約束の朝
母が出発したあと、みっちょは、いつものように学校へ向かった。けれど、授業の内容は、ほとんど頭に入ってこなかった。窓の外を眺めては、遠く、頂上区の方角に視線をやることを、何度も繰り返していた。
「――大丈夫か、みっちょ」
昼休み、フィンが心配そうに声をかけてきた。ノアも、いつになく静かに、彼女の様子を窺っている。
「うん……大丈夫。ちょっと、考え事してただけ」
詳しい事情は話していなかったが、二人には、みっちょが何か大きなものを抱えていることが、伝わっているようだった。それでも、無理に問い詰めることはせず、ただ、いつも通り隣にいてくれた。その静かな気遣いが、今日は、いつも以上にありがたかった。
◆ ◆ ◆
放課後、みっちょは、まっすぐ家には戻らず、店の前に立って、ただ、母の帰りを待った。父トーマスも、店の仕込みを早めに終わらせ、娘の隣に立っていた。
「――大丈夫だ。母さんは、絶対に帰ってくる」
「うん」
言葉にすると、余計に不安が募りそうで、みっちょは、ただ短く頷くことしかできなかった。夕暮れの空が、少しずつ橙色から紫色へと変わっていく。その色の変化の一つ一つが、やけに長く感じられた。
◆ ◆ ◆
――そして、通りの向こうに、見慣れた人影が見えた。
「――母様!」
みっちょは、考えるより先に、駆け出していた。疲れた様子ながらも、しっかりとした足取りで歩いてくるリエラの姿に、涙が、堰を切ったように溢れ出す。
「みっちょ……!」
リエラも、駆け寄ってきた娘を、しっかりと抱きしめた。
「帰ってきたわ。約束通り」
「うん……うん、わかってる」
言葉にならない安堵が、みっちょの胸の中に、静かに広がっていった。
◆ ◆ ◆
その夜、店には、いつもより温かい灯りが灯っていた。無事を祝う、ささやかな夕食。トーマスが、いつになく饒舌に、リエラの好物を並べていく。
「――封印は、鎮まったの?」
食事の合間、みっちょが尋ねると、リエラは、少し疲れた笑みを浮かべながら頷いた。
「一時的にはね。でも、完全な解決には、まだ、遠いわ。セラを、本当の意味で解放する方法は――これから、時間をかけて探していくことになる」
「それでも、今は、危険は去ったんだよね?」
「ええ。少なくとも、すぐに何かが起きる心配は、なくなったわ」
その言葉に、みっちょは、ほっと胸を撫で下ろした。全てが解決したわけではない。それでも、目の前の危機が去り、こうして家族三人で食卓を囲めていることに、深い感謝を覚えていた。
◆ ◆ ◆
「みっちょ」
食後、リエラが、改めて娘に向き直った。
「あなたが集めてくれた魂の欠片、術式の中で、確かに力になってくれたわ。ありがとう」
「わたしにできることなんて、少しだったけど」
「少しじゃないわ。あなたたちが動いてくれなかったら、材料が揃うのが、もっと遅れていたかもしれない」
リエラは、娘の手を、そっと握った。
「――それに。あなたが、魂の欠片に触れて、セラの記憶に共鳴したこと。あれは、きっと偶然じゃないと思うの」
「偶然じゃない、って……?」
「あなたの中にある何かが、いつか、もっとはっきりとした形で、目を覚ますかもしれない。それが何なのか、今はまだ、わたしにもわからないけれど」
◆ ◆ ◆
その言葉の意味を、みっちょは、まだ完全には理解できなかった。それでも、母の目に浮かぶ、期待とも不安とも取れる複雑な光は、確かに、これから先に何かがあることを、静かに予感させていた。
窓の外、月明かりが、静かな居住区を照らしている。今夜は、これまでのどの夜よりも、家族の絆が、確かなものとして、みっちょの胸に刻まれていた。
「母様、父様。今日は、本当に、ありがとう」
「お礼を言うのは、こっちの方よ」
リエラが、優しく微笑んだ。窯の火が、いつも通り、静かに、けれど、これまでよりも少しだけ明るく、家族三人を照らし続けていた。
一つの大きな山は、越えた。それでも、みっちょの中には、まだ見ぬ「何か」への予感と、それに向き合うための、新しい決意が、静かに芽生え始めていた。




