深淵区の占い師
「精霊術のこと、詳しい人に心当たりがあるんだけど」
ある日、フィオナがそう切り出した。廃都調査の合間、みっちょが精霊に懐かれた一件を、ブロム経由でフィオナも耳にしていたらしい。
「深淵区に住んでる、変わり者のエルフでね。占い師をしながら、精霊術の研究をしているの。ちょっと癖のある人だけど、悪い人じゃないわ」
「深淵区……」
教科書でしか聞いたことのない、都市最下層の闇市区画。みっちょにとって、これまで縁のなかった場所だった。
◆ ◆ ◆
母リエラに相談すると、意外にも、あっさりと許可が出た。
「その占い師、名前は?」
「オルガ、と名乗っているらしいわ」
「――オルガ。ああ、知ってる。昔、何度か世話になったことがあるわ。変わり者だけど、精霊術の知識は本物よ」
母の知り合いだと聞いて、みっちょは少し安心した。フィン、ノアと共に、深淵区へと足を踏み入れる。
◆ ◆ ◆
深淵区は、噂に聞いていた通り、独特の雑多な活気に満ちていた。怪しげな露店、素性の知れない客引き、そこかしこに漂う、迷宮素材特有の匂い。三人は、思わず身を寄せ合うようにして歩いた。
「――ここか」
フィンが立ち止まったのは、看板もない、小さな店だった。扉を開けると、香草の匂いと、薄暗い灯りが、三人を迎えた。
「――ほう。珍しい気配が来たね」
奥の椅子に腰掛けていたのは、白髪交じりの、鋭い目つきのエルフの女性だった。年齢は、リエラよりも、ずっと上に見える。
◆ ◆ ◆
「あんたが、リエラの娘だね」
「あ、はい。ミリッサ・ティーナです」
「オルガだ。堅苦しい挨拶はいらないよ」
オルガは、みっちょの顔を、じっと覗き込んだ。それから、ふむ、と小さく唸る。
「――なるほど。確かに、精霊に好かれる質だ。しかも、かなり素直な魂をしている。こういうのは、精霊が寄ってくるのも、無理はないね」
「あの、精霊術って、どうやって身につけるものなんですか?」
みっちょが尋ねると、オルガは、少し意地悪そうに笑った。
「そう簡単に教えられるもんじゃないよ。精霊術ってのはね、技術というより――関係を築くことなんだ」
◆ ◆ ◆
「関係、ですか」
「精霊は、魔力で従わせるもんじゃない。信頼で、繋がるもんなんだよ。あんたが、精霊に対して、どれだけ誠実でいられるか――それが全てだ」
オルガの言葉は、これまでみっちょが教科書で学んできた「魔法の技術」とは、まったく違う種類のものだった。
「今すぐどうこう、って話じゃない。まずは、精霊たちと、少しずつ顔馴染みになっていくといい。この街にも、小さな精霊は、案外あちこちにいるもんだよ」
「顔馴染みに……」
「気になるなら、また来るといい。あんたの母親には、色々と貸しがあるからね。孫弟子くらいなら、見てやってもいい」
その言葉に、みっちょは思わず顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
「礼はいい。それより――」
オルガは、少し声のトーンを落とした。
「セラのことも、リエラから聞いてるんだろう。あんたが精霊術を身につけることが、いつか、あの子を救う糸口になるかもしれない。あくまで、かもしれない、だけどね」
◆ ◆ ◆
店を出ると、フィンとノアが、興奮した様子で話しかけてきた。
「すごいな、みっちょ。精霊術士への弟子入り、みたいな話じゃないか」
「まだ、弟子入りって決まったわけじゃないけどね」
「でも、これで一歩前進しただろ」
フィンの言葉に、みっちょは、素直に頷いた。深淵区の雑多な喧騒の中を歩きながら、みっちょは、オルガの言葉を、静かに反芻していた。
――技術じゃなくて、関係。信頼で、繋がるもの。
それは、これまでみっちょが、ノアやフィンとの間で、少しずつ築いてきたものと、どこか似ている気がした。強さというものが、決して一つの形だけではないのだと、改めて実感させられる出会いだった。
夕暮れの空の下、三人は、いつもの居住区への道を歩いていく。みっちょの胸の中には、新しい目標と、それに向けた、静かな高揚が、確かに芽生え始めていた。




