第62話 開かずの間での安らぎ。魂の誓い
早朝の狂騒と朝食を終え、王宮北の塔――私たちだけの開かずの間へと戻ってきた。
重厚な扉の向こうに広がる静寂と、パチパチと爆ぜる暖炉の音に包まれた瞬間、私は全身の力が一気に抜けるのを感じた。
私たちは吸い寄せられるように、部屋の中央にある豪奢な天蓋ベッドへと歩み寄り、折り重なるようにして倒れ込んだ。
「ふぅ……疲れた。まさか君がツルハシ一本で第二王子の私兵を破滅させるとは思わなかったよ、僕の男前な騎士様?」
ギルバート殿下が、私の胸元に顔を埋めながら、悪戯っぽく囁いた。
その白く細い指先が、私の首筋から肩へと伸び、怪しい魔力を帯びた撫で上げ方をし始める。
「……ッ!? で、殿下、何をしているのですか!」
「ん? 労いだよ。僕の極上の魔術マッサージで、酷使したその筋肉を解してあげるんだ。さあ、力を抜いて僕の快楽に身を委ねなさい……」
「結構ですッ!! 絶対に嫌です! 殿下のマッサージはろくなことになりません!」
私は、全力で殿下の手を跳ね除けた。
だって、殿下が言うマッサージなんて、どうせ私の脳髄をドロドロに溶かすようなマッサージに決まっているのだ!
しかし、強気に抗議しながらも。
触れ合った彼の指先の確かな温もりに、私の胸の奥で、ギュッと締め付けられるような痛みが走った。
……ああ。触れられる。
声が聞こえる。
殿下が、私の目の前にいる。
私は跳ね除けたはずの彼の細い指を、今度は両手で包み込むように、愛おしそうにぎゅっと握りしめた。
「……恐ろしかったのです」
「リリア?」
「パスが……途切れた時です。殿下の声も、苦痛すらも届かなくなって……世界から光が消えて、私自身の魂が切り取られたような……冷たくて、恐ろしい孤独でした」
声が、情けないほど微かに震える。
「もう二度と、殿下と話すことも、触れ合うこともできないのではないかと……それが何よりも、怖かった」
命を懸けた強襲。
すべてはあの恐怖から逃れ、彼を取り戻すための必死の足掻きだったのだ。
殿下を失うくらいなら、世界中を敵に回した方がマシだった。
殿下はアメジストの瞳を和らげると、握られた私の手を軽く握り返し、そのまま私を強く、強く抱きしめてくれた。
「……寂しい思いをさせて、すまなかった。……僕も、同じ気持ちだったよ」
耳元で響く、彼の静かな声。
「手枷をはめられ、魔力を奪われた時……君の声が遠ざかるのが、何よりも恐ろしかった。だから、君が扉を破って現れた時、本当に……涙が出るほど嬉しかったんだ」
殿下は私の胸に額を押し当て、真剣な声で問いかけてきた。
「……リリア。魔導具の影響か、僕たちの感覚共有も魂の定着も、もう元には戻らないかもしれない。このまま一生、君は僕の姿で、僕は君の姿で……僕たちはお互いの半身として生きていくことになるかもしれない。それでも……君は僕と一緒にいてくれるかい?」
それは、彼の根底にある不安。
だが、私の瞳に迷いは微塵もなかった。
中身がどうであろうと、外見がどうであろうと、そんなことは些末な問題だ。
「無論です、殿下」
私の魂の底からの、真実の言葉。
「私は貴方と出会い、この部屋で入れ替わってから、一度捨てかけた騎士としての生き方を取り戻すことができました。私が信じた剣が、貴方という王のために振るえるのなら……それ以上の誇りはありません」
私は、殿下の顔を両手で包み込み、真っ直ぐに見つめ返した。
「ですから……こんな不器用な私ですが。これからは貴方の魔術で、私を、私たちの未来を、ずっと守ってくださいね」
これは告白じゃない。
私のすべてを彼に捧げるという、騎士としての、そして一人の女としての絶対的な誓いだ。
その言葉を口にした瞬間。
ギルバート殿下の中で、理性を繋ぎ止めていた最後の糸が、ぷつりと音を立てて弾け飛んだのがわかった。
「……っ、もう、我慢できない」
「へ……? きゃっ!?」
視界が激しく反転した。
殿下は溢れんばかりの魔力を滾らせ、なんと私をベッドへと力強く押し倒したのだ。
真紅のドレスの裾が煽情的に乱れ、美しい銀髪がシーツへと広がる。
「ちょ、ちょっと殿下!? 何をするのですか!」
「君が悪いんだぞ、リリア! そんな顔でそんな愛の告白をされたら、僕がどれだけ狂わされるか……ッ!」
「告白ではなく誓いです! だいたい、今回一番悪いのは殿下じゃないですか! 勝手に第二王子に喧嘩を吹っかけて、魔術で疲弊して自滅して捕まるなんて……バカなんですか!」
「バカとはなんだバカとは! 僕は君のためにやったんだ、少しは感謝しろ!」
「感謝!? どれだけ肝を冷やしたと思ってるんですか! 少しは人の気も考えてください!」
「僕は王子だから人の気なんて知らんな!」
「なんですって、この変態王子!!」
言葉を散らし、ベッドの上でにらみ合う私たち。
だが、お互いの息が届く至近距離で顔を見合わせているうちに、自然と二人の唇からフッと可笑しそうな笑みがこぼれた。
「……ふふっ」
「……まったく、君ってやつは」
どんなに甘いムードになっても、結局私たちはこうやって痴話喧嘩をしてしまう。
でも、それが最高に愛おしい。
私はゆっくりと腕を回し、ギルバート殿下の首を抱き寄せた。
そして、彼の冷たい唇へ、優しく、甘く自らの唇を重ねる。
口づけが深くなるにつれ、私たちの間で感覚共有が怪しく、しかしどこまでも甘美に脈動し始める。
「……あ」
衣類が滑り落ち、互いの肌が直接触れ合った瞬間、二人の口から同時に吐息が漏れた。
入れ替わった身体と、魂の深層で繋がった感覚共有。
殿下が私の肌を撫で、愛撫を捧げるたび、その与えられた快感が、パスを通じてそのまま直に彼自身の魂へと跳ね返っていく。
そして私が彼の熱を受け入れ、快楽に身を震わせるたび、その恍惚の震えがそのまま私自身の快感として増幅されて還ってくる。
「ぁ……あ、ぁッ……!? でん、か……これ……っ!」
「っ……く、あ……! すごい、な……君が感じている気持ちよさが……全部、僕の中に流れ込んできて……っ!」
ああ、だめ……っ!
自分がどっちの体で感じているのか、分からなくなっていく……!
自分の与えた愛が、相手の快感となり、それがさらに自分へと返ってくる快感の無限ループ。
快楽の波は留まることを知らず、螺旋を描くようにどこまでも、どこまでも高まっていく。
殿下が指先を蠢かせるたび、私はシーツを掴んで爪を立て、熱い涙を零して喘いだ。
私が喘ぐたび、その愛おしい感覚が彼自身の脳髄を直接焼き焦がす。
「リリア……好きだ、愛している……君のすべてが、僕のものだ……ッ!」
「でん、か……あぁぁッ! 私も……私も、貴方を……ぁっ!!」
重なり合い、溶け合い、すべての境界線が消えていく。
自分であって、相手である。男であり、女であり。覇王であり、魔王である。
二人で一つの完璧な存在へと昇華されていくような、狂おしいまでの恍惚と官能の渦。
朝陽の差し込む開かずの間に、私たちの果てしない愛の喘ぎと、甘い水音がいつまでも、いつまでも響き渡っていた。
――そして、翌朝。
黄金色の朝日が、乱れた天蓋ベッドを優しく包み込んでいた。
ベッドの上には、一指たりとも動かせないほど愛し合い、互いの体温を確かめ合うように抱き合ったまま泥のように眠る二人の姿があった。
まさに身も心も溶かし尽くされた、幸福な満身創痍。
「……ん」
先に瞼を開けた私は、自分の胸の中で静かな寝息を立てている殿下の愛しい顔を見つめた。
私の銀髪をそっと撫でてやると、彼もゆっくりとアメジストの瞳を開いた。
私たちは見つめ合い、どちらからともなく、クスリと幸福な笑みをこぼした。
「おはようございます、私の愛しい魔王様」
「おはよう、僕の可愛い共犯者」
重なり合う二人の手が、指を絡ませ合う。
入れ替わった運命も、これから立ち塞がる困難も、この二人であれば何一つ恐れるものはない。
新しい時代の光の中で、私たちの絆は永遠の誓いとなって、深く、甘く刻み込まれたのだった。




