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第52話 揺るがぬ翡翠

【視点:ベアトリス】

「ふむ、ヴィクトリアめ。あの生意気な小娘の口を割らせるのが、よほど楽しみと見える」


レオンハルト殿下は、上機嫌でワイングラスを揺らしながら、私へと視線を向けた。


「さて、ベアトリス嬢。改めて問おう。ローゼンブルク公爵家も、私の新しい王都の礎となる気はないか? あの昼行灯の第三王子がどれほど足掻こうと、もはや盤面は覆らない。勝馬に乗るのが、貴族の……いや、資本家の正しい在り方だろう?」


……勝馬、ですって?


レオンハルト殿下の傲慢な笑みに、私は背筋をピンと伸ばし、極めて冷静な声で応じた。


「……光栄なお誘いですわ、レオンハルト殿下。ですが、公爵家を動かすには、殿下がどのような新しい王都を描いておられるのか、正確に把握する必要がございます。殿下の圧倒的な資本力……その源泉と、今後の展望をお聞かせ願えますか?」


「ふははっ、いいだろう! 流石は公爵家の娘、利にさとい」


すっかり勝利の美酒に酔い、私への警戒心を解いているレオンハルト殿下は、得意げに身を乗り出した。


「簡単なことだ。私はこの国に、圧倒的な速度で産業革命を起こす。旧態依然とした魔術や騎士の誇りなどというカビの生えた因習はすべて捨て去り、魔導機関と大量生産による完全な資本主義の国へと作り変えるのだ」


「素晴らしい理想ですわ。……ですが、それほどの大規模な変革を、短期間で行うための莫大な資金は、一体どこから?」


「よくぞ聞いた」


レオンハルト殿下は、声を潜めるようにして、しかし確かな狂気を孕んだ笑みを浮かべた。


「……アシュトンだよ。あの大陸最大の資本主義国家から、莫大な外資を誘致する」


「ア、アシュトン……!?」


私は、思わず息を呑んだ。


アシュトンといえば、強引な資本投下によって周辺諸国の経済を牛耳り、実質的な属国へと作り変えてきた巨大な企業国家ではないですの!


「ああ、そうだ。我が商会が市場に氾濫させたあの大量の模倣品も、アシュトンの巨大工場のラインを借りて生産したものだ。……私は、王都の優良な土地と、いくつかの国営事業の権利を担保に、アシュトンから巨額の資金を引き出しているのだよ」


「土地と事業を、他国の企業に担保として差し出している……? それでは、まるで国の切り売りではありませんか! もし、アシュトンの資本に完全に飲み込まれれば、この国の民は……」


「民など、新しい時代の歯車に過ぎん!」


レオンハルト殿下が、ドンッとテーブルを叩いた。


「国力を高めるためには、弱者の切り捨ては必然だ! アシュトンの資本が入り込めば、我が国の経済は爆発的に成長する。その恩恵に与れない無能な平民どもは、工場の奴隷として一生働き続ければいい! 私と、私に付き従う一部の特権階級だけが、莫大な富を独占する。それこそが、真に美しく、無駄のない国家の形なのだ!」


狂気。


それは、どこまでも冷酷で、自己中心的な売国の野望。


レオンハルト殿下の瞳に映っているのは、民の笑顔でも、国の誇りでもない。ただ自分自身が、カネという絶対的な暴力で頂点に君臨する光景だけだ。


……なんて恐ろしい計画。この男は、自分の優越感のために、国そのものを外国の金庫に売り渡そうとしている……っ。


私の背筋に、氷のような恐怖が走った。


もし、この男が王になれば。この美しい王都は、アシュトンの巨大な工場と化し、民はカネの奴隷として永遠に搾取され続ける。


心を持たない鉄屑と、冷たい金貨だけが支配する、絶望の国になってしまう。


……怖い。でも。


恐怖で震えそうになる膝を、私はドレスの下で必死に抑え込んだ。


私は、恐怖を怒りと決意に変換し、ゆっくりと顔を上げた。


「……なるほど。レオンハルト殿下の壮大な計画、よく理解いたしましたわ。王国の資産を切り売りし、民を奴隷にしてでもご自身の富を築かれると。……アシュトンとの密約の証拠、あるいは契約書のようなものは、すでに交わしておられるのですか?」


「はははっ、疑り深いな。当然だ、私の執務室の金庫には、アシュトンの特使と交わした正式な誓約書が保管されている。……どうだ、ベアトリス嬢。これが現実だ。愛だの誇りだのという綺麗事で、この資本の濁流を止められるとでも思っているのか?」


レオンハルト殿下の傲慢な問いかけに、私は、最高級のワイングラスをテーブルにコトリと置き、かつてあのメイドが見せたような、美しく不敵な笑みを浮かべた。


「ええ、止められますわ。……なぜなら、貴方のような心が貧しい方には、本当の熱狂も愛も、一生理解できないでしょうから」


「……何?」


レオンハルト殿下が怪訝な顔をした、その時だった。


――ズドォォォォォンッッ!!!


突然、第二王子邸の重厚な正面玄関の方角から、隕石が衝突したかのような凄まじい爆発音と、大地を揺るがす地響きが轟いた。


「な、何事だッ!?」


レオンハルト殿下が弾かれたように立ち上がり、シャンデリアが大きく揺れる。


悲鳴を上げて逃げ惑う使用人たち。


……来た!


私は、揺れるダイニングの中で、一人静かに立ち上がった。


「……お生憎様、レオンハルト殿下」


私は、絶句する第二王子に向かって、誇らしげに微笑んだ。


「貴方のつまらない盤面は……今、ここで物理的に完全に破壊されますわ」

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