鎮魂の術式
夜明け前、集合場所には、アルド、リエラ、そして先日負傷から回復したばかりの探索者を含む、四人のAランクパーティが揃っていた。誰も、多くを語らなかった。ただ、それぞれの装備を、黙々と確認するだけだった。
「――行くぞ」
アルドの短い一声で、一行は、十五年ぶりに、リエラにとっての『禁断の封印牢』へと足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆
迷宮の空気は、以前訪れた時よりも、遥かに重く澱んでいた。壁を這う黒ずんだ紋様は、記憶にあるものよりも太く、深く刻まれている。
「――思っていたより、進行が早いな」
アルドが、険しい顔で呟いた。リエラは、何も答えず、ただ、封印術士としての意識を、静かに研ぎ澄ませていた。かつての恐怖は、消えたわけではない。それでも今は、恐怖より先に、なすべきことへの集中が、彼女の心を占めていた。
最奥の祭壇に近づくにつれ、あの日と同じ、圧倒的な気配が、じわじわと空間を満たしていく。
◆ ◆ ◆
祭壇に到着すると、そこには、十五年前と変わらぬ姿で、淡い光の膜が張られていた。ただし、その光は、以前よりも明らかに弱々しく、ところどころが、まるで呼吸するように、不規則に明滅している。
「――始めるわ」
リエラは、持参した封印札を取り出し、術式の準備に入った。魂の欠片から作られた札には、みっちょたちが集めてくれた素材の温もりが、まだ確かに宿っているような気がした。
「アルド、周囲の護衛を。他の人たちは、わたしが合図するまで、決して術式に触れないで」
四人は、緊張した面持ちで頷き、リエラを中心に、祭壇の周囲に展開した。
◆ ◆ ◆
術式の詠唱が始まると、光の膜が、リエラの声に呼応するように、揺らめき始めた。
――その瞬間、リエラの脳裏に、ふと、懐かしい声が響いた気がした。
「あら、リエラ。遅かったじゃない」
幻聴なのか、それとも、封印の奥から届いた、本物の残響なのか。リエラには、判断がつかなかった。それでも、その声は、間違いなく、十五年前のあの日と、変わらないものだった。
「――待たせて、ごめんね」
誰にも聞こえないほどの声で、リエラは、静かに答えた。
◆ ◆ ◆
術式は、最終段階に差し掛かっていた。光の膜が、リエラの魔力と共鳴し、少しずつ、安定を取り戻していく。だが、その過程で、封印の奥から、抵抗するような重い圧力が、リエラの全身にのしかかってきた。
「くっ……!」
「リエラ!」
アルドが叫ぶが、リエラは、歯を食いしばりながら、術式を止めなかった。
――ここで止めたら、また、あの子との約束を破ることになる。
脳裏に浮かんだのは、昨夜、娘と交わした約束だった。絶対に、帰ってくる。その言葉が、リエラの中に、最後の力を呼び起こした。
「――鎮まりなさい」
渾身の力を込めた一言と共に、光の膜が、大きく脈打ち、そして、ゆっくりと、安定した輝きへと変わっていった。
◆ ◆ ◆
静寂が戻る。壁を這っていた黒ずんだ紋様は、完全に消えたわけではなかったが、明らかに、その勢いを弱めていた。
「――終わった、のか」
アルドが、慎重に尋ねると、リエラは、汗だくの顔で、小さく頷いた。
「一時的な鎮静は、成功したわ。ただ――」
「ただ?」
「完全な解決には、まだ遠い。これは、あくまで、時間を稼いだだけ。セラを、本当の意味で解放する方法は……まだ、見つかっていない」
その言葉に、誰も、すぐには答えられなかった。それでも、少なくとも今、都市に迫っていた直接的な危機は、確かに、遠ざけられていた。
◆ ◆ ◆
祭壇を離れる間際、リエラは、もう一度、光の膜を振り返った。
「――もう少しだけ、待っていて。今度こそ、本当に、あなたを迎えに来る方法を見つけるから」
返事はなかった。それでも、リエラの心の中には、確かに、あの明るい笑い声の残響が、優しく響いていた。
迷宮を出ると、朝の光が、眩しいほどに二人を迎えた。アルドが、静かに口を開いた。
「――お疲れ様だった」
「ええ。あなたもね」
「これから、どうする」
リエラは、少し考えてから、答えた。
「まずは、家に帰るわ。約束したの。絶対に、帰ってくるって」
その言葉には、十五年間、置き去りにしてきた過去と、これから向き合っていくという、静かな、けれど確かな決意が、込められていた。




