頂上区の使い
「みっちょ、悪いんだけど、中央区の魔導具屋まで、これを届けてくれる?」
店の仕込みを終えたある朝、母に頼まれたのは、いつもより少し珍しい使いだった。手渡された小箱には、店で使う魔石ランプの修理を依頼していた品が入っている。受け取り先は、中央区でも上寄り――頂上区との境に近い、魔導具の専門店だった。
「なんで、いつもと違うお店なの?」
「いつもの店主が体調を崩してて、しばらく代わりに、そっちで扱ってもらってるのよ」
「わかった、行ってくる」
軽い気持ちで、みっちょは店を出た。中央区の上寄りに足を運ぶのは、これが初めてではなかったが、いつもより緊張感のある空気を、なんとなく肌で感じていた。
◆ ◆ ◆
魔導具屋は、これまで見てきたどの店よりも洗練された佇まいをしていた。磨き上げられたガラス棚に、精緻な魔導具が並んでいる。店員も客も、その多くがエルフだった。
「あの、修理を頼んでいたランプの、受け取りに来ました」
「ああ、少々お待ちを」
店員は事務的な口調で奥に下がっていった。待っている間、みっちょはふと、隣にいた二人の客の会話が耳に入ってしまう。
「――あの子、見て。パン屋の使いなんですって」
「ああ、あの、人族と結婚したっていう。噂には聞いていたけれど」
ひそひそとした声には、隠しきれない侮蔑の色があった。みっちょは、聞こえていないふりをするしかなかった。慣れているつもりでも、こうして直接向けられると、胸の奥がちくりと痛む。
「エルフの血が、勿体無いこと。魔導の才を、パン捏ねに使うなんて」
その一言に、みっちょは思わず拳を握りしめた。母の生き方を、これまでちゃんと理解していたわけではなかった。それでも、こんな風に軽んじられる筋合いはない、と、はっきりと思った。
◆ ◆ ◆
「お待たせしました。こちらが、修理済みのランプになります」
店員から品を受け取り、みっちょは店を出た。外の空気を吸っても、胸のざわつきはなかなか収まらなかった。
「――なんだ、その顔は」
不意にかけられた声に振り向くと、そこにはガレン先生が立っていた。休日らしく、いつもの教師然とした格好ではなく、簡素な私服姿だった。
「先生……こんなところで」
「知り合いの見舞いだ。それより、何かあったのか」
促されるまま、みっちょは先ほどの出来事を、ぽつりぽつりと話した。ガレン先生は、黙って耳を傾けていたが、話が終わると、静かに言った。
「――お前の母さんのこと、俺は詳しくは知らん。だが、少なくとも、あの手の連中の物差しで、人の価値を測る必要はない」
「わかってるつもり、なんですけど」
「わかってるつもりと、本当にわかってるのは、違う」
ガレン先生は、少し離れた場所を見つめながら続けた。
「俺も昔、探索者だった頃、才能がある奴、家柄がいい奴、山ほど見てきた。だが、最後まで現場に残った奴は、そういう連中じゃなかった」
「じゃあ、誰が残ったんですか」
「――地道に、諦めなかった奴らだ」
その言葉は、これまでみっちょが積み重ねてきた日々を、静かに肯定してくれるものだった。
◆ ◆ ◆
店に戻る道すがら、みっちょは先ほどの言葉たちを、何度も心の中で繰り返していた。魔導の才を無駄にしている、という侮蔑。それでも、母が選んだパン屋の暮らしは、決して劣ったものではない。むしろ、その中で培われたものが、今の自分を支えている。
店に着くと、リエラが窯の前で、いつも通り忙しく働いていた。
「お帰り。ランプ、無事に受け取れた?」
「うん。ちゃんと直ってた」
みっちょは、先ほどの出来事を話すべきか、少し迷った。けれど、今はまだ、その必要はない気がした。代わりに、いつもより少しだけ、はっきりと言葉にした。
「母様。わたし、このお店で育ったこと、すごく良かったと思ってる」
唐突な言葉に、リエラは一瞬きょとんとしたあと、優しく微笑んだ。
「――急に、どうしたの」
「なんとなく。ただ、伝えたくなっただけ」
窯の火が、いつも通り、静かに揺れていた。みっちょは、その炎を見つめながら、自分の中に芽生えた、小さいけれど確かな誇りを、そっと胸にしまい込んだ。




