二章七話 良いお兄ちゃん雷
「ソウ兄!」
ミルが叫ぶ。
「もうやめてよ!」
「黙れ!」
「昔から普通について偏見は強かった! でも昔のソウ兄は、国民を一番に考えてたじゃん!」
「国民?」
ソウが笑う。
「そんなもの、どうでもいい!」
「……!」
「あの方に認められなければ、全てが終わる!」
「あの方?」
「あのお方は『己の幸せを追求しろ』と教えてくださった」
ソウの瞳が狂気に染まる。
「そして我へ教えてくださった!」
「何を?」
「『これこそがお前にとっての普通だ』と!」
ソウは両腕を広げる。
「普通を守り! 普通である者だけに囲まれ! あのお方へ認められる!」
高らかに笑う。
「それが我の幸せなのだ!」
ミルの瞳に涙が浮かぶ。
「……その人が思う普通と、ソウ兄が思ってる普通だって違うじゃん」
「黙れ」
「昔みたいに、二人でご飯食べようよ」
「…………」
「お忍びで街へ遊びに行こう」
「黙れ」
「また兄妹で――」
ソウが口を開き、ミルへ襲いかかった。
「何やってんだテメー!」
雷を纏ったライトが二人の間へ飛び込む。
「お兄ちゃんだろうが!」
拳が、ソウの巨体を吹き飛ばした。
◇
数分間、ライトとソウは激しくぶつかり続けた。
しかし――。
ライトを包んでいた雷が消える。
「……くそ」
片膝をつく。
「どうした俺……気合いが足りてねえな……」
息が上がる。
負ける。
その考えがよぎった瞬間、恐怖が何倍にも膨れ上がった。
「お前たちが来なければ!」
ソウが叫ぶ。
「ミルを殺さずに済んだ!」
「俺たちの……せい?」
「全てお前たちのせいだ!」
ライトの胸に罪悪感が突き刺さる。
呪いが、それすらも膨らませていく。
「……それは悪かった。でもよ」
ライトはソウを見る。
「お兄ちゃんなら……自分の命賭けてでも、弟とか妹を守るんじゃねえのかよ」
ソウの顔が僅かに歪んだ。
「今更……」
「ん?」
「今更、普通の価値観を変えられるわけがない」
その声。
僅かな間。
揺れる目。
――こいつ。
――本当はミルを殺したくないんじゃないか。
「まず貴様を殺す」
ソウが迫る。
「次にミル」
恐怖がさらに膨らむ。
「次に貴様といた女。そしてサブロー!」
ライトの頭の中が真っ黒になる。
――怖い。
――死にたくない。
――逃げたい。
だが、マッスル・ライトニングに使った自己ベスト更新の記憶は、もう消えている。
速く走る感覚。
効率よく加速するための身体の使い方。
そこだけが抜け落ちていた。
「くそ……」
ライトの足が震える。
――逃げても追いつかれる。
――身体も限界だ。
――死ぬ。
「死にたくねえ……」
ソウの巨大な口が迫る。
次の瞬間、大量の水がその身体へ叩きつけられた。
「ぐおっ!」
「いやー! 間に合ってよかった!」
「……サブロー?」
ライトが振り返る。
目を開いたサブローと、ルナが立っていた。
「ようやく糞王への怒りを水に流せた!」
サブローが笑う。
「目、見えるようになったぜ!」
「サブロー!」
「待たせたな、ライト!」
ルナがライトへ駆け寄る。
「ライト」
「ルナ?」
「今、呪いで膨れ上がってる恐怖、やばいんでしょ」
「……分かるのか?」
「顔見れば分かる」
ルナはライトの肩へ手を置いた。
「でも勘違いしないで。私はライトの呪いを消すことはできない」
指を鳴らす。
――パチン。
「今この瞬間、増幅されて苦しんでる分だけ引き受ける!」
ライトの胸を押し潰していた恐怖の一部が、ルナへ流れ込んだ。
「……っ」
ルナの顔が僅かに歪む。
「砂利団子百個くらい食わされた気分……」
「ルナ……」
「また怖くなったら呪いは発動するからね」
「おう!」
「だから今のうちに立ちな!」
ライトは立ち上がる。
「サンキュー、ルナ!」
「はいよ!」
だが、身体へのダメージは残っている。
ライトの足元がふらつく。
サブローは両手から水を放ち、ソウを押さえ続けていた。
「ライト!」
「何!」
「このまま動きを止めて逃げることもできる!」
「…………」
「何か策があるなら、早くしてくれ!」
サブローの腕が震える。
「俺の能力の燃料も無限じゃないからな!」
ライトは目を閉じた。
頭に一人の男が浮かぶ。
銀色の髪。
大きな身体。
暑苦しい笑顔。
メモリー。
一緒に遊んだ。
鍛えた。
何度も守ってもらった。
大好きな兄。
目の前にも、兄と妹がいる。
このまま終わらせたくなかった。
「サブロー!」
「おう!」
「打開策になるか分からねえけど……試したい技が一つある!」
「分かった!」
「それが駄目なら気合いで逃げよう!」
「最後は気合いか!」
サブローは笑った。
食事も与えられず、暴力を受け続けた身体は、すでに限界に近い。
それでも笑ってみせる。
「カッコよく決めろ、ライト!」
「任せろ!」
ライトが地面を見る。
「その前に、この辺一帯を水浸しにしてくれ!」
「了解!」
サブローは片手でソウを押さえつつ、もう片方の手から大量の水を放つ。
地面。
壁。
ミル。
ルナ。
「冷たっ!」
「すまん、ルナちゃん!」
「何で私まで!」
「文句はライトに!」
ライトはソウを見る。
「ソウ!」
「何だ!」
「お前の言う『普通の幸せ』が、誰かに教えられて、縛られて作ったものなら――」
メモリーとの記憶が浮かぶ。
「もう一回、ミルと!」
一緒に筋トレをした。
「国民と!」
笑った。
「みんなと考え直せ!」
守ってもらった。
「お前にとって普通じゃないものだって――」
そして、最後に聞いた声。
――お兄ちゃんが絶対に守ってやる。
「この世界にはあって普通なんだよ!」
ライトは目を閉じる。
「…………」
消える。
この技を撃てば、この思い出はきっと消える。
メモリーの顔。
声。
名前。
兄と過ごした日々。
ライトは小さく呟く。
「メモリーお兄ちゃん」
声が震えた。
「俺たちなら、きっと……」
拳を握る。
「俺がお兄ちゃんを忘れても……」
それでも笑った。
「また仲のいい兄弟になれるよな」
「何をしようが無駄だ!」
ソウが叫ぶ。
「この目障りな水も弱くなってきているぞ!」
「ラ、ライト……」
サブローが歯を食いしばる。
「まだか……!」
「今だ!」
ライトは両手を濡れた地面へ叩きつけた。
「喰らえ!」
メモリーとの思い出が、雷へ変わる。
「良いお兄ちゃん雷――グッドブラザー・ライトニング!」
ベージュ色の雷が水を伝い、一瞬で辺り一面へ広がった。
「うおっ!?」
サブローが身構える。
「大丈夫!」
ルナが叫ぶ。
「色が違う! 多分、私たちを傷つける雷じゃない!」
「『多分』なの!?」
雷はソウへ。
ミルへ。
そして、その場にいる全員を包み込んだ。




