へと戻っていった。その大きな背中を見送りながら、僕は言葉にできない何かを、胸の奥にそっとしまい込んだ。


「よし。今日は早めに休むぞ。明日に響く」


 カイルがそう言って、割り当てられた天幕へと僕らを促した。狭い天幕の中、寝具を並べながら、誰もが多くを語らなかった。


 天幕の外から、他パーティの誰かが低く囁き合う声、鎧の擦れる音、遠くで馬が鼻を鳴らす音が、途切れ途切れに聞こえてくる。それぞれの夜が、静かに更けていく。誰もが、明日を前にした静けさの中に、それぞれの覚悟を沈めているようだった。




 夜が明けると、基地全体が慌ただしく動き出した。


 装備の最終確認、隊列の再編成、簡単な食事。誰もが口数少なく、それでいて手際よく、進軍の準備を整えていく。


「準備、いいか」


 カイルが戦斧を担ぎ直しながら、僕らの顔を順に見た。


「うん」


「わ、私も……大丈夫、です」


「私は、いつでも」


 三人の返事に、カイルは満足そうに頷くと、隊列の中ほどへと歩き出した。


 基地を出て、山肌をさらに登ること半刻。木々はいつしか完全に姿を消し、剥き出しの岩と、うっすらと積もった雪だけが広がる荒涼とした景色に変わっていた。


 空気は張り詰め、誰の口からも、軽口の一つすら出なくなっている。


 やがて、隊列の先頭が足を止めた。


「――見えたぞ」


 誰かの声に、僕らも前方へ目を向ける。


 開けた窪地の向こう、灰色の岩肌に、無数の影が蠢いていた。犬ほどの大きさから、家屋ほどもある巨躯まで、大きさも形もばらばらな魔獣の群れ。中心には、これまで見たどの図鑑にも載っていない、異形の姿をした個体が、ひときわ禍々しい気配を纏って佇んでいる。


「――っ、あんなに……」


 シエルの声が、震えていた。


「怯むな! 俺たちは、一人じゃねえ!」


 カイルの怒声が響くと同時に、隊列の後方から、セドリックの号令が飛んだ。


「全パーティ、展開してください――かかれ!」


 その一声を合図に、静寂を切り裂くような雄叫びが、四方から巻き起こった。

読んでいただき、ありがとうございます!

「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、ページ下部の☆を押して評価をお願いいたします!もっと頑張ります!

感想、レビューもお待ちしております。

よろしくお願いいたします!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。