第30話:【王都視点】傲慢なドラ息子と、父の親心
バウムガルト領での視察から数週間の長旅を経て、王都へ帰還したグラナート侯爵。
彼が王宮の文官に提出した『辺境視察報告書』は、「魔物被害はカシアン辺境伯の尽力により現状維持」という完璧な偽装工作により、何事もなくあっさりと受理された。
王都の俗物たちに、あの美しき「聖域」の真実が漏れることは、ひとまず完全に回避されたのである。
無事に大仕事を終え、侯爵は自邸へと戻った。
以前の彼であれば、馬車の長旅で疲労困憊し、不機嫌の極みで屋敷の扉を開けていただろう。
だが、辺境から戻ってからの肌ツヤは異様に良く、その足取りは清々しい。
しかし、自室の重厚な扉を開けた瞬間、彼の視界に入ってきた光景に、侯爵は静かに足を止めた。
「お帰りなさいませ、父上。随分とご機嫌麗しいようで」
最高級のソファーに横たわり、手元の本を気怠げにパラパラと捲っているハニーブロンドの青年。
グラナート侯爵の嫡男、ジュリアンである。
仕立ての良い室内着を羽織っているが、その姿勢には次期当主としての緊張感がまるでなく、整った顔には常に人を小馬鹿にしたような薄い笑みが張り付いている。
「田舎の土埃にまみれた空気はいかがでしたか? 辺境の野蛮人どもに、王都の貴族の威光を存分に示してこられたのでしょう?」
ジュリアンは、本から視線を外すことなく退屈そうに言った。
以前の侯爵であれば、この出来の悪い息子が昼間からダラダラしていても、「やれやれ」と呆れる程度で特に何も思わなかっただろう。
身分と血筋さえあれば、それなりに生きていけるのが王都の貴族だからだ。
だが、今の侯爵は違う。
辺境の空気に触れて価値観が完全にアップデートされた彼の脳裏には、ある少女の姿が鮮明に焼き付いていた。
月光を透かす銀糸の髪。磁器のような白い肌。
己の命を薪にくべ、伝説の竜すら使役する圧倒的な奇跡を起こしながらも、微塵も偉ぶることなく、今にも倒れそうに覚束ない足取りで歩いていた、あの儚くも気高き辺境伯夫人の姿が。
(……彼女は、目の前のこの愚息と同じ、まだ19歳なのだ)
かたや、その細く儚い身を削って、世界の防波堤となっている尊き御方。
かたや、幼き頃は「神童」と謳われた天賦の頭脳に胡坐をかき、努力という泥臭い真似を嫌って、安全な王都のソファーでただ退屈を貪っているだけの愚息。
同じ年齢でありながら、あまりにも天と地ほどの差がある。
侯爵は、かつての自分自身の鏡でもある息子の薄っぺらさに、深い溜息を吐いた。
このままでは、この息子は一生「井の中の蛙」のまま腐っていく。
もし、彼が己の才能を正しく磨き上げることができれば、あの気高き辺境伯夫人を守るための『強力な盾(政治や実務の要)』の一つになり得るかもしれないのに。
「……ジュリアン。お前のその有様は、ただの『怠慢』だ」
地を這うような、低く静かな声に、ジュリアンはピクリと眉を動かし、不満げに父を見た。
「……恐れながら父上、突然何を仰るのですか。私は次期侯爵としての教養はすでに十分に修めております。泥臭く汗を流すなど、平民や下級貴族に任せておけばよいではありませんか」
「本物の余裕とは、圧倒的な力と奇跡の上にのみ成り立つものだ。……荷物をまとめろ。お前は今日、辺境へ向かえ」
静かだが、絶対に逆らうことの許されない当主としての絶対的な命令。 ジュリアンは目を見開き、手にしていた本を取り落とした。
親父が自分に向かって、ここまで冷徹な威圧感を放ったことなど一度もなかったからだ。
「なっ……!? お言葉ですが父上、なぜ次期侯爵たる私がそのような田舎へ行かねばならないのです! 視察であれば、代官を遣わせれば済む話では……!」
「我が家から出す支援物資の輸送に同行しろ。そして、本物の『格の違い』をその目に焼き付けてこい」
顔を青ざめさせる息子を屈強な騎士たちに引渡し、屋敷の外へ引きずり出させる。
息子が「放せ!」と喚いている間、侯爵はすぐさま執務机に向かい、一通の親書を羽ペンでスラスラと書き上げた。
宛先は、バウムガルト辺境伯、カシアン。
『――突然の非礼をお許しください。支援物資の輸送と共に、我が嫡男ジュリアンを遣わします。
幼き頃より才に恵まれながらも、それに甘え、己を磨くことを忘れた恥ずべき愚息です。
もし辺境の地で奥様の平穏を乱すような真似をすれば、辺境伯の権限のもと、いかように厳罰に処していただいて構いません。
ですが、もし息子が奥様の奇跡の前に己の未熟さを恥じ、真に改心を見せたならば。
どうか、あの気高き御方の平穏をお守りするための『手駒』の一つとして、お使いいただけないでしょうか』
親としての情けと、辺境伯への信頼を込めたその手紙を早馬の使者に託し、侯爵は窓から遠ざかる荷馬車を見送った。
「……あの権力至上主義の父上が、田舎の貴族を崇めるなどどう考えても異常だ。辺境の連中め、父上に一体どんな洗脳を仕掛けた?」
揺れる荷馬車の中で、ジュリアンは忌々しげに舌打ちをした。
父上は「奇跡」などと言っていたが、そんな都合の良いものがこの世に存在するわけがない。
「いいだろう。次期侯爵たるこの俺が、その安っぽい化けの皮を論理で引き剥がし、すぐに王都へ戻ってきてやる……!」
【リゼット視点】
一方、その頃。
バウムガルト領、領主の館。
ふかふかのベッドの中で、リゼットはまどろみの淵を漂っていた。
至高の二度寝タイムである。
寝返りをうつリゼットの視界の端にシステム通知が現れた。
【通知:王都よりグラナート侯爵の嫡男(※ジュリアン)の接近を検知】
【対象は軽度の『敵対心』を持っています】
(……んー。なんか面倒くさいの来た)
リゼットは寝ぼけたまま、視界の端に現れたシステム通知を無意識にスワイプした。
【コマンド受領:対象の通知をミュートします】
(よし……おやすみなさい……)
かくして、意気揚々と論破しにくるはずの傲慢なエリート貴公子は、到着する前から『邪魔な通知』として処理され、圧倒的な塩対応の準備が整えられたのであった。




