第31話:王都の神童と、解読不能な『現実』
王都からバウムガルト領へと向かう、支援物資を積んだ馬車の中。
グラナート侯爵の嫡男・ジュリアンは、ひどく揺れる車内で不機嫌そうに腕を組んでいた。
「……ライネル。君まであんな田舎を懐かしむような顔をするな。父上だけじゃなく、君までおかしくなったのか……」
ジュリアンの向かいの席では、侯爵の側近騎士であるライネルが、まるで聖地巡礼に向かう信者のような、神妙かつ歓喜に満ちた表情で窓の外を見つめていた。
「ジュリアン様。お言葉ですが、あそこは『田舎』ではなく『聖域』です。行けば分かります。我々のような者でも、あの清らかな空気に触れれば一瞬で理解できてしまうのです……!」
「……ダメだ、手遅れだな。俺が何とかするしかない」
完全にトランス状態の騎士を見て、ジュリアンは深く溜息を吐いた。
(辺境の連中め。あの権力至上主義の父上と、堅物のライネルをここまで心酔させるとは、一体どんな精神干渉の術式を組んでいる?)
王都のエリートとしての矜持を持つジュリアンは、自らの『論理』でその安っぽい化けの皮を剥がしてやると、静かに闘志を燃やしていた。
***
バウムガルト領、領主の館
到着したジュリアンたちを出迎えたのは、黒衣を纏った若き辺境伯、カシアンだった。
ジュリアンは、辺境伯が放つ底知れない魔力と威圧感に一瞬息を呑んだが、すぐに次期侯爵としての完璧な笑みを張り付けた。
「お初にお目にかかります、カシアン辺境伯閣下。この度は父が大変お世話になりました。父は少々『お疲れ』のようでしたので、嫡男たる私が、王都の『理論』に基づき、辺境の魔力運用システムの監査……いえ、お手伝いをさせていただきたく存じます」
慇懃無礼な挨拶に込められた、「お前たちの不正を暴いてやる」という明確な挑発。
しかし、カシアンは怒るどころか、表情一つ変えずにグラナート侯爵からの手紙に目を通していた。
『――もし辺境の地で奥様の平穏を乱すような真似をすれば、辺境伯の権限のもと、いかように厳罰に処していただいて構いません。ですが、もし息子が奥様の奇跡の前に己の未熟さを恥じ、真に改心を見せたならば。どうか、あの気高き御方の平穏をお守りするための『手駒』の一つとして、お使いいただけないでしょうか』
(……なるほど。頭は回るようだが、自分の足元が全く見えていない馬鹿息子を叩き直してくれ、ということか)
カシアンは内心で冷笑し、手紙を懐にしまった。
愛する妻の『休息』を邪魔する要素は、一秒たりとも排除しなければならない。
だが、もしこの男の頭脳が、妻の平穏を維持するための「便利な手駒」として使えるのであれば、利用しない手はない。
「ほう。王都の神童と名高いジュリアン殿の知恵を借りられるとは心強い」
「ええ。何なりとお申し付け――」
「ならば、我が領の『魔力炉の稼働記録』と『結界の座標データ』の精査を頼もう」
カシアンの合図で、文官たちがドンッ! と山積みの書類をテーブルに置いた。
それは、辺境のシステムが実際にどう動いているかを記録した、正真正銘の「生データ」だった。
「王都の素晴らしい理論で、存分に我々の『いかさま』を暴いてくれることを期待しているぞ」
***
一方その頃
ジュリアンが与えられた客室(兼、臨時の執務室)で書類と睨み合っている間、騎士ライネルは館の廊下でメイド長のアンと再会を果たしていた。
「アン殿! 本日もリゼット様はご健勝であらせられますか! こちら、王都で一番の職人に作らせた最高級の安眠枕と、肌触りの良い特注のブランケットです! どうかリゼット様への献上品として……!」
「まあ、ライネル様。奥様のためにわざわざありがとうございます。奥様は今日も、たいへん健やかに(※ずっとベッドで)お過ごしになられていますよ」
「おお……! 健やかに過ごされているなら何よりだ!」
***
ライネルが王都の最新快眠グッズを納品している頃
客室のジュリアンは、ペンを片手に「さて、田舎の騙し絵を見せてもらおうか」と余裕の笑みで最初のページを捲った。
――しかし、数秒後。
紙の上に記されたデータを見て、彼は完全にフリーズしていた。
「……なんだ、この魔力変換効率は? 供給魔力に対する出力が……99.8%だと? 王立魔導院の最新型でも30%が限界だぞ? 計算が間違っているのか……?」
ジュリアンは自らの天才的な頭脳をフル回転させ、その「あり得ない数値」を検算し始めた。
田舎の野蛮人が見よう見まねで作った、穴だらけの偽造データ。
そう高を括っていた。
しかし、調べれば調べるほど、それは『出鱈目』ではなかった。
王都の常識を根底から覆し、100年先の理論すら置き去りにするような、完璧で無駄のない『美しすぎる最適化術式』の痕跡だった。
「ありえない……! なんだこの魔法陣の座標軸は? 理論上の死角が完全に消去されている。こんな物理法則をねじ伏せるような理論、人間の頭脳で組めるはずがない! どこだ、どこにいかさまがある……!?」
ジュリアンは上着を脱ぎ捨て、ハニーブロンドの髪を振り乱した。
「神童」と呼ばれた己のプライドをかけて、一心不乱に数式を解き始める。
彼が今必死に解読しようとしているこの神の如き術式が、辺境伯夫人が『自分の安眠拠点を守るため』だけに書き換えたシステムだとは夢にも思わずに。
王都へ帰ることも、カシアンを論破することも忘れ、エリート貴公子はただ目の前の「圧倒的な知能の結晶」という名の底なし沼へと沈んでいくのだった。




