1-2 白い夢の中で
今回は、少女が「不思議な薬」を手に入れたお話です。
1-2
ある夜。
少女は、深く眠っていた。
身体の疲れが抜けきらないまま、意識だけが沈み込んでいく。
いつもは物音に怯え、何度も目を覚ましてしまう。
だがその夜は違った。
久しく感じていない、静かな眠り。
気がつくと――
少女は、光の中に立っていた。
(……ここは、夢?)
どこまでも白い世界。
足元に影はなく、地面と空の境目も曖昧だった。
自分だけが、ぼんやり浮かんでいる。
柔らかな光だけが満ちていた。
寒くも暑くもない。
風もない。
音もない。
自分の呼吸すら、感じなかった。
『……珍しいね』
声が響いた。
耳からではない。
頭の内側へ、直接触れるような感覚。
少女はゆっくり顔を上げた。
先に届いたのは、“誰かいる”という気配だけだった。
(よく……見えない……)
焦点が合わない。
『其方の心の中には、「無」だけだ……』
次の瞬間、急に視界がはっきりした。
いつの間にか、目の前に誰か立っている。
だが、見えているはずなのに、よく分からない。
男とも女ともつかない。
年齢も分からない。
輪郭だけが曖昧に揺れていた。
それでも――
自然と背筋が伸びる。
恐れ多くて、目を合わせられない。
魂の奥が、震えていた。
その存在の言葉は、頭へ直接流れ込んでくる。
言葉というより、イメージに近かった。
『……本来、人は、心に光(陽)と闇(陰)を持つ』
静かな声。
『光が強ければ、相手を想い、愛し――』
『闇が強ければ、相手を妬み、憎む……』
淡々とした響き。
『その強さは一定ではなく、時に混ざり合う』
『その混ざりの中で、人は――』
『喜びに揺れ、怒りに震え、哀しみに沈む……』
言葉が、ゆっくりと頭に降り積もっていく。
(よく……分からない……)
理解が追いつかない。
しばし沈黙が落ちた。
『……光と闇、それ自体に善悪はない』
『どう行動するか――それが重要だ』
『己の意思で選び、その責任を持つこと……』
少女は答えられない。
何も浮かばなかった。
ただ、頭の奥だけが必死に動いている。
『しかし――』
その瞬間。
少女の魂が、強く震えた。
『其方の心の中には、何も無い……』
『喜びも、怒りも、哀しみも――』
『想いも、妬みも無い……』
『そう――光と闇すらも……』
責める響きではなかった。
ただ、どこか痛々しく、哀しい。
少女は何も言えない。
反論の言葉すら浮かばなかった。
『――其方の心には』
『……生きる意思すら、感じない――』
胸が痛くなる。
責められているわけではない。
それでも、何かを突きつけられた気がした。
(そんなことは、ない……)
少女は胸の奥を探る。
何かあるはずだと。
だが――
何も見つからない。
【ただ一日が、静かに過ぎればいい】
浮かんだのは、それだけだった。
心が空っぽなのを、自分でも理解してしまう。
(気づきたくなかった……)
その存在は、静かに少女を見つめていた。
やがて、溜め息のような響きが落ちる。
『……其方の願いを、教えなさい』
「……願い……」
少女は、わずかに口を開いた。
だが、すぐ閉じる。
何も浮かばない。
何かを望む感覚そのものが、分からなかった。
考えようとするほど、頭が真っ白になっていく。
長い沈黙。
時間の感覚は無い。
それでも、“長い”と感じるほどだった。
やがて少女は、小さく答える。
「……分かりません」
かすれた声だった。
いや、震えていた。
(怒らせてしまったかもしれない……)
反射的にそう思う。
少女は恐る恐る顔を上げた。
だが、その存在に怒りはなかった。
ただ、どこか寂しそうだった。
『……そうか』
短い言葉。
否定も責めも無い。
ただ、静かな沈黙だけが残る。
柔らかな光が、余計に胸を締めつけた。
『……ならば、分かった時に叶えよう』
少女は、わずかに首を傾げる。
意味が分からない。
問い返す前に、その存在は小さな袋を差し出した。
いつ取り出したのかも分からない。
布の袋だった。
『願いが分かった時に、飲みなさい……』
少女は、ためらいながら受け取る。
布越しに、かすかな温もりを感じた。
紐を少し緩める。
中には、淡く光る粒。
呼吸するように、ゆっくり明滅していた。
少女は思わず息を呑む。
『飲んだ分だけ、願いは強く叶う……』
『ただし――』
ほんの少しだけ、声が低くなる。
少女の身体が強張った。
『今は、一度に二粒ほどにしなさい』
『欲張れば、体がもたない……』
脅す口調ではない。
だが逆らえない重みがあった。
少女は、小さく頷く。
それを見て、その存在も静かに頷いた。
どこか満足そうだった。
『それと――』
少女は反射的に身構える。
だが、続いたのは穏やかな響きだった。
『其方は、生きている……』
『どんな世界でも――』
『楽しいことは、探せるはずだ……』
世界の光が、わずかに揺らぎ始める。
言葉の輪郭も、少しずつ崩れていく。
『暗い闇に身を委ねず――光を信じて生きなさい』
『其方が、光の道を歩むことを願っている……』
意味は、よく分からなかった。
それでも、その言葉だけは胸の奥へ沈んでいく。
少女は何も言えないまま、袋を握りしめる。
(楽しいこと……)
(そんなもの、知らない……)
そう思った瞬間――
光が一気に溢れた。
視界が白に呑まれる。
輪郭が溶け、すべてが消えていく。
次の瞬間。
少女は目を覚ました。
見慣れた天井。
冷たい空気。
いつもの朝。
だが――
少女の手には、小さな袋が握られていた。
夢で見たものと、まったく同じ袋。
少女は、しばらくそれを見つめていた。
(……現実感がない)
手を開き、閉じる。
それでも袋は消えない。
夢ではないと理解するまで、少し時間がかかった。
次回【1-3 小さな願い】は、明日7時に公開予定です。




