0章四話 幸せを喰らう雷
再びライトが目を覚ますと、見知らぬ家の寝台に横たわっていた。
起き上がったライトを見て、近くにいた老婆がほっと息を吐く。
「起きたかい。よかったよ、生きていてさ」
老婆は寝台の横に置かれた椅子へ座った。
「見たこともない大きな雷が落ちたから、恐る恐る様子を見に行ったんだよ。そうしたら、子どもが倒れている横で、この辺りじゃ滅多に見ない強い猛獣が黒焦げになっていた。驚いたさね」
ライトは話をほとんど聞いていなかった。
「お兄ちゃんを探さないと……!」
寝台から飛び降り、家の外へ走り出そうとする。
「待ちな!」
老婆の大声に、ライトの足が止まった。
「村の外へ出たところで、今のお前さんじゃ、この森からは出られないさね」
「でも、お兄ちゃんが!」
「この森は、外へ近づくほど強い猛獣の縄張りが増えていく。お前さんの横で死んでいた奴よりも、ずっと強い猛獣が何匹もいるんだよ」
老婆は真剣な顔でライトを見つめた。
「せっかく助かった命を、猛獣の餌にしたいっていうなら止めやしない。でも、お前さんを待っている人がいるなら、生きなきゃ会えないさね」
ライトは立ち尽くした。
先ほど襲ってきた猛獣の姿が頭に浮かぶ。
あれより強い相手には、今の自分では到底敵わない。
兄と離れ離れになってしまった。
顔も名前も思い出せないが、他にも大切な人がいなくなった気がした。
胸の奥から悲しみがあふれ出す。
ライトはその場に座り込み、声を上げて泣いた。
老婆はしばらく何も言わずに見守っていた。
「私の名前はフィーナだよ」
ライトの肩を、何度か優しく叩く。
「お前さんも、名前を言いたくなったら、いつか教えてくれさね」
フィーナはそれだけ言い残し、その場を離れていった。
ライトはその日、一日中泣き続けた。
不安や悲しみを抱くたび、感情が際限なく膨れ上がっていく。
村人たちは泣き声を叱ることもなく、少し離れた場所から心配そうに見守っていた。フィーナも何度か様子を見に来たが、ライトの涙は止まらなかった。
夜が明け、森の中の村へ朝日が差し込む。
ライトはまだ、昨日と同じ場所に座っていた。
朝の光が何かに反射し、視界へ入る。
顔を上げると、村の中心に大きなダンベルのような形をした石のオブジェが飾られていた。
それを見た瞬間、頭の奥に誰かの声が蘇る。
――ここから先は、自分の足で走れるな?
顔も名前も思い出せない。
それでも、その人が自分を信じてくれていたことだけは分かった。
ライトは袖で涙を拭った。
泣き声が止んだことに気づき、フィーナが様子を見に来る。
ライトは震える足で立ち上がった。
「フィーナさん。昨日は助けてくれて、ありがとうございました」
涙で掠れた声を絞り出す。
「お礼と自己紹介が遅くなって、ごめんなさい。俺の名前は、ライト・ザック・バーナルです」
フィーナは笑い、ライトの頭を優しく撫でた。
「悲しくて泣きたいときは、気が済むまで泣けばいいさ。無理に止める必要なんてない」
それから、村を囲む森へ目を向ける。
「昨日の猛獣が怖かったなら、ここにいる間は安心していい。私を含めて、結界を張れる者が交代で村を守っているからね。村の許可がない者は、猛獣でも入ってこられないさね」
ライトは小さく頷いた。
「村の者はみんな優しい。少しずつ慣れていけばいいよ。前にどんな暮らしをしていたかは知らないが、ここの暮らしも悪くないさ」
フィーナはライトを連れ、村の人々を紹介して回った。
誰も事情を無理に聞こうとはせず、温かく接してくれた。
村の中を歩いていると、両親と手をつなぐ子どもの姿が目に入る。
子どもは幸せそうに笑っていた。
その姿に、ライトの胸が締めつけられる。
なぜ羨ましいのか分からなかった。
考えようとして、気づく。
自分にも、父親と母親がいたはずだ。
しかし、二人の顔も、声も、名前も、何一つ思い出せなかった。
◇
ライトが村へ来て、一週間ほどが過ぎた。
ある日、フィーナが森について教えてくれた。
「この森は、昔から『神の捨て場所』と呼ばれているのさ」
「神の捨て場所?」
「森の外側は、強い猛獣たちの縄張りに囲まれている。昔の先祖には猛獣と意思疎通ができる者がいて、森の中で共生していたらしいんだけどね。今はそんな力を持つ者もいない」
フィーナは、採取した木の実を籠へ入れながら続ける。
「だから今は、猛獣の群れに見つからないように、村の近くで狩りや採集をして、ひっそり暮らしているさ」
その話を聞き、ライトは思った。
猛獣に襲われながらも、この村の近くへ飛ばされてきたのは、奇跡だったのかもしれない。
拾われてから半年が過ぎる頃には、ライトはすっかり村に馴染んでいた。
「ライト兄ちゃーん!」
「ライト!」
「ライトにいにー!」
村の子どもたちが、笑いながら駆け寄ってくる。
「今日も元気だな! オルテ、ガイ、マッド!」
ライトも笑顔で名前を呼び、手を振り返した。
遠くからフィーナの声が飛んでくる。
「ほら、ライト! さっさと今日の狩りへ行くさね! 今日は魚が食べたいよ!」
「ほーい、ほい」
「ほーいじゃない! 『はい』でしょうが!」
「はーい」
「返事を伸ばすんじゃないさ!」
口では怒っているが、フィーナの表情はどこか楽しそうだった。
ライトも、そんなやり取りが嫌いではなかった。
血のつながりがない自分にも、フィーナは惜しみなく愛情を注いでくれる。
本当の母の記憶はない。
それでも、母親がいたなら、こんな感じだったのかもしれないと思うようになっていた。
この村も、フィーナも、村の人々や子どもたちも好きだった。
それでも、ときどき考えてしまう。
本当の父や母、そしてメモリーが揃っていれば、もっと幸せだと感じるのだろうか。
火山に飲み込まれる直前、顔も思い出せない誰かが自分へ言った。
――幸せになってね。
幸せとは、何なのだろう。
この村で感じる温かさも、きっと幸せなのだと思う。
それでも、胸に残る満たされない感覚の正体を知りたかった。
いつか森を出られるほど強くなり、世界を巡って自分なりの答えを見つける。
ライトはそう決意した。
その日の狩りから戻ると、ライトはフィーナへ尋ねた。
「村の中心に飾ってある、ダンベルみたいな道具って他にもある? あったら貸してほしいんだけど」
「あるさ!」
フィーナはライトを倉庫へ案内した。
「この村の名前はダンベル村! その名に恥じないトレーニング道具が山ほど眠っているさね!」
倉庫の扉を開けると、石で作られたダンベルやバーベルが大量に並んでいた。
ライトの目が輝く。
「フィーナ! これ、使っていいの!?」
「好きなだけ使うといいさ。マッチョになれば狩りにも役立つからね」
「ありがとう!」
ライトは大喜びで石のダンベルを持ち上げた。
しかし、すぐに動きを止める。
「俺、半年も住んでたけど……ここ、ダンベル村って名前だったんだ……」
「今さらかい」
それからライトは、メモリーと続けていたトレーニングを再開した。
最初は一人で黙々と鍛えていたが、次第に興味を持った村人たちが集まり始める。
「おう、ライト! 何やってるんだ?」
「ヴォルケニア式のトレーニングと、武術の基礎練習!」
「ライトの故郷の鍛え方か。面白そうだな」
「普段と違う筋肉に効きそうだ。俺もやってみるか!」
一人、二人と仲間が増え、やがて村の男たちの多くがライトと一緒にトレーニングをするようになった。
皆に囲まれて笑うライトを、フィーナは少し離れた場所から見つめていた。
「もう、心配はいらないさね」
そう呟き、静かに微笑んだ。
ライトはトレーニングと並行して、自分の能力についても調べ始めた。
森で猛獣を倒した雷をもう一度出そうと、何度も試す。
「オルゥアッ!」
胸を叩き、猛獣のようにドラミングしてみる。
「死にたくなああああい!」
あの日の恐怖を思い出して叫んでもみた。
しかし、どれだけ試しても雷は出なかった。
あのとき、自分は何を感じていたのか。
ライトは何日も考え続けた。
そんなある日の夕食。
食卓に、ライトの好物である肉料理が並んだ。
この村では肉は珍しく、祝い事でもなければ滅多に出てこない。
「何をぼんやりしているんだい。早く食べなさ」
フィーナに促されても、ライトは料理をじっと見つめていた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
その瞬間、誰かと肉料理を囲み、楽しく笑っていた感覚が頭をよぎった。
「フォッ!」
「何だい、急に気色悪い声を出して」
ライトは笑顔になる。
「いただきまーす!」
あっという間に食べ終え、食器を片づけた。
フィーナは引き気味にその背中を見つめていた。
翌日。
村外れの特訓場所で、ライトは昨日の夕食を思い返していた。
猛獣に襲われたときにも、誰かと過ごした幸せな記憶が頭の中を流れていた。
目を閉じ、珍しい肉料理を見た喜びと、フィーナと食卓を囲んだ時間を思い浮かべる。
手を前へかざし、思いついたまま叫んだ。
「夕飯に肉がある雷! ミートライトニング!」
掌から雷が放たれた。
前方の木々を直撃し、何本もの幹を黒焦げにして倒す。
「出た……!」
ライトは興奮して振り返った。
すぐにフィーナへ報告しようとして、動きを止める。
昨日の夕飯に何を食べたのか、思い出せなかった。
肉料理を見たときの喜びも、その味も、記憶から綺麗に抜け落ちている。
食卓に座るフィーナの姿は覚えていた。
しかし、その前に何が置かれていたのかだけが白く欠けていた。
「……俺、昨日何を食べたんだ?」
雷を放った喜びが、記憶を失った不気味さに塗り潰されていく。
その後、何度も検証を重ね、ライトは自分の能力を理解した。
幸せな記憶を消費することで、雷を操る。
消費する記憶が大きいほど、雷の威力も高くなる。




