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三章七話 思いっきり笑ってやる

 父が帰らなくなってから、母は少しずつ壊れていった。


 最初は、ただ元気がなかった。


 やがて、夜も眠れなくなった。


 ルナが笑うと。


「……!」


 母の身体が強張るようになった。


「お母さん?」


「何でもない」


「今日ね、学校で――」


 ルナが笑う。


「笑わないで!」


 母が突然叫んだ。


「…………」


「あ……」


 すぐに口を押さえる。


「ご、ごめんなさい。違うの」


「うん」


「ルナの笑顔が嫌なんじゃないの」


「分かってる」


「でも、笑うたびに……」


 母の目から涙が落ちる。


「貴方の命が減ってるって思うと……怖くて……」


「大丈夫だよ」


 ルナは、また笑おうとする。


「笑わないで!」


「…………」


「ごめんなさい!」


 母は泣き崩れた。


「何で私は、娘に『笑うな』なんて言ってるの……」


 それからも、ルナが笑えば怯え、笑わなければ自分のせいだと責めた。


 父が帰らない不安。


 娘の寿命。


 罪悪感。


 母の心は、限界へ近づいていった。


     ◇


 ルナは母を元気づけようとした。


 歌った。


 話しかけた。


 時々、昔のように笑った。


 ある日、母の肩へ触れながら歌い、無意識に指を鳴らした。


 ――パチン。


「……っ!」


 突然、口の中へ砂利を詰め込まれたような不快感が広がった。


 同時に、母の不安、恐怖、苦しみがルナの中へ流れ込んでくる。


「何……これ……」


 その日、母は久しぶりに笑った。


 食事をしながら、普通に会話ができた。


 これが自分の能力なのだと、ルナは気づいた。


 それからは、母が抱えている「今の苦しみ」を、できる範囲で引き受けていった。


 母が楽になるだけでなく、不運を吸収している間は、自分の寿命が減る速度も僅かに遅くなった。


     ◇


 ルナが十六歳になって少し経った頃。


 外ではほとんど笑わなくなった。


 それでも、母と二人きりの時だけは、時々笑った。


「ルナ!」


「ん?」


「笑わないで!」


「…………」


「あ……ごめんなさい」


「大丈夫」


「本当にごめんなさい」


「大丈夫だって」


 母はそのたびに激しく自分を責めた。


 ルナが望んだのは、ただ一緒にいてくれることだけだった。


     ◇


 ある日。


「ただいまー!」


「お母さーん! 今日の夜ご飯なあにー?」


 返事がない。


「お母さん?」


 食卓の上には、一枚の手紙が置かれていた。


 ルナへ。


『貴方が笑うたびに、私は怖くなりました。


 貴方が笑わないと、今度は私のせいで我慢させているように思えて苦しくなりました。


 私は何度も貴方へ「笑わないで」と怒鳴りました。


 そのたびに、自分が母親として最低の人間に思えました。


 私がそばにいるから、ルナは無理して明るく振る舞っている。


 私がいるから、貴方の命が削れていく。


 そう思うことを止められなくなりました。


 もう、自分では正しく考えられません。


 このまま一緒にいたら、もっと貴方を傷つけてしまう気がします。


 私はこの国を去ります。


 探さないでください。


 勝手な母親でごめんなさい。


 ルナの残りの人生が、どうか幸せでありますように。


 愛しています』


「…………」


 手紙が床へ落ちた。


「……やだ」


 ルナは膝をつく。


「やだよ……」


 涙が止まらない。


「みんな……」


 父も。


 母も。


「みんな、私の周りからいなくなっちゃったよぉ……」


 愛されていた。


 それでも、呪いは父を旅立たせ、母を壊し、最後には自分から引き離した。


「全部……呪いのせいだ」


 涙を拭う。


「絶対、神託に応えてやる」


 立ち上がる。


「絶対に呪いを解いて……!」


 震えながら叫ぶ。


「思いっきり笑ってやる!」


「お父さん」


「お母さん」


「私……呪いなんかに負けないから……!」



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