儀式前夜
準備が整うまでの数日間は、あっという間に過ぎていった。ギルドから届いた「魂の欠片」を使い、封印札の製作が進められているという報告を、みっちょはリエラから逐一聞いていた。
「明日、いよいよ、封印牢に向かうわ」
夕食の席で、リエラが静かに告げた。その声には、これまでのような迷いはなく、ただ、覚悟だけがあった。
「アルドたちと合流して、日の出とともに出発する予定よ」
「――うん」
みっちょは、それだけしか、言葉が出てこなかった。
◆ ◆ ◆
その夜、みっちょは、なかなか寝付けなかった。何度も寝返りを打ちながら、天井を見つめる。窓の外からは、いつもと変わらない、静かな夜風の音だけが聞こえていた。
――明日、母様は、危険な場所に向かう。
頭ではわかっていても、実感が、なかなか追いつかなかった。これまでの日々があまりにも「いつも通り」だったからこそ、その「いつも通り」が崩れることへの恐怖が、じわじわと胸を締め付けていた。
気づけば、みっちょはベッドを抜け出し、そっと厨房へ下りていた。窯の前には、先に起きていたリエラが、静かに座っていた。
◆ ◆ ◆
「――眠れないの?」
「うん。母様も?」
「わたしも」
リエラは、小さく笑った。みっちょは、母の隣に腰を下ろした。窯の残り火が、いつもより静かに、けれど確かな温もりで、二人を照らしていた。
「怖い?」
みっちょが尋ねると、リエラは、少し考えてから答えた。
「怖いわ。正直に言うと、逃げ出したいくらいに」
「それでも、行くんだね」
「行くわ。十五年間、逃げ続けてきたから。今度こそ、ちゃんと、セラと向き合いたいの」
その言葉には、恐怖を上回る、確かな意志があった。みっちょは、母の横顔を、静かに見つめた。
◆ ◆ ◆
「――ねえ、母様」
「なに?」
「わたし、いつか、母様が今、抱えてるものと同じくらい、重いものを、自分の力で背負えるようになりたい」
唐突な言葉に、リエラは驚いたように娘を見つめた。
「今すぐじゃなくていい。でも、いつか。母様が、わたしを守るためだけの人じゃなくて――一緒に、何かを背負える相手になりたいの」
リエラの目に、涙が滲んだ。それは、悲しみからくるものではなく、もっと複雑な、誇らしさと、切なさが入り混じったものだった。
「――あなたは、もう十分すぎるくらい、わたしを支えてくれているわ」
「そんな、大したこと、してない」
「してるわ。今夜、こうして隣にいてくれることも、その気持ちも――全部、支えになってる」
◆ ◆ ◆
「母様。約束して」
「なに?」
「絶対に、帰ってくるって」
その言葉に、リエラは、しばらく黙り込んでから、静かに、けれどはっきりと頷いた。
「――約束する。必ず、帰ってくる。セラを、あそこに置いたままにはしないし、あなたを一人にもしない」
二人は、しばらく、何も言わずに、窯の火を見つめ続けた。明日への不安は、消えたわけではなかった。それでも、この夜、確かに交わされた約束が、二人の間に、静かな支えとなって残っていた。
「――そろそろ、寝ましょう。明日は、早いから」
「うん」
立ち上がりかけたリエラを、みっちょは、そっと抱きしめた。母の身体は、思っていたよりも小さく、けれど、確かな温もりを持っていた。
「大好きだよ、母様」
「――わたしもよ、みっちょ」
窯の火が、静かに消えかけていた。それでも、二人の間には、明日を迎えるための、確かな灯りが、まだ残っていた。




