第43話:ふかふかの牢獄と、絶対安静の命令
ふわり、と。
雲の上に沈み込むような、極上の柔らかさが背中を包んでいた。
「……はっ!」
アリアは弾かれたように目を覚ました。
跳ね起きた彼女の目に飛び込んできたのは、冷たい石造りの牢獄でも、魔力を搾取するための血生臭い祭壇でもなかった。
見事な天蓋が飾られた、広くて日当たりの良い客室。
彼女が寝かされていたのは、最高級の羽毛がたっぷり詰まった、ふかふかの巨大なベッドだった。
(ここは、どこ……? 私、魔物の群れに巻き込まれて、それで……)
混乱する頭を抱え、アリアは自分の体を確かめる。
痛みはない。
すり減っていたはずの魔力回路には、なぜか信じられないほど膨大な魔力が満ち溢れ、バチバチと熱を持っていた。
泥だらけだった体は綺麗に拭き清められ、肌触りの良い清潔な寝間着に着替えさせられている。
(誰かに助けられた? いいえ、そんなはずないわ。私のような平民を、貴族がタダで生かしておくはずがないもの)
これまでの教会での扱いが、そうであったように。
きっと、もっと酷い使われ方をするんだ。
そう考えたアリアがシーツを握りしめて震えた、その時だった。
「――あら。目が覚めたのね」
カチャリと扉が開き、一人の女性が入ってきた。
美しい銀の髪に、気怠げな瞳。
その隣には、お盆に湯気の立つスープを乗せた、完璧な所作の侍女が控えている。
「ひっ……!」
アリアはベッドの隅に縮こまった。
この人が、この館の主。
ならば、すぐに役に立つことを証明しなければ、殺される。
「わ、私、まだ祈れますっ! 結界を張ることも、魔力を捧げることもできます! だから、見捨てないで……っ!」
必死に叫ぶアリア。
しかし、その顔を見た瞬間、女性――リゼットの顔が、あからさまに『ウワァ……』と引きつった。
(……すごい隈。それにこの子、他人の魔力を急激に吸い込んだせいで、体の中で魔力が暴走してショート寸前じゃない。間違いないわ、完全に『限界を迎えて壊れかけの社畜』の顔よ……ッ)
カシアンは「リゼットの視界に入れるな」と厳命していた。
しかしリゼット本人が「客室の魔力の流れがやけに乱れていて、気になって二度寝できないわ」と、ふらりとこの隔離部屋へ様子を見に来てしまったのだ。
アリアの痛々しい姿は、リゼットの脳裏に『前世で過労死する直前の自分』を強烈にフラッシュバックさせた。
「……あのね。私の視界で、そんなボロボロの姿を見せないでちょうだい」
「え……?」
「嫌な記憶が蘇って、私の今後の安眠に重大な支障が出るのよ。ジャネット、それを」
「はい、奥様」
ジャネットが恭しくベッドサイドの机にスープを置く。
コトコトと煮込まれた肉と野菜から、胃袋を鷲掴みにするような暴力的にいい匂いが漂ってきた。
空っぽのままだったアリアのお腹が、きゅるぅぅ……と情けない音を鳴らす。
「いいこと? あなたには今から『絶対安静』を命じます。
そのスープを全部飲んで、顔の隈が完全に消えるまで、そのベッドから一歩も出ることを禁ずるわ」
「で、でも、働かないと、私……」
「却下。私の目の前で、無休の労働なんて許さないわ。いいから食べなさい。寝なさい。……ああ、なんだか私まで眠くなってきたわ」
ふぁ、と大きな欠伸をして、リゼットは「じゃあ、おやすみなさい」と踵を返した。
残されたのは、温かいスープと、戸惑うアリアだけ。
「……毒、じゃないよね」
恐る恐るスプーンを口に運ぶ。
――美味しい。
温かい旨味が、空っぽの胃の腑に染み渡っていく。
それは、教会で与えられていた味のしない冷たい保存食とは比べ物にならない、本物の『食事』だった。
「あ……うぅ……っ」
気づけば、アリアの瞳からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
ふかふかのベッド。
温かい食事。
そして、「働くな」という無茶苦茶な命令。
地獄のような搾取から解放された少女は、泣きながらスープを飲み干し、そのまま泥のように深い、深い眠りへと落ちていったのだった




