凍てつく水牢にて
試験当日、指定されたのは五番迷宮『凍てつく水牢』だった。氷の壁で閉ざされた、透明な氷の彫像が並ぶ地――難易度D、閉所と低体温症への対策が問われる場所。教科書で読んだ記述と、実際の空気の冷たさは、やはりまるで違った。
「試験官は俺ともう一人だ。判断や動きは、逐一見せてもらう」
ブロムの隣に立っていたのは、みっちょたちも見覚えのある、ギルドの査定官だった。厳しい顔つきの、年配の人族の女性――名を、コルダというらしい。
「実技と判断力、両方見せてもらいます。行きましょうか」
コルダの淡々とした声に、みっちょたちは緊張しながら頷いた。
◆ ◆ ◆
迷宮内は、息が白く凍るほどの冷気に満ちていた。壁を埋め尽くす透明な氷の彫像――かつてこの地で命を落とした冒険者たちの成れの果てだという噂は、教科書にも小さく記されていた。
「装備の防寒、問題ないか」
「大丈夫です」
フィンが先頭を歩き、ノアが周囲の気配を探る。みっちょは、これまで通り、三人の体力とペース配分を頭の中で管理し続けていた。
「――ここまでは、順調ですね」
コルダが小さく呟くのが聞こえた。淡々とした声色から、評価がどちらに傾いているのかは読み取れない。
◆ ◆ ◆
問題が起きたのは、迷宮の中腹に差し掛かった頃だった。
「――みんな、止まって」
ノアが、耳を伏せながら鋭く言った。
「前方、氷が薄くなってる。多分、下に空洞がある」
フィンが慎重に近づこうとした瞬間、足元の氷が、ぴしり、と嫌な音を立てた。
「フィン、下がって!」
みっちょの声に、フィンが咄嗟に飛び退く。直後、氷の一部が音を立てて崩れ落ち、深い縦穴が姿を現した。穴の奥からは、これまでよりさらに冷たい空気が吹き上げてくる。
「これは……試験用の仕掛けか?」
フィンが問うと、ブロムは首を横に振った。
「いや、これは想定外だ。この時期に、ここまで氷が薄くなるのは珍しい」
コルダの表情が、初めてわずかに変わった。
「迂回しますか」
「――いえ。この先に、討伐対象の氷精霊がいるはずです。迂回路は、時間内には間に合わない」
試験官二人の間に、緊張が走る。だが、それは、あくまで試験官としての判断であり、実際に動くのは、みっちょたちだった。
◆ ◆ ◆
「みっちょ、どうする」
フィンの問いに、みっちょは大きく息を吸った。頭の中で、これまでの依頼の記憶が、次々と蘇る。密林での誘導。火口での属性弱点。流砂での重み分布。尖塔での体力管理――そのどれもが、今、目の前の状況と、少しずつ重なっていく。
「縦穴の縁は、多分まだ薄い。でも、穴の向こう側、少し盛り上がってる部分は、氷が厚そう。あそこを迂回すれば、多分渡れる」
「多分、じゃ困るんだが」
「――なら、確かめよう」
みっちょは、投擲ナイフを一本取り出し、盛り上がった氷の部分に向かって投げた。刃は跳ね返り、氷の表面に浅い傷を残しただけだった。厚みがある証拠だ。
「うん、あそこなら大丈夫だと思う。ノア、先に軽く踏んで確認して。フィンは、ノアが落ちそうになったら、すぐ支えられる位置で」
「――了解」
これまでとは違う、はっきりとした指示だった。ノアが慎重に氷を渡り、フィンがその後ろで身構える。みっちょは、最後に自分の足取りを確かめながら、二人の後に続いた。
◆ ◆ ◆
縦穴を越えた先、氷の彫像に囲まれた小さな祭壇で、討伐対象の氷精霊が姿を現した。透き通った身体に、青白い燐光をまとった、静かな佇まいの魔物だった。
「動きは緩慢だが、触れると急激に体温を奪われる。距離を保って戦え」
ブロムの声に、フィンが頷き、慎重に距離を測りながら剣を振るった。ノアが精霊の動きを読み、隙を見つけて誘導する。みっちょは、投擲ナイフで牽制しながら、二人の連携を見守り続けた。
「今!」
みっちょの合図で、フィンが最後の一撃を繰り出す。氷精霊は、静かな悲鳴とともに、砕け散るように霧散した。
静寂が戻る。誰も、大きな怪我はなかった。
◆ ◆ ◆
迷宮を出ると、外はすでに夕暮れだった。コルダが、淡々とした表情のまま、口を開いた。
「想定外の状況での判断、指示の的確さ、そして何より――お互いへの信頼。十分、見せてもらいました」
「じゃあ……」
「合格です。三名とも、正式にD帯への昇格を認めます」
その言葉に、ノアが思わず声を上げ、フィンでさえ、珍しく安堵の息を漏らした。みっちょは、しばらく実感が湧かず、ただ立ち尽くしていたが、やがて、じわじわと喜びが込み上げてきた。
「やった……やったね、二人とも!」
「ああ。お前の判断がなかったら、多分ここまで来られなかった」
フィンの素直な言葉に、みっちょは頬を緩めた。ブロムが、満足げに頷きながら言う。
「今日の試験、想定外のアクシデントがあったが――それも含めて、いい経験になったはずだ。これからは、正式にD帯の依頼が受けられる。気を引き締めていけ」
◆ ◆ ◆
その夜、店に帰ると、リエラとトーマスが、笑顔で迎えてくれた。すでにブロムから、結果の一報が届いていたらしい。
「おめでとう、みっちょ」
「うん……ありがとう、母様、父様」
祝いの食卓には、いつもより少し豪華な料理が並んでいた。ノアとフィンも招かれ、賑やかな夜が更けていく。
みっちょは、その温かな光景を眺めながら、静かに思った。ここまでの道のりは、決して平坦ではなかった。それでも、一つ一つの依頼と、一つ一つの積み重ねが、確かに自分たちを、少しだけ前に進めてくれた。
D帯――まだ、道のりの、ほんの入り口に過ぎない。それでも今夜だけは、この小さな達成を、胸いっぱいに味わいたいと、みっちょは思った。




