二足のわらじ
「――ミリッサ、また居眠りか」
算術の授業中、教師の声にみっちょは飛び起きた。教室のあちこちから、くすくすという笑いが漏れる。頬が熱くなるのを感じながら、みっちょは慌てて姿勢を正した。
「す、すみません……」
放課後、ノアが心配そうに顔を覗き込んできた。
「最近、寝不足なんじゃないか?」
「うん……夜は店の仕込みがあるし、昼は学校でしょ。それで空いた時間に迷宮の依頼もこなしてると、なんかいつの間にか一日が終わってて」
「無理しすぎだって」
フィンも腕を組みながら、珍しく真面目な顔で言った。
「探索者になるのはいいが、身体を壊したら意味がないぞ。学校も、店も、迷宮も、全部本気でやろうとしてるだろ、お前」
「全部、大事だから……」
言い返しながらも、みっちょ自身、限界が近いことにはうっすら気づいていた。それでも、どれか一つを手放すという発想が、なぜか浮かんでこなかった。
◆ ◆ ◆
その週末、三日月亭に与えられた依頼は、六番迷宮『轟雷の尖塔』での素材採取だった。難易度D、常に雷が落ちる高地。金属装備が極めて危険とされる、これまでで最も緊張を強いられる現場だ。
「装備は、極力金属を避けろ。武器も、革と骨で作られた予備のものを使う」
ブロムの指示で、みっちょの投擲ナイフも、いつもの鋼鉄製ではなく、骨を削り出した予備の一式に替えられていた。慣れない重心に、手の中で妙な違和感がある。
尖塔の周囲は、絶えず雷鳴が轟いていた。空気が帯電しているのか、肌がぴりぴりと痺れるような感覚がある。フィンの剣も、今日は木製の訓練用に近いものに替えられていた。
「これ、剣としてほとんど使い物にならないんだが」
「文句言うな。金属の剣持って、雷落ちて死ぬよりマシだろ」
ブロムに一蹴され、フィンは渋々といった様子で頷いた。
◆ ◆ ◆
採取対象の『雷鳴鉄』は、尖塔の中腹、雷が最も頻繁に落ちる区域の近くにあると言われていた。慎重に足場を選びながら進む三人の頭上を、絶えず稲光が走る。
「――みっちょ、大丈夫か? 顔色、悪いぞ」
ノアの言葉に、みっちょは自分の頬に手を当てた。冷や汗が滲んでいる。寝不足の身体に、緊張と雷鳴の圧力が重くのしかかっていた。
「大丈夫、平気」
そう答えたものの、次の瞬間、足元の岩の隙間に爪先を取られ、みっちょの身体が大きく傾いた。
「危な――」
フィンが咄嗟に手を伸ばし、みっちょの腕を掴んで引き戻す。すんでのところで、体勢を立て直すことができた。数歩先の岩場には、まさに今、雷が落ちたばかりだった。
「……ごめん」
「謝るのはいいから、休め。少しでいい」
フィンの声には、いつもの素っ気なさとは違う、はっきりとした苛立ちが滲んでいた。それが自分への苛立ちなのか、心配の裏返しなのか、みっちょにはすぐには判別できなかった。
◆ ◆ ◆
比較的安全な岩陰で、三人は短い休憩を取った。ノアが差し出した水筒を、みっちょは礼を言って受け取る。
「なあ、みっちょ」
フィンが、いつになく静かな声で切り出した。
「お前は、司令塔なんだろ。俺たちの体力とか、状況とか、そういうのを見て、判断する役目だ」
「うん……」
「なら、自分の体力管理も、その中に入れとけ。お前が倒れたら、俺たちは指示を出す奴を失う。それは――パーティ全体の危機だ」
ぶっきらぼうな言い方だったが、その言葉は、これまでのどんな励ましよりも、みっちょの胸に深く刺さった。頑張ることと、無理をすることは違う。当たり前のはずのそのことに、初めて気づかされた気がした。
「……うん。ごめん。ちゃんと考える」
「別に謝らせたいわけじゃない。ただ、店と学校と迷宮、全部本気でやりたいなら――全部、ちゃんと計画立ててやれ。それも、司令塔の仕事だろ」
その言葉に、みっちょは思わず小さく笑った。フィンらしい、不器用な優しさだった。
◆ ◆ ◆
休憩を挟んだことで、いくらか調子を取り戻したみっちょたちは、慎重に採取を進め、無事に雷鳴鉄を手に入れて帰路についた。
その夜、店の帳簿を眺めながら、みっちょは初めて、自分の一週間のスケジュールを紙に書き出してみた。仕込みの時間、学校の授業、宿題、迷宮実習の日――ばらばらだった時間が、こうして並べてみると、意外なほど整理できることに気づく。
「――こうすれば、いいのか」
小さな発見だった。強くなるための修行だけが、成長ではない。自分の限界を知り、それに合わせて計画を立てることも、きっと同じくらい大事なことなのだ。
窓の外では、雷鳴の代わりに、いつもの静かな夜風が吹いていた。書き終えた予定表を見つめながら、みっちょは久しぶりに、早い時間に眠りについた。




