閑話:聖女の交渉術、あるいは届かぬ真実
カシアンの過保護は、もはや物理的な「制限」の域に達していた。
私の部屋からは、ペンや針といった尖ったものがすべて没収された。
指を少し動かそうものなら、扉の前に控える重装騎士が「奥様、お命を削らないでください!」と涙ながらに突っ込んでくるのだ。
(…… このままだと、不便すぎて逆にストレスで死ぬわ。 安眠環境を整える前に、生活環境が原始時代に逆戻りじゃない……)
私はついに、カシアンを自室に呼び出した。
交渉の場に現れた彼は、憔悴しきった顔で私の手を取り、今にも消えてしまいそうな幻を見るような、痛ましげな瞳で私を見つめてきた。
「リゼット、頼む。もう奇跡を起こさないでくれ。 バルトの調べによれば、その指を動かして世界の理を書き換えるたびに、君の魂がどこかへ削り取られてしまう可能性があるのだ……」
「あの、旦那様。少しお話しが……。 昨日のことは、その、別に魂がどうとかではなくてですね」
「わかっている! 君はいつも自分を後回しにする!」
(いや、聞いて)
私は口を開きかけたが、カシアンの悲痛な叫びに遮られた。
「ああ、言葉を紡ぐことさえ、今の君には苦痛なのか……! 顔色がそんなに白いではないか!」
カシアンが私の頬を、壊れ物に触れるように撫でる。
違う。
これは外にでない引きこもり生活を以前から続けていたせいで、決して命が透けているわけではない。
説明しようと身を乗り出した瞬間、急に立ち上がったせいで軽い立ちくらみが私を襲った。
「リ、リゼット!?」
カシアンが慌てて私を抱きとめる。
(…… ただの貧血……! )
「やはり、命の灯が……! 立てぬほどに消耗しているというのか!」
背後で控える騎士たちも、ガシャンガシャンと鎧を鳴らして「奥様――っ!」と咽び泣き始めた。
――だめだ。 この空気、何を言っても「悲劇のヒロインの強がり」に変換される。
私は戦略を切り替えることにした。
「…… 旦那様。 …… ですが、私のこの力は、止めることができないものなのです」
「な、なんだと……?」
「この屋敷に満ちる魔力の『淀み』は、私が指を動かして整えなければ、いずれ大きな爆発となって皆様を襲います。…… 私が指を動かすのは、決して身勝手な理由ではなく、必要な『お掃除と点検』なのですわ」
視界の端に浮かぶ『ステータス画面』が、私の嘘をそれっぽく補足する。
【目的:作業権限の再獲得 / 嘘の深刻度:特級】
「て、点検……? な、何だそれは」
「ええ…… つまり、毎日少しずつ汚れを払うようなものです。 日々少しずつ整えておかなければ、取り返しのつかない事態を招きます。 …… それを放置する方が、私の心はよほど削られますわ」
カシアンは愕然とした。
彼女は、自分の命が危ういと知りながら、なおも自分たちの安全のために、静かに世界の澱みを払い続けようとしている。
…… 彼はそう、確信してしまった。
「ですから旦那様。大きな魔法は使いません。 ほんの些細なものなら、私の心への負荷も最小限で済みますわ」
私はそっと、彼の熱い頬に手を添えた。
「旦那様。私から、皆様をお守りする喜びを奪わないで。 …… その代わり、絶対に無理はしないと約束いたします」
(※本音:自動化して便利にしないと、私が不便で死ぬから、最低限の作業許可をよこしなさい。 あと肉を食べさせなさい)
「リゼット……。君という人は…… どこまで慈悲深いのだ……」
カシアンはついに折れた。
「…… 分かった。 ただし、私の目の届く範囲、あるいは信頼できる者が監視している状況で、かつ『最小限の整え』のみを許可する。 それ以上は、私がこの身を賭してでも止めるぞ」
【交渉結果:一部制限付きで『魔法』の使用権限を回復】
【副作用:カシアンの監視レベルが、さらに天井を突き抜けた】




