第15話 境内で過ごすということの代償
閉じた瞼を元に戻すと、そこは彩られた庭園ではなく、頭上の街灯が照らす仄暗い暖色と朝日が醸す頼りない淡青色が混じった世界だった。
境内へ入る前より少しは視界が晴れて、高校前の大通りへと通じる田舎道も輪郭が七割がた認識できるようになっていた。
その薄暗い視界の中、明瞭に映る白い狐がいた。つくしだ。
「そろそろかなと思って」
「わざわざ迎えに来てくれたのか」
花咲はつくしが迎えに来た理由を思案する。
何か急ぎの約束をしていただろうか。思い当たる節はない。
花咲の帰りがあまりにも遅くて、迎えに来てくれたのだろうか。だとしたら、どうしてこの場所がわかったのか。どちらにせよ、謎が残る。
「よく場所がわかったね」
「まあ、これだけ長居できる場所なんて、シキ様のところしかないからね」
「そんなに長居はしてないと思うけど」
言いながら、スマホの画面を確認する。朝の四時を回ったところだった。
「え、マジ?」
谷に連れられて行ったカラオケも夜の八時には解散していた。そこからシキと出会った時間を導けば、夜の八時半頃。つまるところ。
「七時間半もシキとくっちゃべってたのかよ」
信じられない話だ。確かに、長い時間くだらない話に興じていた覚えはあるが、それでも一時間としなかっただろう。七時間半もあれば、寝て起きて気持ちの良い朝を迎えられてしまう。
驚きに思考を奪われる花咲を見て、つくしは怪訝な顔をしていた。
その様子を確認した花咲は不穏な気持ちに駆られて、衝動的に口にした。
「どうした?何か言いたいのか?」
「えっと…、花咲君ってシキ様の境内に入るのって初めて?」
「そうだけど……」
「シキ様の境内って、下界と時間軸が違うの。境内の中では、だいたい百倍くらいゆっくり時間が進んでるんだよ」
「ってことは、もしかして……」
「そう。今日は、五月の三十一日。花咲君が遊びに行ったあの日から、二週間は経ってるかな」
その言葉が持つ恐ろしさを認識した花咲は、あまりのショックに暫く硬直して動けなかった。
*
「修平、いつにも増して気だるげね」
「……………………」
昼休みに花咲が教室で一人うなだれていると、高梨が教室へ入ってきて開口一番にそう言った。
花咲の前の座席の持ち主がいないことを良いことに、その席を牛耳ると弁当を広げ始める。
「……久しぶり」
探るように花咲は言った。
「急にどうしたの?毎日、顔合わせてたでしょ?」
「それ、本気で言ってる?」
「……うん」
「なら、昨日、高梨は俺といつどこで何をしていたか、明言できるか?」
「そう言われると思い出せないけど、別に久しぶりって気はしないかな。ほぼ毎日会ってるし」
「ほぼ毎日会っていた」という認識は、高梨の誤認である。
今朝、つくしから聞いた話では、これを記憶の補填というものらしい。
この二週間、花咲が下界にいなかったことを高梨は知らないのだ。
「それで、今日はどういった要件で?」
「滝田が二者面談で担任に呼ばれて取り残されたから、たまには修平と食べてやっても良いかなと思っただけ」
「へぇ、そうなんだ。ちなみに、向こうにつくしがいるけど……」
「え!つーちゃん、今隣にいないの?どこ?どこ行ったの?」
「嘘だよ。俺の隣で弁当を食べてるよ」
完全につくしがいるかいないかで態度の変わる高梨に、呆れるようにため息を吐いた。
コホンっとわざとらしく咳ばらいをして、高梨がその場を誤魔化すように口を開いた。
「つーちゃん、今日も放課後に図書室行くでしょ?」
そう問われてペンを取り出し始めるつくし。高梨に見つかって以来、基本的につくしは周囲に認識阻害をかけるようにしているらしく、周囲から訝し気な視線が飛んでくることはない。
【うん。由紀こそ、部活大丈夫なの?】
そう紙に書いて、高梨に渡すつくし。それを見て、高梨が「平気平気」と言っている。
「修平も放課後空いてるでしょ?」
「放課後は時間あるけど…って、つーちゃん?」
高梨がつくしのことを愛称で呼んでいることに対して、花咲が問いかけた。
「あだ名の方が親近感湧くじゃん」
「そうかもだけど」
高梨本人は近づき難いオーラを身に纏っているくせに、知り合った人間とはかなりぐいぐいくるタイプだ。滝田のことも、知り合ったその日のうちに「タキ」と呼んでいた気がする。
「結構仲良くなっていた感じなのか?」
「そうだね。なんで修平が知らないのよ……って、確かに近くにいなかったかも……?」
つくしが言うには、境内にいる間、こちらの世界では存在が認識されないらしい。正確に言えば、あの境内の存在を知らない人間は、境内へ入った存在を思い出すことすらままならないらしい。つくしはあの境内を知る立場のため、花咲のことを覚えていた訳だが。
高梨が花咲の存在を忘れていたがために、つくしは花咲が境内へ入ったことを間接的に知ったとのことだった。
二週間近くが経過し、流石に花咲が現実世界へ戻ってきたときに、あまりに周囲との認識のギャップが大きいと日常生活に支障をきたす恐れがあるため、つくしは花咲を迎えに来たらしい。
「あれ、ここ最近、修平と一緒にいた記憶がない……?いや、ある?どっちだっけ?」
高梨が口元に手を当てて考え込む仕草を見せる。
『あまり人間世界から離れすぎるのは良くないんだよ。特に自分が親しくしていた人が多ければ多いほど』
境内から家に帰る途中で、花咲はそうつくしから聞かされた。高梨の様子を見て、花咲はつくしの言葉に納得する。いるはずの存在が記憶から消え去ることで生じる穴は、埋めようとしても埋まらない。
『ないピースを探して躍起になると、人によっては気が動転し始めるから』
そんな不安になるようなことも、つくしは言っていた。
「俺、このところ忙しかったからさ」
一応、これ以上高梨が悩まなくて良いように、思い遣りのつもりで花咲は嘘を付いた。
「そっか。ま、修平のことは心配してないんだけどさ」
「おい」
気遣いなど、要らなかったらしい。
そんな他愛のない話をしていると、
「なんだ~。由紀、修平くんと食べたんだ。二人だけでなんて珍しいね」
面談を終えたらしい滝田が、高梨を探して教室へ入ってきた。弁当箱を抱えているところを見るに、一緒に食べようと思ったのだろう。
「確かに、そうかもな」
「峻輝くんは?」
「サッカー部の奴らと購買に行ったよ」
「そっか。ご一緒しても?」
「別に断らんで良いって」
「へへ。何となくね」
照れを笑って誤魔化す滝田が可愛らしかった。
そんな何気ないやり取りを重ねていくうちに賑やかな昼休みが終わり、午後の授業も光陰のように過ぎ去って、久しぶりの学校の終了を告げるチャイムが鳴る頃には懐かしい眠気に襲われていた。
*
「ごめん、遅くなった」
掃除を終えてから図書室に向かうと、テーブルで隣り合うように座るつくしと高梨が静かに会話をして過ごしていた。
「随分かかったじゃん」
そう言ってくるのは高梨だ。
「ゴミ出しのじゃんけんに負けたんだよ」
「ついてないね」
「そういう日もあるわな。で、それは?」
テーブルに広がったメモ帳の束を指差して花咲が問いかける。
「こうしてつーちゃんと話してると、つーちゃんが持ってるメモ帳なくなっちゃうなと思ってさ。私が使ってないもの持ってきたの。家に結構あったからさ」
「ありがとう」
書きながら、つくしがお礼を口にする。
シキの話では、つくしは望んで神隠しになったとのことだったが、だからといって他人と距離を取りたい訳ではないのだろう。
青春に憧れているくらいだ。こうして放課後に友人と過ごすことは、つくしにとっては願ったり叶ったりだろう。
「そういえば、高梨からは今どのくらいつくしのこと見えているんだ?」
ふと気になって、花咲は質問した。
「今も前も変わらないよ。つーちゃんが持っているペンとか紙とか鞄とかは見えてるけど、つーちゃんのことは全然見えない」
「確かに、高梨の視点だと、つくしって本当に透明人間なんだな」
「そうそう。つーちゃんが服とか来てくれるといいんだけど、服を着ること自体が叶わないんだよね?」
「そうらしいな」
つくしが来ている白衣は着脱ができないうえ、何かを上から羽織ろうとすることができないらしい。羽織ってもいつの間にか消えているらしく、いくつもの服が神隠しに遭っているとのこと。
「それで、今日俺も呼び出したのは何か理由があるのか?」
最近は、高梨が部活に行くまでの少しの間だけ、二人で図書室で語らいでいるらしいのだ。そこに呼ばれるということに、少し抵抗があった。
花咲はつくしの居候先であって、保護者ではない。つくしが友人と仲良く過ごす時間に首を突っ込みたくはなかった。
「今度、三人で映画を見に行こうと思って」
「二人で行けば良いじゃん」
「バカ。なんで修平は、こうも空気を読まないのよ」
高梨に机の下で足を踏まれて、「いてっ」と声が漏れる。
なぜ高梨に怒られたのか理解できないでいると、恥ずかしそうに顔を逸らすつくしが目に映った。
「つーちゃんが困るでしょ?」
「そうなのか?」
花咲はつくしに向けてそう問いかけた。青春には絶好のチャンスだろうに、なぜわざわざ花咲がいなくてはならないのかわからず、問いかけたのだ。
すると、シンプルな答えをつくしが返してきた。
「私、お金持ってない。それに、私一人だけだと、結構高梨さんに負担かけちゃうところあるだろうから……その、花咲君にも来て欲しい」
すべて言われてから、花咲は口にした。
「ごめん。そうだよな。気付かなかった」
今度、自分がもらっているお小遣いからではあるが、つくしに小遣いをあげようかと本気で考える花咲だった。
*** うらまるより ***
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