第55話 暗き牢獄。愛する人の危機
「近い……! もっと、もっと下だッ!」
極限まで研ぎ澄ませた感覚で、途切れかけた魂のパスの残滓から伝わってくる彼の気配だけを、ただひたすらに追い求めていく。
大理石の階段を、文字通り跳躍するように駆け下りる。
地下へ続く通路の入り口には、レオンハルト殿下の親衛隊とも呼べる一際屈強な重装兵が四人、盾を構えて鉄壁の陣を敷いていた。
私は一切の歩みを止めず、泥だらけのツルハシを上段に構える。
「ここから先は通さ……ッ!」
――ガァァァァァンッ!!
親衛隊の言葉が終わるよりも早く。
渾身の力を込めた大上段からの唐竹割りが、魔力を帯びた巨大な鋼鉄の盾を火花と共に真っ二つに叩き割り、背後の兵士を吹き飛ばす。
流れるような連続攻撃で、残る三人の膝と顎を的確に打ち砕く。
「痛い、苦しい……ッ! 殿下が、無理をしている……!」
階段を深くまで降りるにつれ、切断されたはずのパスの残滓から流れ込んでくる感覚が、恐ろしいほどに生々しさを増していた。
骨を焼かれるような拘束具の激痛。
そして、それに相反する、理性をドロドロのピンク色に溶かそうとする強制的な快楽の波。
彼が、薬物によってどれほどの精神的陵辱を受けているのかが、私の脳髄に直接叩き込まれる。
許さない。私の体を、そして何より……私の大好きな気高き魂を汚そうとする奴らは、絶対に!
地下通路の最奥。
私の前に、魔力封じの呪文が幾重にも刻まれた、重厚な鋼鉄の扉が立ちはだかった。
鍵を探している暇など、一秒たりともない。
「邪魔だァァァァァッ!!」
――ズドォォォォォンッッ!!!
隕石が激突したかのような轟音が地下に響き渡り、頑強な鋼鉄の扉が、蝶番ごとひしゃげて内側へと勢いよく吹き飛んだ。
もうもうと舞い上がる土煙。
カビと鉄錆の匂い。
そして、薄暗い松明の炎に照らし出された牢獄の光景が、私の視界に飛び込んできた。
「……ぁ」
私の足が、ピタリと止まる。
部屋の奥。壁に打ち付けられた太い鎖によって、両腕を頭上に吊り上げられていたのは――他でもない、本来の私の体だった。
真紅のドレスは乱れ、白磁のような肌には脂汗がびっしりと浮かんでいる。
違法な媚薬を打たれたせいで、ギルバート殿下は苦しげに息を荒らげ、唇からは血が流れていた。
魔力回路を焼き切る手枷の激痛と、精神を侵す魔薬。
肉体は完全に限界を超え、今にも崩れ落ちそうになっている。
だが。
そのアメジストの瞳だけは、決して屈することなく。不敵で、傲慢で、信じられないほど美しい光を放ち続けていたのだ。
ああ……やっぱり。
その高潔で、あまりにも痛ましい姿を見た瞬間。
私の心臓が、ギリッと音を立てて軋んだ。
痛い。苦しい。でも、それ以上に……誇らしい。
ボロボロになってもなお、膝を屈しない彼は、最高に格好良い私の王様だった。
「殿下……っ」
しかし、そのギルバート殿下の目の前には、漆黒のドレスを着たヴィクトリア様が立っていた。
彼女の手には、禍々しい黒光りを放つ金属の首輪が握られていた。
「な、何事ですの!?」
吹き飛んだ扉と土煙に、ヴィクトリア様が驚愕の声を上げ、振り返る。
「私の相棒に……気安く触るなァァァッ!!」
「さ、第三王子!? なぜ貴方がここに……ッ! や、やりなさい! その男を拘束せよ!」
パニックに陥ったヴィクトリア様が、背後に控えていた顔を隠した二人の屈強な拷問人に命じる。
拷問人たちが短剣を抜き、私へ向かって飛び出そうとした。
だが、彼らが一歩を踏み出すよりも早く。
十メートル以上あったはずの距離を、私は無音の踏み込みで完全にゼロにしていた。
――ゴッ! メキョッ!
鈍い打撃音。
拷問人たちが悲鳴を上げる間すら与えない。
私は手首の返しだけでツルハシの柄を巧みに操り、二人の男の鳩尾へ、呼吸を完全に奪う完璧な打撃を立て続けに叩き込んだ。
白目を剥き、胃液を吐き出しながら、二人の大男が糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。
「ヒッ……!?」
ヴィクトリア様の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
重たいツルハシの鋭利な先端を、ヴィクトリア様の喉元数センチのところでピタリと止める。
「……そこをどけ、ヴィクトリア」
後ずさる彼女を前に、私は涙で濡れた頬を拭うことすらせず、ツルハシを構えたままゆっくりと顔を上げた。




