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『魔力炉の最適化? いいえ、二度寝の環境整備です。~怠惰な生活を送りたいだけなのに、なぜか国中のエリートが私を「聖女」と崇め始めました~』  作者: こもり詩


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第34話:春の木の実のタルトと、静かなる生活圏の危機

 


 翌日の午後。

 トントン、トン。

 三秒に一度、正確なリズムで。

 自室の天蓋付きベッドの上で、リゼットは指先でシーツを叩いていた。


(……昨日の朝、あんな激マズジュースを我慢して飲んだのに。私のささやかなご褒美が、まだ来ないなんて)


 今日のお目当ては、街で一番と評判の店が焼き上げる『春の木の実のタルト』だ。

 だが、予定時刻を大幅に過ぎても、待ちわびた馬車の音は聞こえてこない。  

 無言でシーツを叩き続けるリゼットに、壁際に控えていた侍女のジャネットが淡々と告げた。


「奥様。あきらめて本日は紅茶でお過ごしください。領地内で『火照り風邪』が流行し、お菓子職人も、配達員も、農家も軒並み寝込みました。物流が完全に停止しております」


 ピタリ、と。リゼットの指が止まった。


「……停止? つまり、今日のタルトだけじゃなく、明日も明後日も届かないってこと?」


「左様でございます。このままではお菓子屋の存続すら危ういとの報告も上がっておりますわ」


 リゼットの顔からスッと血の気が引いた。  

 それは単なる「今日のおやつ」の欠員ではない。

 彼女の愛するニートライフを支える重要な生活基盤が、根底から崩壊しようとしていることを意味していた。


(……冗談じゃないわ。あのお菓子屋さんが潰れたら、私の春の楽しみが永遠に失われるじゃない! )


 リゼットは静かにベッドから降りた。


「ジャネット。厨房へ行くわ。炊き出しの準備をするわよ。」


 普段は自室から一歩も出たがらない女主人の決然とした言葉に、ジャネットがわずかに眉を動かした。


「……結論から申し上げますと、奥様はただおやつを食べたいだけかと存じますが、その熱意、承知いたしました。ご案内いたします」


 ジャネットの的確すぎるツッコミをスルーして、リゼットは部屋の扉を開けた。  

 だが、自室から数十メートル進んだだけで、彼女の額にはうっすらと汗が浮かび、足取りが重くなる。  

 壁にそっと手を添えて一息ついていると、廊下の向こうからカシアンとアルフレッド、そしてジュリアンが駆けつけてきた。


「リゼット! なぜ歩いているんだ!? 部屋からここまで何歩だ!?」


 カシアンは血相を変え、今にも彼女を抱き上げんばかりに歩み寄る。


「カシアン様……大丈夫ですわ。ただ、少しだけ疲れただけで……」


「馬鹿な、君のような繊細な体に歩行を強いるなど! ……くそっ、この館の廊下は長すぎる。完全な設計ミスだ、明日にでも壁をぶち抜いて改修させよう!」


 領主としてのまともな判断力すら失い、建物の構造にキレ始める夫。  その後ろで、侯爵家の騎士ライネルが隙を突いて一歩前に出た。


「奥様! よろしければ、このライネルが厨房までお運び――」


「下がれ、ライネル殿よ。私の妻に気安く触れるな」


「ライネル殿、我が主君の領域に踏み込みすぎだ」


 カシアンの冷徹な眼光と、アルフレッドの鉄壁のブロック。  

 二人の圧倒的な防衛線に阻まれ、ライネルは「ぐぬぬ……(次こそは必ず運ぶ……!)」と後退せざるを得なかった。


 そんな騒がしい男たちのやり取りの最後尾で。  

 ジュリアンは、一人だけ冷や汗を流しながら、鋭い観察眼をリゼットに向けていた。


(……確かに、昨日の朝に感じたあの圧倒的な恐怖と畏怖は本物だ。彼女の足元には神話の竜がいた)


 だが、それとこれとは別だ。

 少し歩いただけで息を切らすこの姿が、すでに広域術式の演算を開始している代償?  

 ……馬鹿な。


 ジュリアンは、否定しきれない恐怖の残滓を理屈で必死に押さえ込み、ぎゅっと拳を握りしめた。


「……みなさん、騒がないでくださいな。私はただ、厨房へ行くだけですから」


 リゼットはふぅと小さく息を吐き、また一歩、足を踏み出す。  

 ガクッと、運動不足の膝が頼りなく揺れた。  

 それでも、彼女の薄紫の瞳は、己の平穏を取り戻すために、ただまっすぐに厨房だけを見据えていた。


(タルトが、待っている)

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