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0章二話 幸せになれよ

 今までに経験したことのない激しい揺れが、ヴォルケニア島全体を襲った。


 二人はまともに立つこともできない。


 メモリーは倒れそうになったライトの腕を強く掴む。


「絶対に大丈夫だ! 落ち着け!」


 ライトの顔は青ざめ、唇が震えていた。


 やがて地震は収まった。


 しかし、静寂は一瞬だった。


 何百年も前に活動を終えたと伝えられていた火山が、島全体を揺らす轟音と共に噴火した。


 黒煙と炎が空を覆い尽くしていく。


 ライトはその光景を目にした瞬間、腰を抜かした。


 声を出そうとしても、喉からはかすれた息しか出てこない。


「ライトおおおお! お兄ちゃんの熱量は、火山の噴火以上だぞおおおお!」


 メモリーはライトを背中に担ぎ上げ、両親の元へ駆け出した。


 弟へ向ける声は、いつもと同じだった。


 だが、その腕も小刻みに震えていた。


 巨大な火砕流が、パッション村へ迫ってくる。


 村人たちは逃げ惑い、辺りには恐怖に満ちた叫び声が響いていた。


 混乱の中、メモリーとライトは両親と合流する。


 ガレスは二人の無事を確かめると、すぐに海岸の方角を指さした。


「海岸に、俺が漁で使っている船がある! それに乗って他の国へ逃げるぞ!」


 セレナとメモリーは力強く頷く。


 ライトは今も身体を震わせていた。


 地震で足を痛めたセレナをガレスが背負い、メモリーがライトを抱えて、一家は海岸へ走り出す。


 その途中、火山が再び激しい音を上げた。


 火山灰と無数の噴石が、空から降り注ぐ。


「おんどりゃあああ! 気合い! 根性! 筋肉うううう!」


 ガレスは家族を守るように先頭へ出ると、迫る噴石を鍛え上げた蹴りで次々と逸らしていった。


 熱を帯びた石に触れるたび、足に火傷が増えていく。


 それでも走る速度は落ちなかった。


 だが、背後から迫る火砕流は、次第に一家との距離を縮めていた。


 このままでは、海岸へたどり着く前に全員が飲み込まれる。


「止まれ!」


 ガレスはセレナを下ろした。


 ライトを抱えていたメモリーも足を止める。


 ガレスは家族へ、いつものような笑顔を向けた。


「ライト。ここから先は、自分の足で走れるか?」


 ライトが答えるよりも先に、ガレスは大きく頷いた。


「いや、走れる! お前は俺の子どもだからな!」


「お父さん……?」


「メモリー。次は、お前が母さんとライトを守れ。お前はもう、父さんを超えつつある。自信を持て!」


「父さん、何を……」


「セレナ!」


 ガレスは妻の顔をまっすぐに見つめた。


「村で一番暑苦しくて、みんなから煙たがられていた俺と一緒になってくれてありがとう! 愛してるぜ!」


「ガレス……!」


 ガレスは三人へ背を向け、鼻を何度も啜った。


「よし! 言いたいことは言えた! 後悔は残したくないからな!」


 本当は、まだいくらでもあった。


 成長した息子たちを、もっと長く見ていたかった。


 セレナの夕飯を、家族四人でもっと食べたかった。


 だが、口にすれば三人を逃がせなくなる。


 ガレスは無理やり笑った。


「ここはお父さんが時間を稼ぐ! 振り返らずに逃げろ!」


 迫り来る火砕流へ向かって走り出す。


「お父さん! お父さん!」


 ライトは泣きながら、遠ざかる背中へ手を伸ばした。


「そんな死ぬみたいなこと言わないでよ! 嫌だ! 行かないでよおおおお!」


 セレナも涙を流しながら、ライトの手を強く握る。


「ライト! お父さんの気持ちを無駄にしたくないなら、走るよ!」


「でも、お父さんが! 嫌だよおおお!」


 メモリーは涙を拭い、泣き叫ぶライトを背負った。


「行くぞ、ライト!」


「お兄ちゃん! 嫌だ! お父さんを助けてよおおお!」


 メモリーは答えなかった。


 ただ歯を食いしばり、セレナと共に海岸へ向かって走り出した。


 ガレスは迫り来る火砕流の前で足を止め、両手を突き出した。


「ガーディアン・ウォール!」


 大地を揺らす音と共に、巨大な壁が出現した。


 その両端が谷を形成する岩壁へ深く食い込み、押し寄せる火砕流の進路を塞ぐ。


 ガレスの能力は、巨大な盾や壁を生み出すこと。


 ただし、壁を維持している間、彼の筋肉は力の源として消費され続ける。


 火砕流に押され、壁が少しずつ後退していく。


 同時に、ガレスの太い腕や脚から筋肉が失われていった。


「大切なものを守るために……今まで鍛えてきたんだ……!」


 ガレスは震える足で大地を踏みしめる。


「この壁が出せなくなるまで、付き合ってもらうぜ……相棒たち!」


 壁を越えた熱が、ガレスを襲う。


 火山灰が喉へ入り、息をするたびに胸が焼けるように痛んだ。


 壁は赤く熱せられ、押し当てた掌から白い煙が上がる。


 それでも、ガレスは手を下ろさなかった。


 ふと、今夜の夕飯が頭に浮かんだ。


 セレナは、息子たちの好きな料理をたくさん作ると言っていた。


「食いたかったなあ……」


 かすれた声で笑う。


 やがて、ガレスの身体からほとんどの筋肉が失われた。


 痩せ細った身体では、もう立っていることもできない。


 片膝をつきながら、一度だけ後ろを振り返る。


 大好きな三人の姿は、もう見えなかった。


 無事に逃げてくれたと信じ、三人が走っていった道へ笑顔を向ける。


「メモリー……ライト……セレナ……」


 焼けた喉から、掠れた声を絞り出した。


「幸せに……なれよ……」


 火砕流をせき止めていた巨大な壁が消えた。


 解き放たれた炎と灰がガレスを飲み込み、そのまま海岸へ向かって進んでいった。


 セレナ、メモリー、ライトは海岸へたどり着いた。


 しかし、三人は目の前の光景に言葉を失った。


 海岸に置かれていた船は、噴石によってどれも半壊していた。


 海へ出られる状態ではない。


「そんな……」


 セレナはその場に膝をついた。


 ガレスが命を懸けて遅らせた火砕流が、再び迫ってくる。


 セレナはメモリーとライトを、両腕で強く抱き締めた。


「メモリー。ライトのことをよろしくね」


「母さん……?」


「たくさん言いたいことはあるけど……私たちの元に生まれてきてくれて、ありがとう」


 セレナは涙を流しながら、それでも優しく微笑んだ。


「二人とも、幸せになってね」


「お母さん、やめてよ!」


 ライトはセレナの服を強く握った。


「一緒に逃げようよ! お兄ちゃん、助けてよ! うわあああ!」


「ライト!」


 メモリーが弟の肩を掴む。


「最後がそれで本当にいいのか!? 俺は嫌だから、ちゃんと伝える!」


 メモリーはセレナの目をまっすぐに見つめた。


「母さん! 父さんには伝えられなかったけど……俺は、二人の息子で本当に良かった! ありがとう!」


 ライトは泣きながら、何度も息を吸った。


「お、俺も……お父さんとお母さんのこと、大好きだった……! ありがとう……!」


 セレナは、二人をさらに強く抱き締めた。


 目を閉じ、祈るように念じる。


 人間を遠くへ飛ばしたことはない。


 どこへたどり着くのかも分からない。


 それでも、息子たちが生き延びられる場所を願った。


「二人が、生き延びられる縁のある場所へ……!」


 セレナは、呪いによって幸福を自覚できる時間が極端に短かった。


 息子たちを抱き締める温もりも、家族で食卓を囲んだ喜びも、幸せだと思ったそばから薄れていく。


 だからこそ、消えかけるたびに何度も思い返し、一つ一つの記憶を大切に抱えてきた。


 神から与えられた能力は、その幸せな記憶を代償に、物や人を遠くへ飛ばす力だった。


 抱き締めていた腕の中から、メモリーとライトが消えた。


 二人を遠くへ飛ばすため、セレナは家族との幸せな記憶をすべて使い切った。


 夫の名前も、息子たちの顔も、もう思い出せない。


 それでも、二人が消えた空間を見つめて笑っていた。


 理由も分からないまま、一筋の涙が頬を伝う。


 直後、火砕流がセレナを飲み込んだ。


 炎と灰は島中へ広がり、やがてヴォルケニア島のすべてを覆い尽くした。

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