1-5 奉納舞
今回は、少女の冬祭りでの出来事です。
1-5
冬祭りの会場は、すでに大勢の人で賑わっていた。
青空の下。
色とりどりの布や旗が風に揺れ、音楽と人々のざわめきが広場を満たしている。
焼いた肉や甘い菓子の香り。
香料や酒の匂い。
熱気を帯びた空気。
少女は馬車を降りた瞬間、足を止めた。
(場違いな場所に来てしまったわ……)
胸が、わずかに縮む。
喧騒の中、自分だけが浮いているようだった。
思わず後ずさりかける。
だが――
視線の先に、舞台が見えた。
広場の中央。
高く設けられた舞台では、すでに何組かが舞っている。
観客たちの視線が集中し、音楽が絶え間なく流れていた。
少女は、小さく息を吸う。
(……ここまで来たんだから)
そう思い直し、顔を伏せた。
義母や義妹に見つかってはいけない。
袖で口元を隠し、人混みに紛れるように歩く。
奉納舞の受付を見つけた。
前の参加者を真似て番号札を受け取り、腰へ結びつける。
そこで初めて、自分が「参加者」になったことを実感した。
少女は列の端へ紛れ込む。
周囲は華やかだった。
同じような衣装を着ているはずなのに、自分だけが馴染めない気がする。
鼓動が速い。
耳の奥で心臓の音が響く。
めまいと吐き気も、じわりと広がっていく。
それでも。
(ここまで来れた……)
その事実だけが、少女を支えていた。
やがて前の組が終わる。
少女たちの番だった。
最後の組だ。
数名の女性たちと共に舞台へ上がる。
階段を一段ずつ踏みしめるたび、足裏へ硬さが伝わった。
舞台は、思っていたより広い。
観客の視線が、一斉に向けられる。
その重さに、身体が強張る。
少女は静かに息を整えた。
(精いっぱい踊れますように……)
願いは、それだけだった。
音楽が流れる。
少女は、一歩を踏み出した。
その瞬間――
身体の奥で、何かが弾けた。
足が自然に動く。
重さが消える。
音楽が、耳ではなく身体そのものへ流れ込んでくる。
余計な思考が消えた。
指先まで意識が通る。
呼吸と動きが、一つになる。
他の演者も、観客も、目に入らない。
真っ白な空間で、自分だけが舞っているようだった。
(まるで、導かれているみたい……)
少女は、ただ音に身を委ねる。
やがて曲が終わる。
動きが止まる。
その瞬間、意識が現実へ引き戻された。
広がる静寂。
観客たちの視線が痛い。
(何か、間違えた……?)
次の瞬間。
会場が歓声と拍手に包まれた。
少女は立ち尽くしたまま動けない。
何が起きたのか理解できなかった。
他の演者たちと共に舞台を降り、ふらつきながら受付へ向かう。
だが、その途中で優秀者の番号が呼ばれた。
少女の番号だった。
(私……?)
現実感がないまま、再び舞台へ戻る。
舞台には、男性側の優秀者も立っていた。
少女は、その姿を見た瞬間、息を呑む。
歳は、自分と同じくらいだろうか。
成人したばかりにも見えた。
貴族か大商家の者なのだろう。
整えられた衣装。
洗練された立ち姿。
端正な顔立ち。
そして――穏やかな目。
彼は、静かに少女を見つめていた。
「――ッ」
胸の奥へ、熱が走る。
先ほどとは違う鼓動が、胸を打つ。
頬が熱い。
少女は慌てて視線を逸らした。
音楽が再び始まる。
二人は同時に踏み出した。
その瞬間、再び身体の奥が弾ける。
だが今度は違った。
自分一人ではない。
白い空間の中に男性もいる。
互いの呼吸が、自然と重なる。
意識していないのに、動きが噛み合う。
距離が離れても、不思議と近く感じる。
視線が絡み合う。
相手の次の動きが分かる。
まるで、ずっと前から共に舞ってきたようだった。
周囲の音が遠ざかる。
時間の感覚も曖昧になる。
(世界に、二人だけみたい……)
その感覚を、互いに共有していることが分かった。
やがて音楽が終わる。
現実が戻る。
直後――
会場が割れんばかりの歓声に包まれた。
少女は息も整えられず、ただ立ち尽くす。
隣の彼と視線が合う。
自然と、二人は微笑み合っていた。
少女は、自分が笑っていることに気づき、わずかに目を見開く。
そんなふうに笑ったのは、いつ以来か分からなかった。
二人は舞台中央へ進み、観客へ頭を下げる。
その時。
隣から、静かな声が聞こえた。
「……君を、迎えたい」
落ち着いた声だった。
だが少女には、それが求婚だと直感的に分かった。
身体がわずかに揺れる。
一瞬、喉まで言葉が込み上げた。
(私も……)
だが次の瞬間。
現実が押し寄せる。
小屋で眠る自分。
粗末な服。
残り物の食事。
叱責に怯える毎日。
そして今、自分が纏っている衣装。
(全部、偽りだ……)
胸が冷えていく。
(私は、この人を騙してる……)
「――っ」
少女は俯いた。
「……申し訳、ありません」
震える声。
「あなたと私では……釣り合いません……」
それ以上は言えなかった。
涙が込み上げる。
ただ、ひたすら胸が痛む。
彼の視線だけが、強く刺さった。
だが彼は、何も言わなかった。
少女は、そのまま舞台を離れる。
顔を伏せ、人混みを抜け、出口へ向かう。
視界が滲む。
呼吸が苦しい。
頭痛。
めまい。
吐き気。
すべてが一気に押し寄せる。
「……通してください……」
小さな声で繰り返しながら、少女は会場を抜けた。
外の冷たい空気を吸い込む。
それでも胸の苦しさは消えない。
少女は、一番早い帰りの馬車へ飛び乗った。
とにかく、この場所から離れたかった。
扉が閉まる。
その瞬間、全身から力が抜けた。
祭りの歓声が、遠く遠く聞こえる。
意識だけが、もう家へ戻ろうとしていた。
馬車は、そのまま会場を離れていった。
次回【1-6 壊れていく身体】は、本日19時に公開予定です。




