第7話 居候と授業
バンバンと、ボールの弾む乾いた音が体育館に響きわたった。
神隠しにあった居候という、非日常を背負っているような存在と呑気な休日ライフを共にして、迎えた今日の登校日。
三限目の今は、体育の授業。バスケットボールを両手で抱える女子たちの姿を座って見ながら、花咲は漏らすように口にした。
「さみぃ…」
冬が明けたとはいえ、体育館は冷える。
あくびを堪える花咲の目に、もふもふの尻尾を揺らす少女の姿が目に入った。つくしだ。
つくしは、一人であくせくシュート練習に勤しんでいた。
「なんで神隠しになった奴が高校の授業を受けてんだよ……」
花咲がぼそっと呟いた。
それは今日の朝のことだ。
家を出ようとした花咲の後ろを、つくしがついてきたのだ。
『つくしも出かけんの?』
不思議に思った花咲が他意なくそう尋ねた。
『出かけるというか、一緒に学校に行くだけだよ』
『来ても、何も楽しいことはないぞ』
『いや、授業を受けに行くんだけど』
『……え?』
確かに『大平高校に通う予定だった』と聞いたことはあった。しかし、まさか神隠しになっても学生を辞めてなかったとは驚きだ。
『自分の席ないだろ?』
『いつも花咲君の隣なんだけど?』
『……マジで?』
『うん』
『一年間ずっと?』
『うん』
結局、そのまま一緒に登校することになり、今はこうして体育の授業を受けている。
体育の授業であろうと、つくしは巫女装束のままだ。窮屈そうな服にもかかわらず、つくしの動きは軽快だった。
つくし曰く、真夏であろうと汗もかかず、冬は寒さを微塵も感じさせないとのこと。真空断熱容器を身に纏っているような感覚だろうか。そんな感覚は知りようもないが。
「真面目だなぁ……」
花咲は一限目のことも振り返りながら、そう呟いた。
今日の一限目は数学の授業だった。授業の最後に宿題のプリントが配られたのだが、当然つくしに渡ることはなかった。
だが、つくしはあろうことか、プリントの余りを教師の手元から抜き取っていたのだ。
席に戻ってきたつくしに、花咲は毒づくように言った。
『課題もやるのかよ』
『やらないと定着しないでしょ』
なんとも優等生なセリフだ。
『課題なんて面倒なだけじゃね?』
『なくなったらなくなったで、寂しくもなるんだよ』
そんなことはない、と口にしかけた言葉を花咲は飲み込む。
つくしはスマホを持っていない。家で暇なときは読書していた。課題は、暇つぶしとして丁度良い味変なのかもしれない。
そうだとしても、課されていない宿題を自ら進んでやろうとするのだから、真面目であることに違いないだろうが。
「よっこらしょっと」
そんなことを考えながらボーっとしていた花咲の隣に、つくし本人が座ってきた。
男女交代でパス練習をすることになっている。次は男子の番で、女子が休憩に入ったタイミングだった。
「体育の授業、受ける必要あるのか?」
隣で体育座りするつくしに、思いついたことを考えもせずに聞いた。
筆記試験の課される授業なら、習わなければわからないこともあるかもしれないが、体育はそうでない。
それに、友人たちとわちゃわちゃと盛り上がることも、体育の醍醐味の一つだ。
一人ぼっちでシュート練習していても、楽しくはないだろう。
そんなニュアンスが伝わっていないのか、つくしは首を傾げていた。
その様子を見て、もっと端的な疑問を花咲は口にした。
「一人でやってて楽しいのか?」
青春に憧れるつくしにとって、青春している同級生の横にいることは辛くないのだろうか。
「体動かすだけで楽しいじゃん。なんかこう、生きてるって実感するというかさ」
あっけらかんとつくしは言った。花咲の気遣いが、まるで杞憂でしかないかのような口調と表情だ。
「まぁ、羨ましいとは思うけど」
手を組んで伸びをしながら、つくしは付け足して言った。
「花咲くんだって、みんなといないじゃん」
「面倒くさいからな。それに、そのうち谷が絡んでくるから、絡んでこないうちは休んでいたいんだよ」
そう言って、谷の方へ視線を向けると目が合った。
「ほら、来た」
谷が手招きしながら、近づいて来る。
「サボってないで行くぞ、修平」
両腕を力いっぱい引っ張る谷に、抵抗の意味も込めて花咲は言った。
「なぁ、谷さ。野生の狐女が体育の授業を巫女装束で受けていたら、お前はどうする?」
「また、その話かよ。お前、妄想を膨らませすぎだろ」
「妄想じゃないんだけどな……」
聞こえない程度にボソッと呟きながら、つくしを見る。
連行される花咲に手を振るつくしのまなざしは柔らかかった。
*
四時間目は古典の授業だった。
体育の後なので、正直眠い。
花咲の座席は窓から二列目の一番後ろ。窓から差し込む光が暖かくて、眠気を後押ししてくる。
俺は眠気を押し殺しながら、窓辺の席のつくしを見やる。
本来なら、その位置には何もないはずなのだが、つくしが別の教室から引っ張り出してきた机といすが並べられている。
狐の耳をそば立てて黙々と真面目に板書を写し続ける様は、異様でありながらそれはそれで絵になっていた。
「どうしたの?」
「……いや、なんでも」
「そう。眠そうだね?」
「昨日、寝れなかったんだよ」
「嘘だ。私より寝てたじゃん」
「超絶ロングスリーパーなんだよ」
ということにしておく。
この際、全ての授業で眠気に襲われることは伏せておこう。
「そんなに眠いなら、眠気覚ましを手伝ってあげよっか?」
つくしがそう言って微笑む。
「へぇ。何か良い案が?」
授業で寝ることにメリットはない。
起きれるのなら起きていた方が、後々痛い目を見ずに済む。
「寝そうになったら、くすぐって起こしてあげる」
「普通に起こしてくれれば良いじゃん」
「もしかして、花咲くんって脇弱い?」
「い、いや?」
「へぇ、そうなんだぁ。じゃあ、くすぐっても反応しないよね」
「……まあな」
そう強がる花咲。その言葉を待ってましたとばかりに、つくしは立ち上がった。
花咲の後ろに回り込むと、すかさず脇に手を当ててくる。
「つくし、やめとけって。今は授業中だぞ」
「大丈夫。花咲くんが声を上げない限り、誰にも迷惑かけないから」
「そういう意味じゃなくてーー」
「じゃあ、いくよ」
制止する花咲の言葉など意にも介さず、つくしの手に力が込められる。
「やめろって!」
つくしの手を振り解くように、花咲は立ち上がりながら思わず叫んだ。
「どうしたぁ、花咲。変な夢でも見てたのか?」
立ち上がった花咲にクラス中の視線が集まる。
恥ずかしさで誰とも視線が交わらない場所を探して、花咲の目が泳いだ。
「い、いえ。すみません。というか、寝てないっすよ、俺」
「寝たら課題増やすからなー」
「だから、寝ないですって」
クラスメイトたちがクスクスと笑っている。谷に関しては、腹と口元を抑えている。笑い転げそうになる程、愉快だったらしい。
「目、覚めたでしょ?」
満足気な笑みでつくしが話しかけてくる。
谷がよくする悪い顔なのに、笑い方に品があるからタチが悪い。そのせいで、毒づく気が失せてしまう。
「ああ、おかげさまで。ただ、次はもう少し違う方法で頼むわ」
「例えば?」
「寝そうになったら、ゆすって起こしてくれるとかかな」
「寝ること前提じゃん」
楽しそうにはにかみながら、つくしが言う。
「そうだ」
何かを思い出したのか、つくしはまた急に立ち上がった。今度は何をするのかと思えば、自身の机を花咲の机にぴたりと寄せてきた。
「急にどうした?」
「教科書ないから、見せて欲しくて」
「それなら先にそう言ってくれ」
つくしは、思い切りが良すぎる。何をするにも決断と行動が早くて迷いがない。
花咲が拒否するとはまるで考えもしていない様子のつくしに、花咲は教科書を開いて差し出す。
「ありがと」
再び板書を写し始めるつくしを見て、花咲は思いついたまま疑問を口にした。
「つくしって頭良い?」
脈絡のない質問をされて、つくしのペンが止まる。
「基準によるかな。なんで?」
「数学の問題、スラスラ解いていたなと思ってさ。俺は一切わからなかったから、教えてもらえるとありがたい」
つくしは目をぱちくりさせている。信じられないと言いたいらしい。
「別に構わないけど、珍しくやる気あるね」
「特に深い意味はないって」
まだ目をぱちくりさせている。よほど信じがたい光景らしい。
「別に心境の変化があったわけじゃないぞ。何の苦労もなくスラスラ解いて問題が解けるなら、課題だってやるさ。そうもいかないから、ほったらかすだけで、つくしが家で教えてくれるってならやる気だって起きる」
「へー、そうなんだー」
隠す気もない棒読みだ。
「ちなみにいつから?」
「じゃあ、明日から」
「それ、やらない人のセリフじゃん」
興味をなくしたように、つくしは視線を手元に戻した。
それを見た花咲は少し腹立たしくなって、反射的にこう口走ってしまった。
「やるって。賭けても良い」
「そう。いくら?」
つくしが食い付いてきた。
考えなしのセリフだったが、言い出した以上、引っ込みがつかなくなってしまった。
「言い値でいいぞ」
「随分、大きく出たね。ちなみに、勝ち負けはどう決めるの?」
「俺が全ての課題を遅れずに出せば、俺の勝ち。一つでも忘れれば、そっちの勝ち」
「そんな普通のことで勝負されても……」
呆れた、とつくしが態度で訴えてくる。
「ちなみに、私が教えるんだよね?だとしたら、フェアじゃないと思うんだけど」
「わかったよ。なら、俺が勝ったらつくしの願いを一つだけ聞こう。それなら、俺にもつくしにもメリットがあるだろ?」
願いを聞くと言ったとき、つくしの耳がわずかにピクッと反応した。
「良いけど、花咲君のメリットって?」
「俺は課題を教えてもらえて提出も遅れない。言うなれば専属の家庭教師がついたようなもんだからな。メリットしかない」
「本当にやる気あったんだ!?」
「じゃなきゃ、こんな話しないって。それに俺が教わるだけじゃ、つくしのやる気も出ないでしょ?」
「あくまで善意のつもりで教えてあげるつもりだったんだけど?」
「なら、賭けをやめるか?」
「いや、やろうよ。面白そうだし」
「決まりだな」
料理勝負の時もそうだったが、つくしもかなりノリが良い方だ。
やるかやらないかの判断では、それが面白そうか否かが材料になるくらいには、彼女は基準がずれている。
「ねぇ」
「どうした?」
「私が勝ったときも、私の願いを一つ聞いてよ」
「いや、なんで?」
「だって、そうじゃなきゃ、花咲君がサボったら終わりになるじゃん。言い出した以上は結果を出さなきゃね」
つくしに家庭教師を頼んではみたものの、意外とスパルタかもしれない。
「大丈夫。花咲君が勝てるように私も頑張ってあげるから」
「……あの、お手柔らかにお願いします」
必要以上のやる気を引き出してしまったかもしれないと、少し後悔する花咲だった。
*** うらまるより ***
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