16. 光陰
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黒い狼との一件から、幾日かが過ぎていた。
カイルの右腕はまだ本調子ではなく、僕らは無理のない依頼を選びながら、薬草採取や街の見回りをこなす日々を送っていた。衛兵の多くが東の森や街道の警戒に駆り出されている影響で、街中の見回りにまで手が回らず、その穴埋めをギルドの依頼という形で冒険者が請け負っているらしい。輝度が上がったからといって、浮かれて無茶をするつもりはない。二日か三日に一度、ギルドの掲示板を覗いては、身の丈に合った依頼を選ぶ。
薬草採取の依頼では、腰を屈めて茂みをかき分け、目当ての葉を探して回った。見回りの依頼では、酔っ払い同士の小競り合いを止めたり、迷子になった子供を親元まで送り届けたりと、剣を振るう場面はほとんどない。日差しも少しずつ和らぎ始めた街並みを歩きながら、それでも、依頼を終えるたびにカイルが拳を差し出してくるのは、変わらない。
――こつん。
小さな音が響くたび、何でもない日常が、確かに僕らの間に積み重なっていく。
地味な依頼をこなす合間にも、それぞれの変化は、確かに育っていた。
僕自身も、暇を見つけては、街の外壁を出てすぐの人気のない草原まで足を運び、ノヴァインペラトルを試し撃ちしていた。威力や回数は等級が決めるものだとしても、狙いを外さず、確実に当てる感覚だけは、練習で磨いていけるはずだ。
迷子の猫探しの依頼の道すがら、シエルが杖を軽く掲げ、光を放つ。
「――サーチライト」
淡い青の光が円を描いて広がり、すぐに消えた。
「反応、あります……路地の奥、瓦礫の陰に」
教えられた方向へ進むと、崩れかけた木箱の隙間に、白い毛並みがちらりと覗いていた。怯えているのか、奥へ奥へと後ずさっていく。
「暗くて、見えにくいので……」
シエルはそう言うと、杖の先を隙間へ向け、続けてもう一つ、呪文を紡いだ。
「――グロウオーブ」
杖の先に小さな光の珠が生まれ、ふわりと隙間の奥へ滑り込んでいく。仄かな明かりに照らされて、白い毛並みがはっきりと浮かび上がった。
「見つけました……あとは、そっと」
僕はゆっくり手を伸ばし、怯える猫をそっと抱き上げた。腕の中で暴れることもなく、存外あっさりと大人しくなる。
「よかった、この子です……!」
依頼主の女性が、泣きそうな顔で猫を抱き取った。何度も頭を下げる背中を見送りながら、僕らは小さく笑い合った。
「前より、マナに余裕があるみたいだね」
僕がそう言うと、シエルは照れくさそうに頷いた。
「は、はい……7等星になって、から……前より、ずっと」
誇らしげに、それでいて控えめな声だった。
「今度、もっと大きい魔法も……試してみたい、です」
その一言に、僕は思わず耳を留めた。
「大きいの?」
「その……理論では、前から、知ってたんですけど……マナが、足りなくて」
宿に戻ってからも、シエルは荷物の底から古びた魔導書を取り出し、ページをめくっていることが増えていた。声をかけると、慌てて本を閉じて誤魔化すのに、次に見た時にはまた同じ本を開いている。
宿に戻った夜、部屋を覗くと、カイルの腕にルミナが手をかざしているところだった。
「――ヒール」
囁くような詠唱と共に、淡い光が腕を包む。毎晩欠かさず、ルミナはこうしてカイルの腕に治癒魔法をかけ続けていた。
窓の外では、虫の声が微かに響いている。灯りを絞った部屋の中、淡い光に照らされたルミナの横顔は、いつもの軽い笑みとは違って、どこか真剣で、それでいて優しい。
「毎日毎日、手間かけさせちまってすまねえ」
「別に。これくらい、なんてことないから」
軽い調子でそう言いながらも、ルミナの手つきは、いつも真剣だった。骨が固まりきるまで、油断せずに、根気強く光を送り込み続けている。
「治療師の見立てじゃ、二週間はかかるって話だったのに……この分なら、もっと早く治りそうだな」
カイルが腕を軽く回しながら、そう笑った。
「繋がってるのと、元通り動くのとは、別だからね。骨がくっついても、本来の強度が戻るまでは、まだかかるよ。調子に乗って、また無理したら承知しないから」
ルミナが釘を刺すように言うと、カイルは大人しく頷く。
「にしても、お前がいなかったら、俺はまだ添え木したままだったろうな」
「大袈裟。ただ、毎日欠かさずやってるだけだから」
「その毎日ってのが、大変なんだろうが」
ルミナは軽く肩をすくめただけで、それ以上は何も言わなかった。けれど、その口元は、確かに緩んでいた。
数日後、ギルドの掲示板の前で、カイルが一枚の依頼票を指差す。
「――これ、どうだ?」
東の森とは別方向にある、開けた森での討伐依頼。
「次はしっかり働かせてもらうぜ」
カイルは戦斧の柄を、右手でしっかりと握り直した。庇うような素振りはもう見えない。腕は、すっかり元通りだ。
「私も……今度は、もっと、頑張ります」
シエルが杖を胸に抱きながら、そう言った。控えめな声の奥に、以前にはなかった芯のようなものを感じる。
「次はもうちょっと派手に暴れられそうだね」
ルミナがそう言って、片目をつむってみせた。
依頼票を受付に提出すると、レティシアがカイルの腕にちらりと目をやる。
「もう添え木も外れて、すっかり元通りですね」
「おかげさまでな。今日から本調子だ」
カイルが右腕に、軽く力こぶを作ってみせる。レティシアは小さく笑って、書類に判を押した。
依頼票を受け取り、僕らはそれぞれの支度に取り掛かった。次の依頼が、これまでとは少し違うものになる。そんな予感が、確かにあった。
黒い狼との遭遇から始まったこの十数日は、痛みも、不安も、たしかにあった。それでも、こうして四人で笑いながら次の依頼へ向かえることが、何より確かな救いだった。
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