第7話:聖女(仮)の断食、あるいは背徳のベーコン
聖女(仮)としての生活が始まって数日。
私の安眠計画…… もとい、快適な引きこもり生活は、かつてない危機に瀕していた。
原因は明白だ。 カシアンが手配した、過保護すぎる『特別健康管理体制』である。
「奥様。本日の朝食でございます」
カーテンの間から柔らかな陽光が差し込む、穏やかな朝。
アンが恭しく差し出した銀のトレイには、白身魚の蒸し物(味なし)と、彩り豊かなハーブが並んでいた。
「………… 肉は?」
「旦那様より『聖なる力を使うお体には、清らかな食事こそが魂の摩耗を抑える助けになる』との厳命が。奥様、これ以上ご自分を削らないでくださいませ……!」
アンの瞳は、すでに潤んでいる。
【現在のストレス値:85%】
【旦那様およびアンの過保護度:測定不能】
(…… みんなして、一番キツい食事制限を導入してきやがった! )
私はベッドの中で、こっそりと『ステータス画面』を呼び出した。
目標は、カシアンにバレずに肉を摂取することだ。
キッチンの魔力循環を少しだけいじり、私のトレイにだけ「裏の献立」を生成させる独自の『法則』を書き加えていく。
(よし、これで完璧。 最後の一打を、空中に弾いて――! )
指先を高速で躍らせていた、その時。
不意に重厚な扉が開いた。
「リゼット、体調はどうだ」
カシアンだった。
私は慌てて指を隠したが、焦るあまり空間の歪みを整えきれなかった。
(あ、やば。 隠しきれなかった光が……! )
私の背後で、一瞬だけ黄金色の光がパッと弾け、同時に焼きたてのベーコンの香ばしい匂いがふわりと寝室に漂う。
「…… リゼット? 今、光と…… 何やら香ばしい匂いがしたが」
「え、ええ。…… 気のせいではないかしら? ほら、天気がいいから、光の屈折がそう見せたのよ」
「そうか……。君がまた、命を削って何かをしたのかと肝を冷やした」
カシアンは私の手をそっと握り、今にも消えそうな宝物を見るような瞳で私を見つめる。
「君はここにいるだけでいい。不浄なものを口にして、君の尊き魂をこれ以上汚させたくないんだ。 私は、君を失いたくない」
(削ってない! むしろ肉で活力を補給したいだけなの! このままだと餓死しちゃうわ! )
彼が去った後、部屋には気まずい沈黙が流れた。
私は寝たふりを続けようとしたが、枕元に影が落ちる。
「……」
ジャネットだった。
彼女は袖から小さな包みを無言で取り出した。
中身は、先ほど私が法則を書き換えて生成させたはずの「焼きたてベーコン」だ。
ジャネットは一言も発さず、ただその包みをサイドテーブルに置くと、隙のない完璧な一礼をして下がっていった。
(ジャネット…… 私のズボラな動機を全部察した上で、事務的に『処理』してるわね)
何も言われないのが一番怖い。
私は震える手で、その背徳的なタンパク質を口に運んだ。
…… 美味しい。
脂が五臓六腑に染み渡るわ。
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【メイド・アンの視点】
アンは扉の外で、溢れる涙を必死に堪えていた。
半年前、奥様がこの屋敷に嫁いでこられた時のことを、アンは鮮明に覚えている。
(あの頃の奥様は、まるで魂をどこかに置き忘れてきたような方でしたわ……)
表情も動かさず、ただ窓の外を眺めるだけの毎日。
けれど、旦那様の献身的な優しさに触れるうち、奥様の瞳には少しずつ、けれど確かに熱が宿り始めていた。
(けれど……。 想いが募るほど、奥様はご自身の『命』を対価に捧げる道を選んでしまわれた……! )
あの恐ろしい魔力炉の暴走を鎮め、魔物の群れを退けたあの御姿。
バルコニーに立つ奥様は、自分自身の命を灯火にするかのように、細い指先を震わせていらっしゃった。
あれは旦那様を、そして領地を守りたいという奥様のひたむきな「愛」が形を成した奇跡に違いない。
(愛する旦那様を守るために、ご自身の魂を文字通り削って捧げていらっしゃる……! )
先ほど、旦那様がいらした瞬間に奥様の背後に見えた黄金の光。
あれこそが、旦那様への愛しさが抑えきれずに溢れ出した輝きだ。
そして、あの香ばしい匂い……。
きっと、疲弊した旦那様を少しでも癒やそうと、奥様がご自身の命を振り絞って「安らぎの祈り」を捧げてくださったのだ。
(ああ、奥様……! ご自身はこんなにもお疲れなのに、愛するお方のためにそこまで……! )
アンは強く、強く誓った。
奥様の清らかな魂を汚さぬよう、不浄な肉など一欠片も近づけさせない。
それが、この尊き「聖女の愛」に応える唯一の道だと信じて。




