1-4 冬祭り
今回は、少女が薬に慣れてきて、「冬祭りに行きたい」と願う場面です。
1-4
しばらくすると――
少女は、二粒を常用するようになっていた。
薬が切れ、日常へ戻る。
理不尽な辛さに耐えられず、また飲む。
その繰り返しだった。
いくら飲んでも、薬は減らない。
常に、同じだけ残っている。
最初は不気味に思った。
だが、服用への抵抗と同じように、その違和感も少しずつ薄れていく。
もう躊躇は、ほとんど無かった。
朝の支度の前。
あるいは仕事の合間。
薬が切れたと感じた瞬間、少女は自然と物置へ向かう。
それは、いつしか数日おきの習慣になっていた。
ただ――
効き目は少しずつ鈍くなっていた。
最初の頃のような、劇的な変化は感じにくい。
(……幸せに慣れてきたのかしら?)
そんな不安も、時折浮かぶ。
それでも――
怒鳴られずに働き、普通に食事ができる。
それだけで呼吸が楽だった。
少女は、その安堵を手放せなかった。
冬が近づいていた。
朝の空気はさらに冷え込み、吐く息も濃く白くなる。
街の雰囲気も、少しずつ変わり始めていた。
布や飾りを売る店に人が増え、あちこちから歌や楽器の音が聞こえる。
すべては、冬祭りのためだった。
新年の始まりに、森へ祈りを捧げる祭り。
会場は、“魔の森”の手前にある広場だ。
森の向こうには隣国があり、そこは両国の緩衝地帯になっている。
昔、争いを繰り返す人々に怒った神が森を作った――
そんな伝承が残っていた。
森には“魔狼”と呼ばれる巨大な狼が棲む。
木々は異様に高く、昼でも薄暗い。
無断で踏み入った者は、生きて帰れない。
子どもたちは、そんな話を聞いて育つ。
そして冬祭りは、森への感謝と敬意を示す祭りでもあった。
歌や踊り、収穫物が奉納される。
中でも最も注目されるのが、“奉納舞”だった。
広場の舞台で、年頃の男女が舞を捧げる。
特に、優秀者の舞は「祝福の舞」とされ、良縁に恵まれる――そう信じられていた。
冬祭りは、毎年交互に開かれる。
今年は、自国側での開催だった。
少女も、幼い頃は祭りへ行ったことがある。
今は亡き母に手を引かれ、人混みの中を歩いた。
音楽。
笑い声。
並ぶ屋台。
まるで別世界だった。
離れないよう母の手を握りしめながら、目を輝かせていた記憶がある。
母の舞も覚えている。
かつて奉納舞の優秀者だったと、誇らしそうに話してくれた。
柔らかく、それでいて芯のある動き。
流れるような舞。
少女は夢中になり、何度も教えてもらった。
両親の前で披露し、褒められたことも覚えている。
(いつか、自分も母みたいに――)
そう思っていた。
母の形見の簪も、今も物置の奥へ隠してある。
寂しい時、何度も取り出して眺めていた。
だが、いつからか――
寂しいと感じることすら、無くなっていた。
(……心が死んでいたんだ)
今の自分には、衣装もない。
化粧道具もない。
舞を練習する時間もない。
夜は疲れ果て、眠るだけ。
ここ数年、祭りの開催すら意識していなかった。
(もう、自分には関係ないもの……)
そう思っていた。
だが――
今の少女には、願いを叶える薬がある。
(今年こそ、参加したい……!)
胸の奥に、小さな熱が生まれる。
少女の手は、自然と袋へ伸びていた。
物置の奥から取り出し、掌へ三粒落とす。
今までより、一粒多い。
『今は、一度に二粒ほどにしなさい――』
あの言葉が脳裏をよぎる。
だが少女は、小さく呟いた。
「……ほんの少しだけ」
言い訳をするように。
そして、そのまま三粒を飲み込んだ。
いつもより強い熱が、身体の奥へ沈んでいく。
それから、生活はさらに変わった。
仕事量が減る。
以前なら三つ四つ同時に命じられていた作業が、一つか二つになる。
布団も新しくなり、以前より眠れるようになった。
食事も改善され、空腹を感じることが減る。
ただ――
時折、頭痛がした。
めまい。
耳鳴り。
身体の芯が熱を帯び、妙に体が軽くなる時もある。
その後、強い疲労感が来る。
違和感はあった。
だが少女は、大して気にしなかった。
それ以上に、得ているものが大きいからだ。
夜。
家族が寝静まった後。
少女は、そっと小屋を抜け出す。
そして、誰にも見られない場所で、舞を練習した。
最初はぎこちなかった。
だが身体は覚えていた。
母の動き。
足運び。
手の角度。
呼吸。
繰り返すたび、少しずつ形になっていく。
(これなら、冬祭りまでに間に合う……)
衣装も化粧も無い。
それでも、舞台で踊るくらいならできるかもしれない。
少女の期待は、少しずつ膨らんでいった。
だが――当日。
少女は、例年通り留守番を命じられた。
「今日は来客があるから、残りなさい」
淡々とした命令。
逆らう余地はない。
貴族から届く衣装を仕立て直せ、とだけ言われる。
「あの……私……」
少女は勇気を振り絞って口を開く。
(今年だけは、お祭りへ行きたい……)
だが、義母を前にすると言葉が出ない。
「あなたに祭りは関係ないでしょう?」
「そんな格好で行くつもりじゃないわよね?」
少女は俯き、黙るしかなかった。
義妹の支度を手伝わされながら、自分の準備は許されない。
頭痛がした。
めまいと耳鳴りも続く。
やがて家族が出発し、静寂だけが残った。
少女は、その場に立ち尽くす。
(結局、何も変わらない……)
(望めば失うだけ……)
胸の奥が、冷えていく。
荷物は、すぐ届いた。
立派な貴族の衣装。
布地は滑らかで、触れるだけで違いが分かる。
少女は、その布をそっと撫でた。
(こんな衣装を着て、舞いたかった……)
気づけば、身体が動いていた。
義妹の化粧道具を使い、慣れない手で顔を整える。
鏡に映る自分が、別人のようだった。
髪を整え、母の簪を挿す。
衣装をまとい、靴を履く。
そして――
家の中で、一人静かに舞った。
頭の中の音楽に合わせて。
それだけで、胸が少し満たされる。
(これが、私の精一杯なのね……)
その時だった。
ふと、誰かに呼ばれた気がした。
はっきりした声ではない。
それでも妙に気になる。
少女は恐る恐る裏口から外へ出た。
街は驚くほど静かだった。
店は閉まり、人影も少ない。
皆、祭りへ向かっているのだ。
いつもと違う街。
そして、いつもと違う自分。
少女は、ふと小さく笑った。
「……ふふっ」
理由は分からない。
ただ、少しだけ自由だった。
まるで別世界へ迷い込んだような気分のまま、少女は歩き出す。
しばらくすると、遠くから馬車の音が聞こえてきた。
少女は、すぐ道の端へ寄る。
(邪魔になってはいけない……)
だが――
馬車は、少女の前で急停止した。
「よかった! 貴族のお嬢さんを乗せ忘れたら大変だ!」
御者が大声で言う。
少女は、一瞬言葉を失った。
「いえ、私は……」
そう否定しようとした瞬間。
「祭り行きの最終馬車ですよ! 急いで!」
言葉を遮るように叫ばれる。
「――っ!」
強い声に、身体が反射的に動いた。
気づけば、馬車へ乗り込んでいる。
扉が閉まり、馬車はすぐ走り出した。
(どうしよう……)
そう思いながら、少女は座席で身を縮めるしかなかった。
次回【1-5 奉納舞】は、明日7時に公開予定です。




