22. 山影
街道を進む道中、僕らは他のパーティと適度な距離を保ちながら、隊列の中ほどを歩いていた。物資を積んだ荷馬車が数台、隊列の後方から随行している。最初のうちは互いに探るような空気もあったが、三日、四日と共に道を進むうちに、少しずつ言葉を交わす場面も増えていった。
休憩の折、水を汲みに近くの小川へ向かうと、別のパーティの若い戦士が声をかけてきた。
「お前ら、ルクスガルドの新顔だろ。索敵の子、なかなかやるじゃねえか」
「あ……はい、シエルのおかげで、いつも助かってます」
そう話していると、少し離れた場所から香ばしい匂いが漂ってきた。前衛と魔導士が混じった編成のパーティで、狩人らしき身のこなしの一人が、道中で仕留めた獲物を捌き、仲間と大鍋でスープを煮込んでいる。
「よかったら、一杯どうだ? 狩れすぎて、持て余してるんだよ」
鍋を囲んでいた一人が、気安くそう声をかけてきた。
「あ……いいんですか? ありがとうございます」
受け取った器からは、湯気と共に肉の旨みが立ち上っていた。一口啜ると、疲れた体に染み渡るような温かさが広がる。
「わ、私、さっき詠唱を見ていた人に、『随分、滑らかな詠唱だな』って褒められました……ちょっと、緊張、しましたけど」
シエルが戻ってきて、そう報告する。心なしか、その表情は誇らしげだった。
「案外、悪い人たちばかりじゃ、なさそうだな」
カイルがそう言って笑うと、シエルも小さく頷いた。
「わ、私、索敵、続けておきますね」
シエルが時折杖を掲げ、周囲の反応を確かめる。彼女の役割は、隊列の中でも自然と定着していた。
三日目の夕方、それまで晴れていた空が、みるみるうちに厚い雲に覆われていった。先を歩くセドリックが、表情を曇らせて空を見上げる。
「かなり、荒れそうですね。急ぎましょう」
言い終わらないうちに、冷たい雨が叩きつけるように降り出した。隊列は慌てて足を速める。視界が悪くなる中、足元の悪い山道で、あちこちから小さな悲鳴が上がった。
「こっちに寄れ! 崖際は危ねえ!」
カイルの野太い声が、雨音の中に響く。他パーティの誰かが張ってくれた簡易の天幕に、僕らも身を寄せた。狭い天幕の中、知らない顔ぶれと肩を寄せ合う形になる。
「すいません、押しちゃって……」
「気にすんな、こういう時はお互い様だ」
隣にいた見知らぬ弓使いが、笑ってそう答えた。雨脚はしばらく弱まらず、僕らは身を寄せ合ったまま、嵐が過ぎるのを待った。
半刻ほどして、ようやく雨が上がる。誰からともなく、安堵のため息が漏れた。
「こういうの、悪くないね」
ルミナがそう言って、濡れた前髪をかき上げた。近くにいた他パーティの女性剣士が、「まったくだね」と軽く笑いながら相槌を打った。
夜になれば、隊列全体で野営を張る。焚き火を囲みながら、他のパーティの誰かが土産話を披露し、笑いが起きることもあった。慣れない顔ぶれの中でも、少しずつ打ち解けていけているようだ。
「故郷の話、もっと聞かせてよ」
ルミナがそう水を向けると、カイルは焚き火を見つめながら、ぽつぽつと話し始めた。冬の厳しさ、村人たちの気質、幼い妹が生まれた日のこと。普段は語らない過去を、彼はゆっくりと言葉にしていった。
「――そういや、あいつ、今頃どれくらい大きくなってるかね」
カイルの声には、隠しきれない懐かしさが滲んでいた。誰も、それを茶化さなかった。
街道は、日を追うごとに姿を変えていった。平坦だった道は緩やかな起伏を持ち始め、やがて木々の背が高くなり、空気が少しずつ冷たさを増していく。買い揃えた防寒着の出番も、もうすぐそこまで近づいていた。
道の脇に転がる岩は日を追うごとに大きくなり、踏みしめる地面も土から砂利へと変わっていく。ルクスガルドの穏やかな気候しか知らなかった僕には、その変化そのものが、目的地の遠さを物語っているように感じられた。
五日目の夜、初めて息が白くなった。焚き火に手をかざしながら、シエルが小さくくしゃみをする。
「わ、私、ちゃんと、着込んできたはずなんですけど……」
「山はもっと冷えるぞ。今のうちに慣れとけ」
カイルがそう言って、自分の外套をシエルの肩にもう一枚かけてやった。彼女は照れくさそうに、それでも礼を言って肩をすくめた。
六日目を数える頃には、遠く前方に、山岳地帯の稜線がうっすらと見え始めていた。幾重にも重なる峰々が、灰色の雲を纏うようにそびえている。
「あれが、目的地……」
思わず漏れた声に、隣を歩くシエルが小さく頷いた。
「まだ、随分、遠いですけど……」
それでも、遠目にすら伝わってくる山の威容に、隊列全体の空気が、心なしか張り詰め始めていた。
その夜、火の番をカイルと交代したときのことだった。彼は焚き火をぼんやりと見つめたまま、いつになく口数が少なかった。
「緊張してる?」
「……まあ、な。この山の麓に、俺の故郷があるからな」
カイルは戦斧の柄を撫でながら、小さく笑った。だが、その笑い方はどこか硬く、いつもの豪快さは薄れている。
「妹に、会えるといいね」
「ああ。今度こそ、ちゃんと顔を見せてやりたいんだけどな」
短い返事の中に、期待と不安が入り混じっているのが伝わってきた。僕は、それ以上何も言わずに、隣に座って火を見つめ続けた。
その夜、山の麓に近い平原で野営を張ったときのことだった。
夕食を終え、火の番をしていた僕は、ふと視線を上げた。
山の方角――今しがた見えていたはずの稜線が、いつの間にか完全な闇に沈んでいる。星明かりの下でさえ、輪郭一つ見えないほどの、異様な暗さだった。周囲の野営地からも、話し声がふつりと途切れている。誰もが同じものに気付き始めていた。
「――シエル」
声をかけると、彼女もすでに気付いていたのか、杖を握りしめて山の方角を見つめていた。
「音が、しません……鳥の声も、虫の音も。ここまで来ると、何も」
その言葉に、隣にいたカイルとルミナも、揃って表情を硬くした。
「――あの、黒い狼の時と、同じ……」
僕が言いかけたところで、隊列のどこかから、押し殺したようなざわめきが広がり始めた。
「あれを、見ろ……!」
誰かの声に、僕らは一斉に山の方角へ視線を向けた。
闇に沈んだ稜線の向こう、その一点だけが、禍々しい紫がかった光で、ぼんやりと滲んでいた。
瞬きするたびに、その光は色を変えながら、ゆっくりと明滅を繰り返している。まるで、山そのものが呼吸しているかのようだった。
「なんだよ、あれ……」
カイルは無意識に拳を握りしめているのが分かった。ルミナも、いつもの軽い表情を消し、じっと光を見つめている。
「セドリックさん……あれは」
僕が振り返ると、いつもと変わらない顔をしていたはずの彼から、初めて余裕が消えていた。眼鏡の奥の目が、かすかに見開かれている。伸ばした指先が、微かに震えているようにも見えた。
「……予定より、早いようですね」
「早いって、どういう――」
僕が問い返すと、セドリックは光から目を離さないまま、低く呟いた。
「魔力の気配です。あの規模のものが、ここまで届くとは……本来はもっと、時間がかかるはずでした」
その呟きが、静まり返った野営地に、やけに大きく響いた。
それ以上、セドリックは多くを語らなかった。ただ、遠く光る山の一点を、険しい顔で見つめ続けている。
誰も、それ以上は何も言えなかった。遠く紫に滲む光を見つめながら、僕はただ、これから向かう先に待つものの大きさを、肌で感じ取っていた。
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