第一章:第三十六話 刃を並べて
文を懐にしまうと、高虎は小春に向き直る。その顔は眉間に皺を寄せて不機嫌そうだ。
「下級武士の名前までいちいち覚えられないというのはわかるが、自分から協力を仰いだ者のことまで記憶にないとはな」
「ご、ごめん。まさか文をくれるとは思わなくて。あなただって知らなかったの」
「気づいてなかったのか?」
「名前聞いてなかったし。藤堂高虎って誰だろうってずっと考えてた。勝手に爽やかで物腰柔らかいオトナの雰囲気をしたイケメンを想像してたよ」
「すまんな、取るに足らない身分の下っ端中の下っ端でいるのかいないのかわからない存在の手ぬぐいみたいな使い捨ての下級武士で」
「ほんと根に持ってるんだね、それ!」
執念深いというか負けず嫌いというか、高虎のその性格ゆえに、彼は今この戦場にいる。やはり吉継に協力を仰いだ方がよかったかもと頭に浮かんだ。
出世してもらっては歴史に名が残ってしまう。長政の件、高虎には歴史の裏でこっそり動いてもらいたい。まあ、それにはまず小春が未来から来たという話を信じてもらわなければいけないのだが。
「手ぬぐいのような広い心で許せないの?手ぬぐいくんだけに」
「あんた、手ぬぐいのことを馬鹿にしてるだろ」
「してないよ。手ぬぐいのことは」
「俺のことは馬鹿にしてるのか」
「してない、してない……」
これ以上続けると面倒くさいと思った小春は、話題を変えることにした。
「それより、助けてくれてありがとね」
「長政様の姪だ。助けぬわけにはいかないだろう。しかし仮にも姫のあんたが、戦場にいていいのか?上洛の供をしているとは思ったが、まさか出陣しているとはな」
「それが信長の望みだからね」
「戦えるのか?」
「うーん、戦えるって言っていいのか微妙なんだけど、一応稽古はしてる。心許ないけど」
ふと思い出し、背中のリュックを下ろして中を探る。
「でも自分で考えたはったりとか不意打ち作戦はあるよ。まだ試してないけどね……例えば、これ」
「何だ?……ッ!?」
小春はリュックから取り出した制汗スプレーを高虎の目の前で噴射して見せた。戦場の空気に、柑橘系の香りが不自然に広がった。
「びっくりした?」
「すごい匂いだ……」
「種類によっていろんな香りがあるの。花とか石鹸とか、無香料もある。ちなみにこれは爽やかオレンジピールの香りね」
「香の類いか……?どこで手に入れた?」
「未来から持って来た」
そう言うと、高虎はきょとんとした顔をした。
「私が未来から来たって証拠は何だ、って訊いたよね。これ証明にならない?今日は他にもいろいろ持ってきてるの。……後で見せてあげるね」
小春はリュックを背負い直し、ある方を見た。後で、と言った意味をすぐに理解した高虎は、小春と同じ方を向く。
「ああ……見せてもらうぞ。あんたが未来から来たって証拠を。ここを切り抜けた後でな」
刀を構え、高虎が見据える先には、敵と思われる兵士が三人。槍を構え、松明を持っている。
「小春、援護しろ」
「了解!」
高虎より先に小春が走り、兵士に向けて制汗スプレーを噴射する。未知との遭遇に彼らは驚き、動きが止まった。その隙を見逃さず、小春のすぐ後ろに控えていた高虎が次々に敵の身体を斬る。だが傷が浅かった。血を流しながらも槍を振り上げ、高虎を襲う。それを受け止め、睨み合う高虎の背後に、槍と松明を持った手が迫った。
「高虎!」
小春の声に得物を交えたまま高虎が振り返る。気づいたものの、避けられない――
無我夢中で走り、小春は松明の火に向かって制汗スプレーを吹きつけた。爆発音がして炎が広がり、兵士の手から松明が落ちる。
状況が理解できずに敵どころか高虎も驚き固まった。だがすぐ我に返ると、対峙する相手を斬り、振り返り様に隙だらけの兵士の腹に刀を突き刺した。最後に腰が抜けてしまっている者を斬ると、高虎は小春に詰め寄った。
「今のはなんだ……!?」
驚きからか、高虎の表情は強張っている。
「あんた、何をした!?その香から火が出たぞ!」
「これ火に近づけると引火するの」
「……未来ではそんな危険なものになっているのか、香は」
「人に向けてやらないこと。良い子はもちろん、悪い子も普通の子も真似しちゃダメだからね」
「……あんた、今人に向けたよな?」
「私と高虎が危なかったからね」
とは言ったものの、絶命した兵士を見ると、なんとも言えない気持ちになる。やらなければこちらが死んでいた。正当防衛、と言っていいのかはわからない。高虎がやったとはいえ、小春もしっかり手を貸している。彼らが死んだのは自分のせいだと言われても過言ではない。
「おい。何をしてる」
敵兵に向かって手を合わせる小春を、高虎は怪訝な顔をして見た。
「敵相手に緩いことを」
「そうかもしれないけど……」
「あんた、この先どれだけの人間にそうする気だ。いちいちやってたらキリがないぞ」
溜め息混じりに高虎が言った時。
「高虎。こんなところにいたのか」
向こうから白い衣服を身に纏った人物が歩いて来る。
「あ。確かあなたは、大谷吉継」
「覚えていてくださって光栄です、姫様」
「お前たち、知り合いか?」
「うむ。お市様のお輿入れの際に話しをした」
やはりどこか綺麗な顔立ちをしている。物腰も柔らかく、知的でオトナの雰囲気をしている吉継を見て、小春は小さく呟いた。
「……吉継の方が運命の人に近い」
「そう言うな、小春。高虎がかわいそうだ」
「うえっ!?聞こえてた……!?」
独り言のつもりがしっかり聞かれていて慌てる小春を見て、吉継の目には愉しそうな感情が浮かんでいた。




