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第63話 黎明財閥誕生と国産魔導自動車

殿下の奪還から、数ヶ月の時が流れた。


王都の一等地に新築された、巨大なガラス張りの高層建築。


その最上階にある豪奢な執務室で、私は、執務机にうずたかく積まれた分厚い書類の山を前に、今日何度目か分からない深いため息をついていた。


王都南部における魔導インフラ網の再整備に関する減税措置の特例申請?


アシュトンでの魔鉱石の先物取引における為替リスクヘッジの考察……?


だ、だめだ……文字が上滑りして、全く頭に入ってこない……っ!


重厚な万年筆が、まるで魔鉱山で振るったあの鋼のツルハシよりも重く感じる。


書類に並ぶ難解な専門用語の羅列を睨みつけながら、私はギリギリと頭を抱えた。


あの夜、第二王子レオンハルトによる私兵の無断動員、そして何よりアシュトンと結ぼうとしていた王国の土地と事業の切り売りという決定的な売国密約の証拠が公に暴露されたことで、王都の勢力図は完全にひっくり返った。


レオンハルト陣営は完全に失脚し、彼に連なっていた旧態依然とした貴族や商人たちも次々と没落していく。


代わって王都の経済の頂点に君臨したのが、ベアトリス様を擁するローゼンブルク公爵家の全面的な支援を取り付けた、私たち第三王子陣営の黎明商会である。


特に、私が辺境で自らツルハシを振るって掘り当てた魔鉱石の純鉱脈は、これからの産業革命に不可欠な莫大なエネルギー源として重宝され、商会は一気に王国の一大経済を担う黎明財閥へと急成長を遂げていた。


それは、本当に素晴らしいことなのだ。


彼が真の王になるための、最高の地盤が固まったのだから。


……しかし。


どうして一介の没落騎士の娘である私が、その巨大財閥のトップとして、こんな実務の山と格闘しなければならないのだろうか。


「ふふっ。剣を握れば一騎当千の覇王様も、お勉強は少し苦手みたいだね」


デスクの横で、真紅のドレスを纏ったギルバート殿下が、優雅に高級な紅茶を啜りながらクスクスと笑っていた。


私の顔を使って、そんな底意地の悪い笑みを浮かべないでほしい。


「笑い事じゃありません! これ、絶対今日中に決裁しないといけないやつですよね!? 剣の振り方やツルハシの使い方は誰よりも知っていますが、財閥のトップとしての実務なんて、私にはあまりにも荷が重すぎます……っ」


涙目で抗議しようとした、その時だった。


コンコン、と。


執務室の重厚な扉がノックされ、一人の女性が入室してきた。


「失礼いたします。お姉様、そしてギルバート殿下。午後の取締役会議の資料と、旧レオンハルト派から接収した裏資金の帳簿をお持ちいたしましたわ」


洗練された所作で一礼したのは、煽情的なまでにボディラインを強調したタイトなドレスに身を包んだ女性。


そして、その白く細い首には、禍々しい黒光りを放つチョーカーが嵌められている。


かつて次期王妃とまで呼ばれた、ヴィクトリア・クロムウェルだった。


「ご苦労。相変わらず仕事が早いね、ヴィクトリア」


ギルバート殿下が、ソファーに足を組みながら尊大に褒め称える。


「もったいないお言葉ですわ、お姉様っ。ああっ、お姉様に褒めていただけるなんて……私、私……生きていて良かった……っ!」


ヴィクトリアは、かつての冷徹で高慢な面影など微塵も残さない、蕩けきった恍惚の表情でモジモジと身悶えした。


頬は異常なほど紅潮し、その瞳は完全に殿下への狂信的な愛に染まりきっている。


何度見ても慣れない。


ギルバート殿下による徹底的な快楽の調教とチョーカーの呪縛。


ヴィクトリアは今や商会の裏の資金調達や汚れ仕事を一手に担う、完璧で超有能な秘書であり……同時に、殿下に絶対の忠誠を誓う忠実な雌犬として見事に完成されてしまっていた。


「ふふっ。あとでたっぷりと、地下の特別室でご褒美をあげよう」


「ありがとうございます、お姉様っ! あぁ、早く夜にならないかしら……私、お姉様のためならどんなことでもいたしますわ!」


ハァハァと荒い息を吐くヴィクトリアと、ドス黒い魔王の笑みを浮かべるギルバート殿下。


二人のあまりにも狂った主従関係を目の当たりにし、私はドン引きして、今日一番の深いため息をついた。


「……殿下。いくら有能とはいえ、公爵令嬢をそんな風にこき使うのは、色々とどうかと思います。道徳的にも、倫理的にも……」


「おや、君を地下牢で殺そうとした女だぞ? むしろ、こうして僕の管理下で社会貢献させてやっている僕の慈悲深さに、君も感謝してほしいくらいだね」


ギルバート殿下は悪びれもせず立ち上がると、私の手から難解な事業計画書をスッと抜き取った。


「こんな紙の束は、あとでこいつに処理させればいい。君の頭を悩ませるほどの価値はないよ。……さあ、リリア。君に見せたいものがあるんだ。地下のショールームへ行こう」


強引に手を引かれる。


彼のそういう強引なところには、結局いつも抗えないのだ。


                      ◇


ギルバート殿下に手を引かれ、私が連れてこられたのは、本社ビルの地下に新設された広大なテストエリアだった。


そこには、純白の布を被せられた何かが鎮座している。


「レオンハルトはアシュトン帝国の資本と技術に頼り切っていたが、それでは真の王国の独立とは言えない。僕たちが掘り当てた魔鉱石と、僕の術式構造を組み合わせて作り上げた、完全王国国産の未来さ」


殿下がパチンと指を鳴らすと、布がふわりと宙に舞った。


「こ、これは……!」


現れたのは――これまでの馬車を模したような野暮ったい魔導車とは全く違う、風を切り裂くような流麗な形状を描く新型魔導自動車だった。


「美しい……」


「だろう? 少し流行りの装飾様式を意識したデザインにしてみた。フロントグリルに輝くのは、闇夜を駆ける黒豹のエンブレムだ」


ギルバート殿下は、艶やかな漆黒のボディを愛おしそうに撫でた。


「見た目だけじゃない。この車は、僕たちのパスのように、乗り手の魔力と車が直接リンクして、文字通り人馬一体となる。……僕が君のためだけに設計した最高の駿馬だよ」


殿下は、鈍く輝くキーを私の掌にふわりと落とした。


「さあ、出かけようか。僕の覇王様」


「もう、殿下はいつも突然なんですから……でも」


私は苦笑いしながらも、キーを握りしめた。


運転席に滑り込み、革張りのハンドルの感触を確かめる。


キーを差し込むと、まるで私の手足の延長のように、私自身の魔力が車体へと吸い込まれていくのがわかった。


隣の助手席に愛する魔王を乗せ、私は新時代のエンジンに火を入れた。


重低音の心地よいエンジン音が響き、黒豹のエンブレムを掲げた魔導自動車は、新しい時代の風が吹く王都の街並みへと、弾かれたように滑り出していった。


                    ◇


王都を抜け、潮風の香る海岸線へと続く真っ直ぐな一本道。


流線型の魔導自動車で、文字通り風と一体化して滑るように走り抜けていく。


開け放たれた窓から吹き込む海風が、私の銀髪と、ギルバート殿下の艷やかな黒髪を揺らしていた。


「……良い走りだ。君の操作は、本当に繊細で大胆だな。まるで君の剣術そのものだ」


助手席で海風を浴びながら、殿下が妖艶に目を細めて笑った。


「殿下の設計が素晴らしいからです。手足のように、私の意思にダイレクトに反応してくれます。これなら、どんな悪路でも切り開いていけそうです」


「当然だ。世界で一番愛する騎士様に乗せてもらうために、徹夜でチューニングしたからね」


からかうような、けれど本気の愛情がこもった言葉に、私は少しだけ照れたように微笑み、ハンドルを握り直した。


遮るもののない、どこまでも続く青い海と空。


「……次は、どこへ行こうか。僕の覇王様」


ギルバート殿下が、楽しげに問いかける。


私は、アクセルをさらに一段深く踏み込み、真っ直ぐに前を向いたまま、心の底からの真実を口にした。


「どこへだって行けますよ。……貴方が、隣にいてくれるのなら」


その力強く、迷いのない私の言葉に、彼は一瞬だけ目を丸くして、それから、心底嬉しそうに声を上げて笑った。


黒豹のエンブレムが太陽の光を反射して煌めく。


魔導自動車を、どこまでも広がる眩しい未来の中へ向かって、圧倒的なスピードで加速させていった。


                   ◇


王都の朝。


現在の王国において、第三王子とその愛人メイドは、誰もが畏怖する絶対的な存在となっていた。


人々の羨望と畏怖を集める二人の表の顔——それは、圧倒的なカリスマと武力で世を魅了する氷の覇王と、その背後で妖しく微笑み従う傾国の愛人メイド。


いまやその威光と影響力は、現国王をも凌駕するとまで噂されている。


――だが。


王宮北の塔、開かずの間の重厚な扉の裏側では、世間の思い描く冷酷な覇王の姿など、微塵も存在していなかった。


「ああっ……! んぅっ、や、やめ……っ!」


「ふふっ、本当に君はここが弱いね。僕の指が少し触れるだけで、こんなに可愛く震えて……」


「ちが、だめっ、朝から、そんな……ひゃああっ!?」


天蓋ベッドの上で、シルクのシーツを握りしめて涙目で身悶えしている私。


そして、私の上に馬乗りになり、悪魔のようなドス黒い笑みを浮かべて愛撫の手を止めないギルバート殿下の姿があった。


「さあ、今日も堅苦しい政務の前に、たっぷり愛し合おうか、僕の覇王様? 感覚共有のパスも全開にしておくから、君の可愛らしい快感が、僕にもビシビシ伝わってくるよ」


「だ、だから! 私の体を使って好き放題するのはやめてくださいってば! この変態王子ィィッ!!」


「変態とはなんだ変態とは! これは互いの魂の絆を深めるための神聖な儀式だぞ!」


「詭弁です! んあぁっ、そこ、だめぇっ……!」


今日も今日とて、朝から私の甘い悲鳴が開かずの間に響き渡る。


自分が与えた快感が、パスを通じて相手から何倍にもなって返ってくるこの快楽地獄には、どれだけ時間が経っても慣れることがない。


中身が逆転した、王国最強の変態バカップル。


私たちは今日も、王都の深い闇を、そして眩しい未来を、愛と笑いと極限の快楽と共に、自由に支配していくのだった。

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