中央区の収穫祭
年に一度の収穫祭は、迷宮都市ラビリントスにとって、数少ない「迷宮を忘れられる日」だった。中央区の広場には、居住区からも深淵区からも、あらゆる種族の露店が並ぶ。今日ばかりは、頂上区の役人でさえ、串焼きの匂いに誘われて顔を出すという噂だった。
「三日月亭」のパン屋も、毎年この祭りに出店している。今年は、みっちょの提案で、いつもより少しだけ変わった品を並べることになった。
「発光胞子パン……本当に売れるかな、これ」
「見た目がちょっと光ってて、面白いと思うんだけどな」
先日の依頼で余った発光胞子を、母リエラが工夫して生地に練り込んだものだった。焼き上がったパンは、切り口がほのかに淡い光を放つ、少し不思議な一品になっていた。
「ラビリントスらしい商品だと思うわ。それに――発光胞子には、微量だけど滋養強壮の効果もあるのよ」
リエラが目を細めながら言うと、トーマスが苦笑した。
「お前が言うと、妙な説得力があるな」
◆ ◆ ◆
「みっちょー!」
店先に、元気な声で駆け寄ってきたのはノアだった。今日は探索者としてではなく、ただの祭りの客として、普段着姿で現れている。
「ノア、手伝いに来てくれたの?」
「もちろん! あと、これ見て。露店で射的やったら、当てちゃった」
得意げに掲げたのは、粗末な作りの木彫りの動物人形だった。決して精巧とは言えない代物だが、ノアの誇らしげな顔に、みっちょは思わず笑ってしまった。
「上手だったんだね」
「索敵の勘、こういうところでも役に立つんだな……って、これ迷宮と関係ないか」
「関係あるよ。ノアの目がいいのは、本当のことだから」
照れくさそうに耳を伏せるノアの隣に、少し遅れてフィンもやってきた。いつもの探索用の装備ではなく、こちらも街着姿だ。
「なんだ、その光るパン」
「発光胞子パン。食べてみる?」
差し出されたパンを、フィンは怪訝そうに見つめてから、思い切ったように一口かじった。しばらく咀嚼したあと、意外そうな顔になる。
「――普通に、うまいな」
「でしょ?」
みっちょが胸を張ると、フィンは何か言いかけて、結局「まあな」とだけ呟いて、もう一口かじった。
◆ ◆ ◆
店番の合間を縫って、三人は連れ立って祭りを見て回った。中央区の広場は、いつもの静謐な雰囲気とは打って変わって、色とりどりの旗や提灯で賑わっている。
「あそこ、鍛冶ギルドの出店だ。武器の模擬試打ができるって」
フィンが指差した先には、見覚えのある顔があった。ブロムが、屋台の奥で忙しそうに武器を並べている。
「お、お前らか」
「ブロムさんも出店するんですね」
「毎年恒例だ。祭りの間に、若いのに武器の手触りを知ってもらう。商売と教育、両方兼ねてる」
ブロムは無愛想に言いながらも、みっちょたちに新しい投擲ナイフをいくつか手渡した。
「これは今度の依頼で使う分の試作品だ。祭りついでに感触見とけ」
「いいんですか、こんな場所で」
「祭りだからこそだ。緊張感のない場所で、道具に慣れておくのも大事なんだよ」
その言葉通り、みっちょは屋台脇の的に向かって、気楽な気分でナイフを投げた。刺さった位置は、以前よりも中心に近い。
「――お、腕上げたな」
ブロムの短い一言に、みっちょは思わず頬を緩めた。
◆ ◆ ◆
陽が沈み始めると、広場には篝火が灯され、祭りは一段と賑やかになった。三人は少し疲れた足を休めるように、広場の端の階段に並んで腰を下ろした。
「なんか、今日一日、迷宮のこと考えなかったな」
ノアがぽつりと呟くと、フィンも小さく頷いた。
「たまにはいいんじゃないか。ブロムも言ってただろ、緊張感のない時間も大事だって」
みっちょは、二人の顔を交互に見ながら、静かな満足感に包まれていた。ランクアップの試験、母の抱える過去、店の経営――抱えているものは何一つ減っていない。それでも、こうして仲間と並んで、篝火の揺らめきを眺めているだけの時間が、ひどく大切なものに思えた。
「二人と、こうしてパーティ組めてよかった」
不意にこぼれた言葉に、ノアは照れたように笑い、フィンは相変わらず素っ気なく、けれどまんざらでもなさそうに肩をすくめた。
「――まあ、悪くはないな」
篝火の音が、パチパチと静かに響く。三人の影が、揺れる炎の光の中で、寄り添うように長く伸びていた。まだ知らない試練が、この先いくつも待っているのだろう。それでも今は、ただこの穏やかな夜を、胸に刻んでおきたいと、みっちょは思った。




