(8)
心の中でファイティングポーズをとっているあたしの目の前で、親同士の戦いはさらにヒートアップしていく。
「ハッキリ言って、お宅の娘さんじゃうちの拓海にとって負担なだけだ!」
「な・・・な・・・!?」
「カフェは拓海の夢なんです! 男の夢を支えられない女性では拓海に不釣合いだ!」
む・・・ムカつく―――!! なに言ってんのよアンタ!
お姉ちゃんはね、ずっとカフェの手伝いしてきたんだから!
あんたが知らないだけでしょ!? なにも知らないくせにエラそうな事を言わないでよっ!!
お母さんとオヤジは、お互い立ち上がって睨みあい、叫び合っている。
声も枯らさんばかりの勢いだ。
お姉ちゃんと柿崎さんが口を挟むスキも無い。あっけに取られて成り行きを見守るばかりだ。
「なにが男の夢ですか!? お宅の息子なんて何の甲斐性も無いくせに!」
「なんだと!?」
「食べさせる稼ぎも無いのに、女を妊娠させる事だけは一人前で!」
「よくも拓海を侮辱したな!?」
「事実でしょう!?」
「あんたの娘なんて、ろくに子どもも産めない役立たずのくせに!」
「なんですってっ!!?」
「あんたの娘は、欠陥品の役立たずだ!!」
「・・・・・っ!!」
お母さんは真っ青になった。怒りで肩がプルプルと震えている。
「こ、この・・・この・・・」
「このクソオヤジィ!! 喰らえ天誅!!!」
オヤジの身体は勢い良く横倒しになり、床にぶっ倒れた。
巻き添えになったイスが派手な音をたてる。
皆が呆然としてその光景を凝視している。
その光景。
つまり、あたしが・・・
思いっきりオヤジの背中を蹴り飛ばした右足を、宙で固定している姿を。
・・・・・。
キレた。
えぇ、ブチキレましたとも。ぶっつりと。
おじさんはもちろん、お母さんも、お姉ちゃんも柿崎さんも、大地も。
みーんな、目を真ん丸くしてる。誰一人、口をきかない。
あたしの頭の中に、あの日の花梨ちゃんの姿が浮かんだ。
あのイジメッ子を蹴り落とした花梨ちゃん。今、その気持ちが痛いほど理解できる。
おい、オヤジ・・・・・。
「ここが浄水場じゃなかったことを、天に感謝することね!!」
あたしの高らかな声でやっと空気が動き出した。
キョトンとしてあたしを見ていたオヤジの顔に、みるみる怒気が広がる。
そしてすぐさま立ち上がり真っ赤な顔で怒鳴り散らした。
「な・・・なにをするんだ! このバカ娘はっ!!」
「なにって天誅下してんのよ! このバカオヤジにっ!!」
オヤジの罵声を上回る声量で即座に切り返してやった。
オヤジの顔はますます怒気に染まる。
形相の変わったオヤジの右手が、あたしに向かって振り上げられた。
殴るつもり!?
あたしは両手両足を踏ん張って、襲い掛かってくる衝撃に立ち向かおうと身構える。
「親父! 落ち着けって! 頭冷やせよ!」
素早く大地がその腕を掴んで押さえる。そしてあたしに向かって叫んだ。
「お前も何考えてんだよ!」
「殴るなら殴ればいいじゃないの! そしたら駅前の交番の優太郎に、被害届けを提出してやる!」
「よせバカ! 火に油をそそぐなよ!」
ぎりぎりと歯軋りしながら睨みつけてくるオヤジを大地は慌てて押さえている。
ふんっ!! あんたなんか全然怖く無いわよ!
あんたもブッツリ切れてるみたいだけどねぇ・・・
こっちは、最低5ヶ所はぶっつんぶっつん切れまくってるんだからね!!
「あたしの方がキレ具合がハンパ無いんだよ!」
「こ、この娘! 頭がおかしいんじゃないのか!?」
「おかしいのはあんたの頭の方よ!」
ビシッと人差し指で、あたしはオヤジを指差してやった。
「目の前で自分の姉を欠陥品呼ばわりされて、黙っていられるか!」
あぁ、あたまにどんどん血がのぼりまくる。腹が煮えくり返りそうだ。
視界の端に、呆然としているお姉ちゃんがチラリと見えた。
その姿を見て、あたしはもっと義憤が湧いて来る。
ここで黙っちゃ妹がすたる!
お姉ちゃん、大丈夫だよ安心して!
お姉ちゃんのカタキはあたしが絶対にとるからね!
体中に激昂の炎と気合が充満するのを感じる。あたしはスゥッと息を吸い、大きく腹から声を出した。
「あんたなんか、なんにも知らないクセに!」
そうだよ! 何も知らないんだ!
お姉ちゃんがどんなに苦しんで生きてきたか!
どんなに耐え忍んで生きてきたか! どんなに頑張って生きてきたか!
どんなに優しく、あたし達を支えてくれたか!
苦しくても悲しくても、お姉ちゃんはいつも微笑んでいた。
じっと堪えて、笑顔を絶やさず、逆にあたし達を励ましてくれた。
そうね、確かにお姉ちゃんは『普通』じゃない。
あたしのお姉ちゃんは・・・
「お姉ちゃんは、優しくて強くてけな気で美人で、最っ高のお姉ちゃんなんだぞ!!」
そんな当たり前のことも分からないなんて、やっぱりこのオヤジは大バカだ!
許さないから! 許さない!
その最低の人格に、このあたしが鉄槌を食らわしてやる!
あたしはズカズカと大股で歩いて、調理台のコンロに向かう。
そしてお鍋の中を覗き込んだ。
・・・・・やっぱり。
覚えのある匂いだと思ったんだ。
お姉ちゃんの必殺技のビーフシチュー。誰が食べても絶賛する味だ。
お店で作った時に、柿崎さんが家族の分を持ち帰って皆で食べてたんだ。
おいしいおいしいって。
貶してたくせに。
お姉ちゃんのこと、さんざんヒドイ悪口で貶したくせに。
そのお姉ちゃんの手作りの料理を食べてたなんて!
うまいうまいって食べたのと同じ口で、お姉ちゃんを傷つけたなんて!!
最低オヤジめ!
あんたなんかに、このビーフシチューを食べる権利は無い!!
あたしはお鍋を両手でしっかりと掴んだ。
オヤジ、あんたはね・・・
やっちゃいけない事をしたんだよ。絶対に、言ってはいけない事を言ってしまったんだ。
その現実に対する代償を払ってもらうよ。
あたしが、この手で払わせる!
正義の鉄槌だっ! 食らえ―――っっ!!!
ぶうんと両手を回し、振り向きざまに手を鍋から離した。
遠心力でお鍋が飛んでいく。
宙に弧を描くお鍋が、まるでスローモーションのように目に映った。
バッシャ―――――ン!!!
「うわあ!? 熱ちぃ―――っ!!!」
オヤジが絶叫した。
ビーフシチュー色に染まった全身で、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
隣にいた大地は素早く避けて、オヤジひとりがモロに被った。
・・・・・最高の仕上がりだわ。
はっはっはーだ!!
「思い知ったか! ハゲのくせに!!」
あたしは胸を張り、堂々と勝利宣言をしたのだった。




