顔馴染みになるまで
「精霊術の修行は、毎日じゃなくていい。週に二回、店の手伝いと学校の合間に来な」
オルガに言われた通り、みっちょは、それから週に二回、深淵区の小さな店に通うようになった。三日月亭としての依頼も、学校も、これまで通り続けながらの、新しい日課だった。
「今日から、何を教えてもらえるんですか?」
意気込んで尋ねるみっちょに、オルガは、あっさりと言った。
「何も教えないよ、最初は」
「え……?」
「ただ、座ってな。目を閉じて、店の中の気配に、耳を澄ませてみるといい」
◆ ◆ ◆
拍子抜けするような指示だった。それでも、みっちょは言われた通り、店の隅に座り、目を閉じた。
最初は、何も感じなかった。ただ、香草の匂いと、遠くの喧騒だけが、耳に届いていた。
「――何も感じません」
「まあ、そうだろうね。初日から何か掴めたら、それこそ苦労はない」
オルガは、興味なさそうに、自分の作業――薬草の選別を続けていた。みっちょは、少し落胆しながらも、次の日も、また次の日も、同じように店を訪れ、目を閉じて座り続けた。
◆ ◆ ◆
変化があったのは、四度目の訪問のときだった。
いつものように目を閉じていると、ふと、店の隅、薬草の乾燥棚のあたりから、これまで気づかなかった、微かな「気配」のようなものを感じた。温かく、けれど少し臆病な、そんな印象だった。
「――あそこに、何かいる気がします」
目を開けて指差すと、オルガは、初めて感心したように眉を上げた。
「ほう。早いね」
棚の陰から、小さな、風のような形をした精霊が、おずおずと姿を現した。長らくこの店に棲みついている、ごく小さな風の精霊だという。
「これまで、誰にも気づかれたことなかったのに」
オルガの言葉に、みっちょは、静かな驚きと、確かな手応えを感じていた。
◆ ◆ ◆
「気配を感じられるようになったら、次は、それに触れようとしないこと」
「触れようと、しない?」
「精霊は、こっちから掴みに行くと、逃げる。焦らず、向こうが近づいてくるのを待つんだ。あんたが、密林で迷子の友達を助けたときも――多分、そうやって、焦らず、相手のペースに合わせたんじゃないのかい」
オルガの指摘に、みっちょは、はっとした。密林でノアを探したときのことを、確かにそう伝えていた。
「精霊術の才ってのは、案外、そういう普段の生き方そのものに宿ってるもんだよ」
◆ ◆ ◆
数週間が経つ頃には、みっちょは、風の精霊と、少しずつ距離を縮めていた。まだ、言葉を交わせるわけでも、力を借りられるわけでもない。それでも、店を訪れるたびに、精霊の方から、そっと近づいてくるようになっていた。
「今日は、ここまでにしとこうか」
修行を終え、店を出る間際、オルガが、ふと言った。
「あんた、筋がいいね。焦らず、ちゃんと相手を見てる」
「まだ、何もできてない気がします」
「そう思うくらいが、ちょうどいいんだよ。焦って掴もうとする奴ほど、大抵、精霊に見放される」
その言葉に、みっちょは、少し照れながらも、確かな充実感を覚えていた。
◆ ◆ ◆
その夜、店に戻ったみっちょは、リエラに、風の精霊のことを報告した。
「――少しずつ、顔馴染みになれてる、ってことね」
「うん。まだ全然、術とかは使えないけど」
「焦らなくていいわ。わたしも、セラも、最初はみんな、そうだったから」
母の口から出た、セラの名前に、みっちょは、以前よりも自然に、温かい気持ちを抱けるようになっていた。まだ会ったことのない人。それでも、確かに、自分と同じ道を歩いた人。
窯の火を見つめながら、みっちょは、静かに思った。強さの形は、一つじゃない。ナイフを投げる手も、知識を積み重ねる頭も、そして今、少しずつ育ち始めている、この新しい繋がりも――全部、自分だけの、大切な力になっていくのだろう。




