19. 指名
ギルドから呼び出しがあったのは、聖痕について聞かされたあの日から、数日後のことだった。
朝一番、ギルドに顔を出すなり、受付の職員にそう告げられた。
「依頼ではなく、お話があるそうです」
依頼の報告でもないのに、四人まとめての呼び出しは初めてのことだった。
案内されるまま、僕らは以前ガイウスの件を聞いた、あの応接室へと通された。窓の外から差し込む光が、いつもより硬い空気を照らしている。
室内には、レティシアの他にもう一人、見覚えのない男が待っていた。神殿の紋章を纏った、白を基調にした装束。癖のある暗い緑髪を、無造作なようでいて隙のない形に整え、知的な眼鏡の奥で、瞳がどこか愉しげに笑っている。年齢は25、6歳といったところだろうか。物腰は柔らかいのに、有無を言わせない気配が滲んでいた。
「ルメリア教団から参りました、調査官のセドリックと申します。……ああ、そう硬くならないでください。取って食おうというわけではありませんので」
からかうような口振りに、思わず肩の力が抜けかけて、それでも油断はできない、と思い直す。声には、笑みの奥に隠しきれない硬さがあった。
僕らは顔を見合わせてから、示された椅子に腰を下ろした。レティシアは壁際に控え、心配そうな眼差しで僕らを見ている。
「今回の件は、私からもお願いしたいと思っていました。皆さんになら、任せられると」
レティシアが静かにそう付け加えた。いつもの事務的な口調とは、少し違う響きだった。
「単刀直入に申し上げましょう。遠方の聖痕で確認されている異変への対処のため、調査遠征隊を編成することになりました。リオンさんたちのパーティにも、ぜひ参加していただきたいと考えているのです」
「――例の話か」
カイルが低く呟く。セドリックは目を細め、小さく頷いた。
「聖痕の異常が、魔獣の異常進化を引き起こしている――これは、もはや推測の域を出た、確定した事実です。個人的には、実に興味深い現象だと思っていますがね」
その一言に、僕は息を呑んだ。
「確認、というのは」
「東の森で皆さんが遭遇した、あの黒い狼です。近隣の聖痕で起きた異常の影響によって生まれた個体だった、というのが我々の結論です。討伐推奨も付けられないほどの逸脱ぶりだった、と伺っていますが」
ずっと胸の奥に引っかかっていた謎に、ようやく答えが出た。それなのに、少しも晴れやかな気持ちにはなれない。あの日の光景が、鮮明に蘇る。
「じゃあ、あいつは……」
「ええ、残念ながら。まだ討伐には至っていません。今も、どこかで悠々自適にしているはずです」
その言葉に、全員が押し黙った。レティシアが、僕らの表情を気遣うように見ていたが、何も言わなかった。
セドリックは眼鏡の位置を直しながら、間を置かず続けた。
「正直に言いますと、今回の遠征、決して安全とは言えません。十中八九、まだ名もない化け物と鉢合わせることになるでしょう。道中も含め、片道だけで十日以上かかる行程です。その分、報酬は通常の依頼とは比較にならない水準を用意しています。それに、これほどの経験を積めば、次に星紋鏡で測定した時、輝度にもきっと表れるはずですよ」
「そりゃ、気合いも入るってもんだ」
カイルが軽口を叩くと、セドリックは面白がるように口の端を持ち上げた。
「今回は、この街だけの話ではありません。各地のギルドから、実績のあるパーティが同時に招集されています。皆さんも、その一つです」
自分たちも、その一つに数えられている。実感の薄い話だった。
それから、セドリックの視線が、まっすぐ僕に向いた。値踏みするような、それでいてどこか楽しげな目だった。
「分類不能の固有スキルと、聖痕の異常――この二つに、何らかの関連があるのではないかと、教団では見ています。まだ確証はありません。……ですが、私個人としては、かなり興味を惹かれる符合だと思っていましてね。こうした異例の力を持つ方に、ぜひ現地で調査にご協力いただければと。いかがですか?」
半ば名指しの要請だった。断ろうと思えば、断れないわけではない。危険を伴うと、はっきり言われたばかりだ。それでも――
この力の正体を、知る機会かもしれない。
手のひらに、ずっと燻り続けていた問いが、初めて輪郭を持った気がした。母の遺した鍵、胸の奥にしまい込んできた問い、そのどれもが、この一言に繋がっている気がしてならなかった。
『いつか、あなたが知るべき時が来たら』
あの手紙の一文が、不意に頭をよぎる。
迷いがなかったと言えば、嘘になる。それでも、ここで目を逸らしたら、きっと一生後悔する。そう思った。
「僕は……行きたいです」
自分の声が、思ったよりはっきりと出たことに、少し驚いた。
「俺も行くぜ。お前らだけ行かせて、指くわえて待ってられるかよ」
カイルが即座にそう言って、戦斧の柄を叩く。
「わ、私も……その、力になれるか、分からないですけど……行きたい、です」
シエルが震える声で、それでもはっきりとそう答えた。
「私は、まあ、この面子ならどこでも」
ルミナはいつもの調子でそう言って、軽く肩をすくめた。
「では、詳細をお伝えしましょう。目的地は――」
セドリックは、カイルの方を見やりながら、からかうように笑って、あえて一拍置いた。
告げられた方角に、僕は思わず頭の中の地図を見返した。ルクスガルドから見て、北西の山岳地帯。この街からは、随分と離れた場所だった。
「カイル、何か知ってる?」
僕がそう尋ねると、カイルは一瞬、返事に詰まった。
「……いや。別に」
いつもの快活な調子とは、どこか違う声だった。視線が、わずかに泳いでいる。
「どうしたの?」
「なんでもねえよ。ただ――」
言いかけて、カイルは口を噤んだ。それ以上は、何も続けなかった。ルミナとシエルも、何かを察したように、それ以上は聞かなかった。
セドリックは書類を取り出し、ようやく事務的な調子に戻った。
「出発は、五日後を予定しています。装備や道中の準備は、各自で整えておいてください」
「分かりました」
書類に判を押しながら、僕はもう一度、自分の手のひらを見つめた。
「……ああ、それと。無茶だけは、なさらないように。せっかくの有望な人材を、遠征で減らしたくはないので。特にリオンさんは、できることなら解剖してでも調べてみたいくらいですから――なんて、冗談ですよ」
どこまで本気か分からない口振りのまま、セドリックは席を立ち、軽く一礼して部屋を出ていった。
応接室を出て、外壁沿いの通りを歩きながら、誰からともなく口を開いた。
「五日後か。あっという間だな」
「わ、私……ちゃんと、準備、できるでしょうか……」
「大丈夫だって。装備は俺が見てやるよ」
カイルはそう言って、いつも通りに笑ってみせる。だが、さっきの硬い横顔は、まだ僕の中に残っていた。
「片道十日か……長旅は、初めてです」
「わ、私も、です……荷物、何を持っていけばいいのか、今から不安で」
シエルがそう言うと、ルミナが軽く肩を叩いた。
「五日もあれば、なんとかなるって。足りない物は、街で買い揃えればいいんだから」
「他のパーティも一緒だって話だったね。どんな人たちが来るんだろ」
ルミナがそう言うと、カイルも興味を引かれたように口の端を上げた。
「各地から集められたって話だったな。俺たちより上の等星の連中もいるんだろうし、ちょっと楽しみだぜ」
「わ、私……知らない人たち、ばかりで……緊張、しそうです」
「大丈夫だって。案外、気の合う奴もいるかもしれねえだろ」
ルミナが小さく笑う。その笑い方は、いつも通り、力みのないものだった。
「聖痕の異常か……。ようやく、東の森のことも、少しは繋がった気がする」
僕がそう漏らすと、ルミナが横から答えた。
「まだ全部が分かったわけじゃないけどね。それでも、前に進めるだけマシでしょ」
「うん。それだけでも、十分だね」
この力の正体に、ようやく手が届くかもしれない。
その予感は、期待と不安の両方を連れてきていた。カイルの横顔に浮かんだ、あのかすかな翳りと同じくらい、拭いきれない何かを抱えたまま、僕は五日後に思いを馳せた。
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