常炎の火口
実習初日、集合場所に指定されたのは、一番迷宮『常炎の火口』の入り口だった。溶岩が川のように流れる、常に高温の迷宮――教科書では「E帯の中でも基礎中の基礎」と紹介されていたが、実際に入り口に立ってみると、噎せ返るような熱気が、みっちょの頬を叩いた。
「暑い……」
「装備の耐熱布、ちゃんと羽織っとけよ」
ブロムが渡してくれた耐熱の外套は、見た目より軽く、それでいて火口の熱をわずかに和らげてくれた。それでも、じわりと滲む汗は止まらない。
今日の実習には、見習い五人にギルド職員が一人付き添う。みっちょ、ノア、フィン、それに他クラスの見習いが二人。監督役は、意外にもガレン先生だった。
「俺が引率できるのは、今日が最後だ。次からは正式なギルド職員が付く。今日のうちに、できることを見せておけよ」
その言葉に、みっちょは思わず背筋を伸ばした。
◆ ◆ ◆
迷宮の中は、教科書で読んだ以上に過酷だった。足元の岩は常に熱を持ち、少し気を抜くと、溶岩の川が予告なく流路を変える。実際に見て、初めて「常に高温」という一文の重みがわかった。
「気をつけろ、右!」
フィンの声に、みっちょは反射的に飛び退いた。数瞬前まで立っていた場所を、赤く光る溶岩がゆっくりと舐めていく。心臓が、耳の奥で鳴っているのがわかった。
「あ、りが……ありがとう、フィン」
「別に。ぼーっとしてたお前が悪い」
ぶっきらぼうな言い方だったが、フィンはさりげなく、みっちょの歩く位置を、自分より後ろ――比較的安全な内側に誘導してくれていた。才能に恵まれた者特有の、周りを見る余裕なのだろう。
火口の奥、目的地である小さな祠――低難度迷宮特有の「討伐対象」である小型の火精霊が住み着いている場所へと、一行は少しずつ進んでいった。
◆ ◆ ◆
祠に近づくと、赤い燐光をまとった小さな精霊が姿を現した。獣のような形をしているが、輪郭は絶えず揺らめき、炎そのものが意思を持ったかのようだった。
「あれが、討伐対象か……」
フィンが剣を構える。他の見習いたちも、それぞれの武器を手に身構えた。みっちょも、震える手で投擲ナイフを握りしめる。
火精霊が咆哮し、床の岩がわずかに溶け始めた。フィンが前に出て斬りかかるが、実体のない炎の身体は刃をすり抜け、逆に熱波を撒き散らす。
「効いてない……!」
「無理に斬ろうとするな、あれは物理攻撃が効きにくいタイプだ!」
ガレン先生の声が飛ぶ。だが、精霊の動きは速く、見習いたちは防戦一方になっていく。
みっちょは、混乱する頭の中で、必死に教科書の記述を辿った。「精霊系の魔物は、物理より、対応属性の弱点を突くことが有効」――火精霊なら、弱点は水か、あるいは……。
視線を巡らせると、祠の脇に小さな水溜まりがあるのが見えた。溶岩地帯には不自然な、地下水が滲み出た跡。
「フィン! 精霊をあの水溜まりの方へ!」
「は? なんで――」
「いいから! お願い!」
とっさに出た声には、教科書の裏付けと、賭けに近い勘の両方が混ざっていた。フィンは一瞬迷ったが、みっちょの必死な表情に押されるように、精霊を挑発しながら水溜まりの方向へ誘導し始めた。
◆ ◆ ◆
火精霊が水溜まりの上を通り抜けた瞬間、燐光が明らかに弱まった。輪郭がぶれ、炎の勢いが目に見えて落ちる。
「今だ!」
ガレン先生の合図で、フィンが弱った精霊に斬りかかり、他の見習いたちも次々に攻撃を加える。みっちょも震える手でナイフを構え、狙いを定めて投げた。刃は精霊の中心を捉え、小さな悲鳴のような音とともに、燐光が霧のように消えていった。
静寂が戻る。誰もが肩で息をしていた。
「……やった、のか」
ノアが呆然と呟くと、他の見習いたちからも、じわじわと歓声が上がった。フィンは剣を鞘に収めながら、みっちょの方をちらりと見た。
「――さっきの、よく気づいたな」
「た、たまたま……水溜まりが見えたから」
「たまたまで、そこまで思いつくかよ」
フィンは呆れたように、それでいてどこか感心したように笑った。これまで「見学は退屈」と言っていた彼の表情に、初めて対等な色が混じっていた。
ガレン先生は、少し離れた場所から、腕を組んでその様子を見ていた。口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆
その夜、みっちょは店の窯の前で、いつものように火を見つめていた。けれど今夜は、いつもと少し違う。熱気の中で見た、赤い燐光の残像が、まだ瞼の裏に焼き付いていた。
怖かった。足がすくむほどに。それでも――誰かの役に立てた、という実感は、これまで感じたことのない種類の熱を、胸の奥に灯していた。
「みっちょ、まだ起きてるの」
母のリエラが、そっと顔を覗かせた。
「うん。今日、初めて迷宮に……ちゃんと、潜ったの」
「怖かった?」
「すごく怖かった。でも」
みっちょは、窯の火を見つめたまま、小さく笑った。
「もう一回、行きたいって思った」
リエラは、娘の言葉をしばらく黙って受け止めていた。そして、何かを堪えるように、静かに目を伏せた。
「――そう。なら、明日は少し早く休みなさい」
それだけ言うと、母は静かに部屋を出ていった。窯の火は、今夜も変わらず燃え続けていた。だが、その炎を見つめるみっちょの目には、これまでとは違う、小さな光が灯り始めていた。




