02. 空白
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街道に出た途端、僕は肩で息をしながら彼女を降ろした。少女はその場にへたり込んだ。
「はー……死ぬかと思った」
荒い息の合間に、それでも彼女は笑っている。
僕は視線を彷徨わせながら、彼女の脚の傷にちらりと目をやった。
「脚……大丈夫ですか?」
言ってから、自分の額や頬、二の腕にも、鈍い痛みが残っていることに気付く。柄を握りしめすぎた手のひらの傷も、まだじんじんと疼いていた。
「ああ、これ? 平気平気、治癒魔法、少しだけ使えるから」
少女はそう言うと、僕の顔や腕にちらりと目を留めた。そのまま手を伸ばしかけてくる。
誰かに、こんなふうに手を伸ばされること自体、随分と久しぶりだった。反射的に身を引きかけて、それでもなんとか堪える。
「そっちこそ、傷だらけじゃない」
「いえ、大丈夫です。それより、脚を」
「でも、マナの残量的にあと一回しか魔法は使えないから――」
「動けないと困るのは、そっちのはずです。僕のは、掠り傷ばかりですから」
少女は少し驚いたように僕を見た。それから、探るような視線を緩めて、小さく笑った。
「……分かった。じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って、彼女は自分の脚に手をかざす。淡い光が傷口を包み、みるみるうちに血が止まっていく。手慣れた仕草だった。
「動きながらだと無理なんだよね、これ。ちゃんと集中しないと、うまく詠唱できなくて」
「すごいですね」
「でしょ?」
「なに、その顔」
「いえ……ただ、驚いただけで」
「もっと褒めていいよ」
軽口を叩きながらも、彼女の目はどこか値踏みするように僕を見ていた。値踏み、というと言葉が悪いかもしれない。観察、に近かったのかもしれない。
「――で、聞きたいんだけど」
「なんですか?」
「さっきの光、なに?」
光、と言われて、僕は面食らった。手のひらに熱を感じた気はしたが、それが光っていたなんて、思いもしなかった。
「光っていたんですか?」
「うん、思いっきり光ってたよ、剣を握った指の隙間から。ついでに言うと、輝度紋章、8等星なんでしょ? だったらあの一撃の重さ、絶対おかしいって。あんなに軽々とクリムゾンベアを弾き飛ばすとか、普通の8等星にできることじゃないよ」
「分かりません……本当に、自分も無我夢中で……」
「ふうん」
少女はしばらく僕の顔をじっと見ていたが、やがて興味を失ったように肩をすくめた。
「まあ、いいや。命の恩人に詮索するのも野暮だしね」
そう言ってから、彼女は不意に手を差し出してきた。
「改めて、ありがと。助かった」
「いえ、たまたまですから」
握り返した手は、思ったより小さくて、思ったより強かった。
ギルドに戻った頃には、日はすっかり暮れていた。
受付で事情を話すと、担当していた女性職員――胸元の名札には「レティシア」とあった――に、絞られるようにお説教を受けた。
癖のある茶色の髪を一つに束ね、いかにも真面目そうな眼差しでこちらを見据えてくる。年齢は僕より少し上、というくらいだろうか。
「浅層のはずが、なぜそんな深くまで行ったんですか! 討伐推奨5等星の魔物ですよ? 8等星が二人だけで挑んで、もし本当に死んでいたら、どうするつもりだったんですか!」
もっともな話だった。反論の余地もない。
「まあまあ、レティシア。結果的に二人とも無事だったわけだし」
「あなたは、少し危機感を持ってください! 脚の怪我だって、もう少しで――」
「はいはい、ごめんって」
少女は悪びれもせず肩をすくめている。レティシアは呆れたように小さく息を吐くと、視線を僕に戻した。
説教の途中、彼女は僕の顔や手元に目を留めた。
「――傷、そんなに。手も、怪我してますね」
「あ……はい、少し」
レティシアはしばらく僕の顔を見ていたが、やがて小さくため息をつくと、引き出しから小瓶を取り出した。
「これ、使ってください」
「これは……回復ポーション、ですか。でも」
「無茶したことは、褒められたことじゃありません。それは分かってますよね」
「はい……」
「けど、無事に帰ってきたのは、良かったと思っています。だから――今回だけ、特別です。お代はいりません」
そっけない態度のまま、彼女は小瓶を僕の手に押し付けるようにして渡した。
「次から、気を付けてください。あなたのような新人が命を落とす例、ここでは珍しくないんですから!」
「すみません。気を付けます」
「分かればいいんです」
僕は渡された小瓶を握りしめたまま、小さく頭を下げた。
説教が終わった後、輝度と技能の再測定をすることになった。ギルド備え付けの水晶――星紋鏡に触れる。淡い光が僕の手のひらから吸い上げられるように水晶に流れ込み、文字が浮かび上がる。
『輝度:8等星』
『固有スキル:???』
「……は?」
思わず声が出た。
『???』の文字は、点滅するように瞬いていた。まるで、水晶自身が困惑しているみたいに。
「これは……」
測定を担当していたレティシアが、眉をひそめる。
「エラー、じゃないと思いますが……こんな表示、初めて見ました」
水晶の光が、いつもより心なしか強い気がした。周囲にいた他の冒険者たちも、何事かとちらちらこちらを窺っている。居心地の悪い視線が、じわりと肌に刺さった。
レティシアは次の書類に向き直り、事務手続きを手際よく進めていく。
だが、隣で成り行きを見ていた少女は、そう簡単には流してくれなかった。
「へえ。ますます気になるなあ、君のこと」
興味津々といった様子で、僕の顔と水晶を交互に覗き込んでくる。
「そんなに見られると、恥ずかしいです……」
「詮索する気はないよ? ただ、ここじゃ珍しい真っ黒な髪色で、金の瞳。さらに面白そうな謎を目の前にして、気にならない方がおかしいでしょ」
彼女は腕を組んで、にんまりと笑った。
「私、パーティ組んでないんだ。ちょうどいいから、君にしよっかな」
「は……え?」
「命の恩人だし。それに、こんな森の奥まで迷い込んで、たまたま格上の魔獣に出くわすなんて、運が悪すぎるでしょ。一人だと、この先もそういうのが心配だから」
「待ってください……話が急すぎます!」
「善は急げって言うでしょ」
彼女は全く聞く耳を持たずに、ギルドの申請用紙をひらひらと僕の目の前に持ってきた。
「――というわけで、よろしくね。パーティメンバー」
断る隙も与えず、彼女はもう自分の欄にサインを済ませていた。
欄には、こう書かれていた。
――ルミナ・ヴェスカ。
僕の名前を書く欄だけが、まだ空白のまま残されている。
ペンを手に取りながら、僕は小さく息を吐いた。
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