第8話 認識阻害
「今日の課題は来週月曜日の授業で集めるからな~」
今日はゴールデンウィーク明けの登校日。帰りのHRが終わりを告げ、ついでに要らない課題も告知されて花咲は嘆息を漏らした。
ゴールデンウィークは、暦が噛み合うと連休が長くなる。
今年は十連休だった。一日をどれだけ無意識で過ごしても何のお咎めもない、一年で数度しかない最高の期間。時間にもカレンダーにも縛られない、自由とはこうあるべきを体感できる理想の時間。
「…だったはずなのになぁ」
連休明けの気怠い空気に飲み込まれながら、花咲はぼやいた。
学期末の区切りもない中途半端にあるゴールデンウイークでは、連休明けでも授業はフルタイムなのである。本当に信じられない。
「一日乗り越えただけでも自分をほめてやりたい」
「何言ってんの。こっちは部活で休みなんてなかったわ」
花咲のぼやきに、そそくさと帰りの身支度を済ませる高梨が皮肉を込めて返す。
「そうですかい、大変なこって」
このところ、大会前のため吹奏楽部は練習で忙しそうであった。大変なのだろうが、熱を入れて取り組むものを持っているだけ羨ましいものだ。何より部活で連休を潰すというのが青春っぽい。つくしなら喜んで取り組むだろう。
「よ、お疲れ」
肩をポンポンとされて、呼びかけられる。小顔のイケメンが後ろにいるのは、振り返らずともわかった。
「今週は吹部は休み?」
谷が高梨に聞いていた。
「だったら良いけどね。来週の大会が終わるまでは休みなし。というか、休みでも自主練としてほぼ強制参加」
「そっか。じゃあ、今週は無理か」
吹奏楽部は金曜は基本休みか自主練になることが多かった。顧問曰く、金曜は午後からが本番らしい。ゆえに、金曜の午後は、いつものメンバーでどこかに遊びに行くことも多く、谷の質問もそれを踏まえたものだ。
「来月なら良いよ。この日とか」
教室に張られたカレンダーを指差しながら、高梨が言った。随分と先の予定だなと思いながら、高梨の視線を追うと、六月六日月曜日は創立記念日と書いてあった。
「休日じゃん」
登校日以外は英気を養いたい花咲にとって、休日にどこかに行くという時点で気乗りしない。
と思っていたら、他人から意外な助け舟がきた。
「その日は俺が無理だな。大事なオシゴトがあるもんで」
「そ~、ガンバレ~」
「おい、平日に行ける日はなかなかないんだぞ!」
谷の推し活事情など、花咲は興味ない訳で。
「よし、帰るか」
「いや、話を聞けよ!」
面倒なテンションの谷を退けつつ、花咲は鞄を背負う。
「マジで帰んの?」
「え、うん。そうだけど」
よほど驚いたのか、目を見開いたまま谷は少しフリーズしていた。
「珍しいね。すぐ帰るなんて」
高梨も意外そうな顔を向けてくる。
「まあな」
「タキのこと、待たなくて良いの?」
「滝田だって、部活あるんだろ。さすがに下校時刻ギリギリまでは待てねぇよ」
それに、俺にも待たせている相手がいるのだ。早く帰る理由は、安売り卵パックを一パックでも多く買って帰るためである。
「今日、何かあんの?」
「買い出しに行くだけだよ」
ちらっとつくしを見る。それまで静かに動向を確認していたつくしが、慌てて教室から出て行った。
邪魔だと言いたかった訳ではなかったんだが。
「ふーん」
谷が意味ありげな視線を送ってくる。
「別に隠し事はないぞ」
「あ、女狐か」
「違う。狐女だ」
二人のやり取りを見ながら、置いてけぼりをくらっている高梨が首をかしげるが、谷は見て見ぬふりだ。
「で、そいつに会いに行くと。お前、課金はほどほどにしとけよ。愛は金で表現できても買うことはできないんだぞ?」
「そんなことに課金しとらんわ」
「なら、どんなことになら課金してるんだ?」
「うるせぇって」
しつこい谷に対して、花咲の声に苛立ちが混じる。
会話について来れていない高梨が花咲と谷を交互に見ていた。
「もう行くわ。それじゃ」
これ以上いても、生産性のない会話に付き合わされるだけだ。
花咲は、肩口で滑った鞄の位置を整えると、校門で待つつくしのもとへ向かうことにした。
背後から「悪かったって」と谷の声が聞こえてきたが、花咲は振り返ることはしなかった。「わかったから」と背中越しに端的な言葉で返事をして、教室を後にした。
その歩みのまま、昇降口を出ると、校門にかけての長い階段が見えてくる。
五十段近くある階段を駆け足で降りると、校門近くに目立つ白衣姿が見えた。
「おまたせ」
ペースを上げたからか、花咲の息がなかなか整わなかった。
「あれ、良いの?」
振り返ったつくしが、表情に驚きを滲ませながら、核心は省いて質問してくる。
「谷たちは置いてきた。むしろ助かったまであるから、気にするな」
「助かったって?」
「あいつら、人の時間が無限にあると思い込んでいる節があるからな。無駄話だけで放課後が潰れるんだ」
「へぇ。私には、それも羨ましいけどね」
含みはあれど、裏表のない真っ直ぐな独り言に、花咲は同情も反論も声に出す気になれなかった。
代わりに、こうして放課後をつくしと過ごそうと決めた理由を口にする。
「それにさ、つくしと帰るって朝に約束だったじゃん?」
それは今朝の話だ。
今日の放課後に買い出しに付き合って欲しいと、花咲はつくしから頼まれていた。
「ま、花咲君が良いなら良いけど」
口振りとは裏腹に、少し嬉しそうだ。
尻尾の毛先がわずかに左右に揺れている。
その姿を横目に、花咲は周囲の視線が自身へと向けられているのに気付いた。
すれ違う人が訝し気に花咲を見つめてくる。
「どうしたんだろうな?」
「何が?」
「さっきから見られている気がしてさ」
ひょっとしてつくしの姿が見えているのだろうか。
しかし、視線は明らかにつくしではなく、花咲の方へと注がれていた。
男子二人と女子三人。男子は、クラスメイトだった。ひそひそと話す女子を男子が茶化して、その場を盛り上げている。
「ああ、そっか」
つくしが何かに納得したようにそう呟いた。
その直後だった。花咲を指さしていた男子の態度が急変して、花咲へ見向きもしなくなった。
まるでこれまで盛り上がっていたのが嘘のように、彼らの雰囲気が静かになった。
「これで喋っても大丈夫だよ」
「やっぱりお前が何かしたのか」
「やっぱりって、人聞き悪いなあ。私は花咲君に認識阻害をかけただけだよ」
つくしは白衣の左胸の内側をまさぐりながら付け加える。
何かを仕舞ったように見えた。
「私のことは誰も認識できないけど、私と話している花咲君は認識されるからね。花咲君に認識阻害をかけておかないと、他の人から誤解されるってわけ」
「なるほど」
「これで、私と会話してても特に不自然に思われないよ」
授業中も平気で会話していた。小声で喋っていたからバレていないだけかと思ったが、実は認識阻害をかけてもらっていたらしい。
「もしかして、今俺の姿は見えなくなっているのか?」
花咲の質問に、つくしは静かに首を横に振って答えた。
「ううん。花咲君のことは見えてるけど、花咲君がどんな言動をとっても誰も気にしないようになってる」
「マジかよ」
どこかの犯罪組織が知ったら、つくしを狙って戦争が起こりそうだ。
実は冗談にならないほど危険な存在を居候させてしまっているのかもしれないと、少し不安になる花咲だった。
*** うらまるより ***
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