幕間 鎮まらぬ声
「入るぞ」
アルドの短い一声で、四人のAランク探索者たちは、二十五番迷宮『禁断の封印牢』の入り口に足を踏み入れた。ギムレの許可を得た、極めて限定的な立ち入り調査――目的は、あくまで封印の状態の目視確認に留める。深部までは踏み込まない。それが、事前に固めた約束だった。
迷宮の内部は、これまでの調査報告以上に、重く沈んだ空気に満ちていた。壁を這うように広がる、黒ずんだ紋様。かつては封印術の補強跡だったはずのそれが、今はまるで、ひび割れた傷跡のように見えた。
「――酷いな」
アルドの隣で、寡黙な剣士が呟いた。
◆ ◆ ◆
目視確認だけのつもりだった調査は、最奥に近づくにつれ、次第に予定を狂わせていった。祭壇へと続く通路の中腹で、突然、地面から這い上がるように、黒い霧が噴き出したのだ。
「退け!」
アルドの号令で、四人は後退したが、霧の一部が、一人の探索者の足に触れた。触れた瞬間、彼女は苦悶の声を上げ、その場に倒れ込んだ。
「――くそ、意識が飛んでる!」
「幻聴の影響か? それとも――」
「わからん、今はとにかく運び出すぞ!」
撤退は、想定していたよりも困難だった。黒い霧は、まるで意志を持っているかのように、通路のあちこちから追いすがってくる。アルドは、辛うじて残っていた封印術の知識を総動員し、簡易的な結界で霧を押し留めながら、仲間を先に逃がした。
◆ ◆ ◆
迷宮を脱出したのは、日が暮れかけた頃だった。倒れた探索者は、意識を失ったまま、ギルドの医療部門へ緊急で運び込まれた。
「――どういう状態だ」
ギムレの問いに、医療担当の錬金術士は、険しい顔で答えた。
「外傷はありません。ですが、明らかに、精神的な汚染を受けています。深淵の嘆きで報告されているものと、同種の症状です」
「治療法は」
「対症療法しかできません。根本的な治療には、汚染源――封印そのものを、鎮める必要があります」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。ギムレが、アルドに向かって、静かに、しかし決定的な視線を向ける。
「――これで、はっきりした」
◆ ◆ ◆
その夜、アルドは、傷ついた仲間の見舞いを終えたあと、一人で夜道を歩いていた。ギムレの言葉が、頭の中で繰り返される。
『もう、猶予はない』
これまで、リエラの平穏を守りたいという想いと、都市の危機を止めなければという責務の間で、揺れ続けてきた。だが、実際に仲間が傷つき、症状の進行が明確になった今、その天秤は、もう揺れる余地を残していなかった。
パン屋の灯りが、遠くに見えてきた。店はもう閉まっている時間だが、二階の窓には、まだ明かりが灯っていた。アルドは、しばらくその灯りを見上げたまま、立ち尽くしていた。
「――今日は、まだ話さない」
自分に言い聞かせるように、アルドは小さく呟いた。だが、その「今日は」という猶予が、あと何日続けられるのか――アルド自身にも、もう見当がつかなかった。彼は、重い足取りのまま、踵を返し、その場を後にした。




