第12話 高梨に見られて
ふわぁあ、とあくびを漏らして時間を見る。午後一時を回り、次の授業まで十分程度の時間があることを確かめ、しかめっ面のまま時計を睨みつけた。
花咲は現在、昼食後の血糖値スパイクによる追撃を食らって抗い難い眠気と格闘している真っ最中。誘惑に負ければ、そこに待っているのが快眠であることを知っているが、昼休みが終わりに差し掛かっていることと次が移動教室であることを天秤にかけて、どうにか眠気という誘惑をやり過ごそうとしていた。
不眠症の誰かにこの眠気を分けてあげたいところだ。
「いや、違うな。不眠症なのは、俺だな」
先週末の金曜日。コンビニから帰ってきて、つくしと戯れてから寝たあの日。
あの日から変な夢を見るようになって、土日はほとんど寝付けなかった。寝れたとしても、夢を見てすぐ現実に戻される。正直なところ、身体はかなりグロッキーだった。
「いつにも増して眠そうだな」
横から声がして振り向くと、笑いかけてきた谷と目が合った。
「ここ最近、変な夢が続いててな。寝不足なんだ」
「ゲームしてるから寝る時間がないってだけだろ?」
「このところ俺がインしてないのは、そっちだって知ってるだろ?」
花咲にとってはあながち真剣な悩みだというのに、ヘラヘラと普段通り嫌味を吐いてくる谷に内心かなり腹を立てていた。
言葉にするだけのエネルギーがもったいないから、花咲は怒りを吐き出すことはしない。
ただ、態度には出てしまう。花咲の睨みつけた顔で相当気が立っていることを察した谷が、素直に謝りながら花咲の座る前の席へ移動した。
「いる?」
言いながらポケットから飴玉を差し出してきた。
少し形が崩れている。
「要らない」
「あ、そ」
谷は差し出してきた飴の袋を破ると、中身を口へ放り込んで舌で転がし始めた。中身がなくなってゴミと化した特濃の文字が目立つ個包装の袋をポケットに戻すと、「そういやさ」と話を切り出してきた。
「最近、滝田と夜に密会してるらしいじゃん。不良少年」
「どこ情報だ、それは」
「滝田本人から。野生の花咲くんに会った!って嬉しそうに報告してくれた」
「なんだよ、そのどう受け止めていいのかわからない情報は」
「この飴も滝田からもらったのに。滝田からのプレゼントを逃すなんて、お前も焼きが回ったか」
「谷を経由したプレゼントなんて興味ないわ」
気持ちの込もっていない贈り物など、プレゼントとは言わないだろう。
「それで、わざわざバイト終わりの滝田に会いに行って、何もないってことはないよな?」
谷の聞きたいことは何となく花咲は察しが付いていた。要するに進展があったのかと探りに来た訳だ。
「いいや、何もなかったよ。そもそも滝田があのコンビニでバイトしていることも、そのとき知ったし」
知っていたなら、あのコンビニに寄らなかったかもしれない。
「なんだ。お前がついに一歩踏み出して、振られたから寝れてないものかと思ったのに。心配して損したわ」
「心配しているなら、せめてそういう表情を作ってから言え」
ニヤニヤしている谷を見て、花咲がツッコミを入れる。
そんな他愛無い話をしていると、予鈴のチャイムが学校中に鳴り響いた。
せっかくの休憩時間が休む暇なく昼休みが終わってしまった。
谷との雑談で眠気が引いてくれたので、少しは身体が楽になったが。
「早く行こうぜ。阿久津先生、遅れた回数分、点数全部引いてるらしいし」
谷がどこから湧いて出てきたのかわからない噂話を口にしてきた。
「そりゃ、誰かの出まかせだろ」
「けど、早いに越したことはないって」
「まあ、そうだな。けど、先に行っててくれ。トイレ済ませてから向かうから」
「わかった」
時計を見ると、分針は既に予鈴が鳴ってから一回転していた。急いで手洗いを済ませて教室へ戻った時には、さらに二回転半も分針が進んでいた。
「やべ」
急いで教科書やノートを机から引っ張り出し、演習室へと向かうため教室を後にする。階段を登ろうとしたところで、手に持っている荷物の中に筆箱がないことに気付いた。
「しまった。教室に忘れてきた」
ついため息が漏れる。遅れる気はなかったが、戻ってしまっては間に合わない。
「仕方ない。自分への戒めとして減点は甘んじて受け入れよう」
急ぎ足だったペースを緩め、教室へ引き返す。教室の引き戸を開けると、クラスメイトたちが移動してもぬけの殻になっているはずの教室に人影があった。
「つくし?」
「え、ああなんだ、花咲君か。花咲君も忘れ物?」
「そう。筆箱忘れて」
「あ、おんなじだ」
つくしが自分の筆箱を笑顔で見せつけてくる。なぜ忘れ物をして笑顔でいられるのかわからないが、裏表のなさそうな笑顔を見せられると、ささくれ立っている気持ちが少しは落ち着いてきた。
「つくしも忘れ物とかするんだな?」
「もうしょっちゅうだよ。卵を買いに行ったのに、他の安い商品に目移りしちゃって肝心の卵を買い忘れるとか、あるあるだよ」
「いや、おっさんかよ!」
「おっさんとか、酷いこと言うなぁ」
「ごめんて。勢いでつい」
「今日の帰りにアイスを奢ってくれたら許してあげる」
この間のチョコミントアイスは、つくしの中では奢ってもらったうちに入っていないのかもしれない。
「高いのは無理だぞ」
「仕方ないなぁ」
「どうして俺が我が儘を言っているような感じになるんだよ!」
「確かに!」
そう言ってケラケラとつくしが笑う。
つくしは何気ない会話でも笑ってくれるから、暖かい雰囲気でいられる。それが凄く心地よくて、俺もつられて笑ってしまった。
「そろそろ行こっか」
「そうだな」
忘れ物を取りに教室へ戻っただけなのに、長居し過ぎた。これでは言い訳も立たなくなってしまう。
そうして教室を出ようとしたその時だった。
他に誰もいないと思っていた教室のドアの前。そこには、腕組みをしながら得も言われぬ表情で花咲を見つめる高梨の姿があった。
*
「へぇ、春野つくしさんって言うんだ?春の野原につくしって、すごく明るくて良い名前だね」
「……………………」
「ねぇ、つくしさんは何て言ってるの?」
「ありがとう、だってさ」
「そっかそっか。ちなみに、つくしさんってずっと学校に通ってたの?私たちが見えなかっただけで」
「……………………」
「修平、あんたが黙ってると会話が成り立たないんだけど」
「そう言われてもな…。当の本人が緊張しているから」
花咲は高梨の隣に座るつくしを見ながら、高梨へそう返答した。
今は放課後。図書室の談話スペースで、つくしと二人して高梨からの詰問を受けていた。
つくしと会話する様子を見られたあの時、つくしは認識阻害をかけていなかったらしい。
だから高梨に真っ先に詰められたのは、花咲だった。
『えぇっと、ちなみにどの辺から聞いてた?』
『最初から。つくしさんだっけ?その人がおっさんっぽいって話は聞いてた』
高梨がそう暴露すると、頭をペチッとはたかれた。つくしは風評被害だと言いたいらしい。
『ちなみに、つくしの姿は見えているのか?』
『いいや、見えてないよ。もしかして、そこに誰かいるの?』
『……………………』
花咲は答える前に、つくしを見た。つくしの姿が暴露されても良いのか、それを確認するための視線だった。
『ま、私の存在が誰かにバレても問題はないかな』
『今からどうにかならないのか?』
『高梨さんの記憶を消すことならできるよ』
『マジか、できんのかよ』
冗談半分で言ったつもりなんだが。
『やる?』
『待て待て、怖ぇわ。人様の記憶を弄ろうとするんじゃない』
『じゃあ、どうするの?』
『どうするも何も正直に言うしかないじゃん。別にバレたって良いんだろ?』
『大丈夫だけど、どうやって認識してもらうの?』
『それは…、ほら……』
『考えないんじゃん』
『うるせ。要するに、お前を認識できないことで起こる違和感を、はっきりと違和感だと認識させりゃ良いんだろうが』
『それはそうだけど』
『なら、こうすりゃ良い』
つくしの声が聞こえず、花咲の一人芝居を見させられている高梨が、心配そうな表情で花咲を見つめる。
『修平、やっぱりそこに何かいるの?』
『そうだよ。ここに居るんだ』
『何が』
『おぞましい何……kぁ!?』
多少ふざけた言葉を選んだら、つくしに思い切り脇腹をつねられた。
『なになに、何が起こってんの?』
『い、居るんだよ、ここに。人に認識されない奴が』
今度は真面目に返した。というか、つくしの腕は細いのに割と力強いな。
『え?は?』
しかし、それでもわからないらしい。そうだろうな。見えてないのだから。
『とりあえず、この筆箱を見ててくれ』
わかりやすく頭にハテナマークが浮かんでいる高梨に、思い付いたことを実践してみた。
持っていた筆箱をつくしに渡す。その意図を理解したのか、受け取ったつくしは高梨の前に筆箱を掲げて見せる。
『コレはどうして起こる?』
筆箱を指して、高梨に尋ねる。
『は?』
『もしかして筆箱が見えてない?』
『いや、見えてるけど、それが何か?』
『浮いて見えるでしょ?』
『うん。..............................。……ぁあッ!?』
高梨も違和感にやっと気付いたらしい。やはり凄い。認識しているはずなのに、その違和感に気付くことができないのだから。
『えっ、嘘でしょ!これ、本当!?え、マジで!?』
『本当だよ。筆箱が浮いているのがおかしいってわかっても見えないのか?狐みたいな格好の人間が』
『見えない。って、本当にそこに居るの?』
『居るよ。ちょっと怒った顔して』
『それはあんたが『おぞましい』とか言うからでしょ。でも、そっか…。そういう妖怪みたいなのって、本当に実在するんだ…』
途方に暮れる高梨を見て、橋崎は何かを堪える様に、少し身体を震わせていた。
『高梨は怖いか?』
『いいや。結構、妖怪とかの類は好きだし』
そうだろうな。高梨には散々、肝試しに付き合わされた記憶があるから。
『修平には見えてるの?』
『バッチリね。会話もできる』
そんなやりとりがあって、今に至る。
どうやら高梨はつくしの姿や声は認識できていないとのこと。だが、つくしがもつ鞄やすわるために引かれた椅子など、つくしが動かす物は認識できるようで、それでつくしがそこにいることを認識しているようだった。
高梨は無類の怖いもの好きである。だから、高梨にとって今の状況は願ったり叶ったりなのだろうと花咲は思った。
「つくしさんって、修平以外とコミュニケーションとったりしないの?」
高梨が興味津々の四文字を顔に貼り付けて、花咲へ質問する。いちいち通訳しなくてはいけない状況が、花咲は少し面倒になってきていた。
「俺は知らない。というか、二人で会話する方法ってないのか?」
「あるよ。筆談すれば良い」
つくしがそう言って鞄から筆記用具とルーズリーフを取り出した。そして、【私が会話できるのは、神さまと花咲君しかいないんだ】とそう綴って高梨に見せた。
「え、これってつくしさんが書いたの?」
感極まった高梨が口に両手を上げて立ち上がる。
「すごい!すごいすごい!話せた、話せたよ!修平!」
「いったん落ち着けって。ここ図書室だから。それに話せてはいないだろ。筆談できただけだ」
「それでもだよ!すごく嬉しい!」
その言葉に偽りはないのだろう。はしゃぐ気持ちが抑えきれずに漏れ出ているような様子には、もはやボーイッシュな普段の高梨が見る影もない。
そして、どうやら嬉しいのは、高梨だけじゃないらしい。しっぽが左右に激しく揺れて、両手を握りながら震わせるつくしの姿からは、こちらも溢れ出る感情を抑えきれていない様子が見て取れた。
【私も嬉しい!】
つくしが殴り書きして高梨に見せる。
「本当に?」
【嘘じゃないって!ねぇ、ぎゅってしていい?】
「良いよ!」
突然、つくしと高梨と熱い抱擁が眼前で繰り広げられる。
なぜ急にハグし始めたのか、さっぱりわからないまでも、なぜか感動的なシーンに思えて、気付けば拍手をしてしまっていた。
「あは、くすぐったい。もしかして、つくしちゃんって狐女?」
【そういう姿はしてるかな。なんで?】
「だって、修平と谷がいつもその話しているからさ。そっか、つくしちゃんのことだったんだね」
一人で納得したように頷く高梨。
高梨のつくしへの興味は止まらず続き、気付けばとっくに下校時刻を回っていた。
「それで、つくしさんはいつからその姿になったの?」
「よく喋れるな。得体の知れない奴なのに」
下校のチャイムが鳴っても、気にせず続けようとする高梨。それを制止する意図も込めて、それまで話に割って入るのを我慢していた花咲だったが、やっと口を開いた。
「だって、透明人間みたいなもんでしょ。ちょっと可愛いじゃん」
透明人間って可愛いだろうか。という内心を呼んだのか、高梨が無遠慮なことを言ってくる。
「修平、やきもち妬いてんの?」
「ちげーわ」
「まあ、でも確かに帰る時間だよね。明日も来るなら、明日また話そうかな」
「そうしてくれ」
お開きになったものの、つくしも高梨も満足していなさそうな表情だった。
*
家に帰ってきてから、つくしと二人で夕食を楽しんだ。せっかくだから、高梨も一緒の方が良かったのだろうが、どうせこれからまた会う機会などいくらでもあるのだ。
今度の休みの日にでも、ひょっとすると二人でどこかへ出かけるとか言い出すかもしれない。それほどに、今日は二人が仲良くなった日だった。
「今日は麻婆豆腐なんだ」
目の前に提供された料理を見ながら、花咲はそう言った。とても美味しそうだ。
「うん」
「つくしって、中華料理好きだよね。得意なの?」
「いいや。中華料理は好きだけど、どちらかというとあまり作りたくない。味が安定しないからさ」
「そうなんだ。なら、今日はどうして中華にしたんだ?」
「楽しいことがあった日とか、特別な日は中華にしてんの」
「そっか」
気分がいいときは中華なのか。
そういえば、出会って初日に振る舞ってもらった青椒肉絲。アレも中華だと思うんだが、指摘するのは野暮だろうと思って、花咲は代わりに「いただきます」を口にした。
*** うらまるより ***
挿絵一覧URL:https://50497.mitemin.net/
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