はじめてのお願い
「今日は、実際に呼びかけてみようか」
オルガの店を訪れたみっちょに、いつになく前向きな提案があった。これまでの「気配を感じる」修行から、次の段階へ進むということだった。
「何か、決まった言葉とか、あるんですか」
「いいや。呪文とか、そういうのは必要ない。ただ、心の中で、素直に語りかければいい」
オルガは、店の隅、乾燥棚のあたりを指差した。あの、みっちょが最初に気配を感じ取った、風の精霊が棲む場所だった。
◆ ◆ ◆
みっちょは、棚の前に座り、目を閉じた。これまでと同じように、まず、静かに気配を探る。すぐに、あの温かく、少し臆病な感触が、伝わってきた。
――こんにちは。また来たよ。
心の中で、そっと語りかける。応える言葉はなかったが、気配が、心なしか、こちらに向いた気がした。
――お願いがあるの。少しだけ、力を貸してくれないかな。
具体的に、何をしてほしいかは、まだ決めていなかった。ただ、素直な気持ちを、そのまま伝えるしかなかった。
◆ ◆ ◆
しばらく、何も起きなかった。それでも、みっちょは、焦らず、ただ静かに座り続けた。
――ふと、頬に、微かな風が触れた。
目を開けると、乾燥棚の上に置かれていた、小さな紙切れが、ひらひらと宙を舞い、みっちょの手のひらの上に、そっと着地した。
「――!」
驚いて顔を上げると、オルガが、興味深そうにこちらを見ていた。
「ほう。応えたか」
「これって……」
「ただの風のいたずらに見えるかもしれないが、あんたが呼びかけたことに、ちゃんと反応した証拠だ。最初は、それで十分だよ」
◆ ◆ ◆
「もっと、大きなことは、できないんですか」
逸る気持ちで尋ねるみっちょに、オルガは、少し厳しい声で答えた。
「焦るな。精霊との関係は、積み重ねだ。今日、無理に大きな力を引き出そうとすれば、精霊は、あんたを『都合よく使おうとする相手』だと感じて、離れていく」
「――ごめんなさい」
「謝ることじゃない。ただ、覚えておきな。あんたが、これまで積み重ねてきたものは――知識も、仲間との信頼も、みんな、時間をかけて育ててきたものだろう。精霊術も、同じだ」
オルガの言葉に、みっちょは、静かに頷いた。これまでの自分の歩みを、改めて肯定してもらえたような、温かい気持ちだった。
◆ ◆ ◆
「今日のところは、これで十分だ。次は、少しずつ、頼み事の内容を、具体的にしていこう」
「はい」
「――ああ、そうだ。名前、つけてやったらどうだい」
「名前?」
「精霊は、人が名付けることで、より深く繋がることがある。もちろん、無理強いはできないから、向こうが嫌がったら、諦めることだね」
みっちょは、しばらく考えてから、そっと呟いた。
「――そよ、っていうのは、どうかな」
その名を呼ぶと、乾燥棚のあたりから、まるで肯定するように、優しい風が、ふわりと吹き抜けた。みっちょは、思わず笑みをこぼした。
◆ ◆ ◆
その夜、店に戻ったみっちょは、リエラに、今日の出来事を報告した。「そよ」という名前を口にすると、リエラは、優しく目を細めた。
「――いい名前ね」
「うん。まだ、ちゃんと力を借りられるわけじゃないけど」
「それでいいのよ。焦らず、少しずつ。あなたのペースで」
窯の火が、いつも通り、静かに揺れていた。みっちょは、その火を見つめながら、静かに思った。強くなるということは、きっと、一つ一つの繋がりを、丁寧に育てていくことなのだろう、と。仲間との絆も、知識の積み重ねも、そして今、少しずつ芽生え始めた、この新しい繋がりも――全部、同じ温もりの延長線上にあるのだと、みっちょは、確かに感じていた。




