第59話 ベアトリスの決意と待ち望んだ足音
【視点:ベアトリス】
突如として響き渡った正門からの凄まじい爆発音によって、第二王子邸の絢爛豪華なメインダイニングは完全なパニックに陥っていた。
「申し上げます! 侵入者はたった一人……第三王子です!重装歩兵部隊が次々と薙ぎ払われております!」
血相を変えた伝令の言葉に、レオンハルト殿下はワイングラスを床に叩きつけた。
「あの引きこもりが単騎で突撃してきただと!? すぐに魔術部隊と近衛兵を総動員しろ! 確実に息の根を止めろ!」
怒号が飛び交い、警備の兵たちが雪崩を打って部屋を出ていく。
その混乱の最中、私は誰にも気づかれないように静かに席を立った。
……やはり、来てくれたのね。
胸の奥で、熱いものが込み上げる。
今朝、私を力強く抱きしめてくれた王子の温もり。
そして、自らを囮にして私を庇ってくれた、あのメイドの高貴な微笑み。
あの二人が、愛と誇りを懸けて命懸けで戦っている。
彼らから直々に後を託されたこの私が、いつまでも安全な場所で震えているわけにはいかない!
私がやるべきことは一つ!
ドレスの裾を強く握り締め、警備が手薄になった廊下を早足で駆け抜けた。
目指すは、この屋敷の最奥にあるレオンハルト殿下の執務室。
アシュトンとの密約の証拠となる誓約書を確保し、彼の売国の野望を完全に叩き潰すための重要な証拠をゲットする。
……それにしても。
遠くから聞こえてくる鈍い破壊音と、兵士たちの悲鳴。
それに混じって、時折、屋敷のあちこちから「あぁっ……!」という、兵士らしからぬ妙に甘く蕩けた嬌声が響いてくるような気がしたが、私は必死に耳を塞いだ。
重厚なマホガニーの扉をこじ開け、レオンハルト殿下の執務室へと潜入する。
月明かりだけが頼りの室内で、私は壁に隠された巨大な魔力金庫をすぐに見つけ出した。
これね……! 開いて、お願い!
解錠魔術を唱えようと金庫のダイヤルに手を伸ばした、その時だった。
「――客人にしては、随分とマナーが悪いな、ベアトリス嬢」
背後から響いた冷酷な声に、心臓がビクッと跳ねた。
振り返ると、執務室の入り口に、抜き身の細剣を持ったレオンハルト殿下が立っていた。
「レオンハルト、殿下……」
「大人しく寝返れば、次期政権の座に据えてやろうと思っていたが。どうやらローゼンブルク公爵家も、第三王子と運命を共にするつもりらしいな」
逃げ場はない。
剣の心得もある第二王子を前に、勝ち目は万に一つもなかった。
私は震える膝をドレスの下で必死に隠し、背筋をピンと伸ばして、不敵に微笑んでみせた。
「……ええ、そうですわ。ですが、そんなことより、ご自身の心配をなされた方がよろしいかと」
「はははっ、それはそちらだろう」
レオンハルト殿下は、余裕たっぷりに嗤った。
「私の完全勝利だ。今頃、蛮勇を振るって突っ込んできた第三王子は蜂の巣だろうさ。そしてあの小賢しいメイドも、地下牢でヴィクトリアの教育を受け、自我を破壊されて忠実な肉人形になっているはずだ。……お前の希望は、すべて潰えたのだよ」
……なんて、哀れな方。
心底憐れむように目を伏せた。
「貴方は、何も分かっていらっしゃらない。……愛する者を守るために、己の命すら喜んで投げ出す本当の強さを。あのお二人の、気高き魂の輝きを」
「負け犬の戯言だな。なら、その輝きとやらと共に散るがいい!」
レオンハルト殿下が細剣を構え、私に向かって踏み込もうとする。
「……もう終わりですわ、レオンハルト殿下」
「何?」
「貴方のその薄っぺらいカネの城郭も、他国に魂を売り渡すような下劣な野望も……今日、この夜で完全に終わりますわ」
あの二人がいれば、必ず勝つ。そして、必ずここへ来る。
その絶対的な確信が、私から一切の恐怖を拭い去っていた。
「……狂ったか。ならば、その愚かな幻想ごと地獄へ送ってや――」
――その時だった。
「あぁっ……はぁんっ、もっとぉ……っ」
「だめ、これ以上は……あ゛あ゛ッ!」
執務室の外の廊下から、断末魔の悲鳴ではなく、男女入り乱れた異様な嬌声と絶頂の絶叫が大津波のように押し寄せてきた。
「な、何事だ!?」
レオンハルト殿下が狼狽し、扉の方へと警戒を向ける。
何の応答もない。
代わりに、暗い廊下の奥から静かな二つの足音が近づいてくる。
コツ、コツ、という優雅で硬質なヒールの音と、ザッ、ザッ、という修羅のような重たい靴の音。
そして、それと同時に、執務室の空気を塗り替えるような、むせ返るほどに甘く、背筋が凍るほどに恐ろしい高濃度の魔力が流れ込んできた。
「な、なんだこの魔力は……!? ヴィクトリアか!? いや、違う、こんな底知れない気配は……っ」
顔を青ざめさせ、後ずさるレオンハルト殿下。
やがて、月明かりに照らされた扉の向こうから、二つの影が姿を現した。
一人は、泥と返り血に塗れたスーツを着崩し、片手に鈍く光るツルハシを引きずった第三王子。
そしてその隣には、真紅のドレスを纏い、まるで夜の闇を従えるかのように妖艶でドス黒い笑みを浮かべたメイドが、ぴたりと寄り添うように立っていた。
「で、殿下……!」
「ば、馬鹿なッ! 精鋭部隊が、たった二人に全滅させられたというのか!? それに、なぜそのメイドがピンピンしている! ヴィクトリアはどうしたッ!」
レオンハルト殿下がパニックに陥り、絶叫する。
だが、その問いに答える者はいなかった。
私は安堵の涙を浮かべながらも、ふと、隣に立つメイドから放たれる尋常ではない気配に気がついた。
アメジストの瞳の奥に宿る、レオンハルト殿下をゴミ虫のように見下す、絶対的な覇者の眼差し。
あのドS全開の、人を小馬鹿にしたような極上の笑み。
やっはり……! あのお方は……。
私は、本能的な畏怖から肌を粟立たせた。
その微笑みの裏に隠された、底知れぬ殺気と狂気。
それはまるで、お伽噺に出てくるような本物の魔王そのものだった。
「さて、レオンハルト兄上」
静寂を破り、ツルハシを持った王子が一歩前へ出る。
そのアイスブルーの瞳には、静かで冷酷な怒りが燃え盛っていた。
「私の『相棒』に手を出した落とし前……キッチリと物理で払ってもらいますよ」




