第46話 目覚めと温もり。茶会への誘い
【視点:ギルバート】
王宮北の塔、開かずの間。
深い泥の底から浮上するように意識を取り戻した僕は、跳ね起きようとして激しい頭痛に顔を歪めた。
分厚いカーテンの隙間から昼下がりの陽光が差し込む。
極度の魔力欠乏による悪寒は治まっていたが、全身の筋肉は鉛のように重い。
だが、そんな体の不調よりも、僕の心臓を鷲掴みにしたのは隣に彼女がいないという事実だった。
「……リリア、どこだ」
手探りで隣のシーツに触れる。
冷たい。
昨夜の記憶が断片的に蘇る。
僕は術式を組もうとして倒れ、彼女に泣きながら止められ、そして……限界を迎えた。
まさか、第二王子の手の者が、僕が気を失っている間に彼女を攫ったのではないか?
凄まじい焦燥感に駆られ、這うようにしてベッドから身を乗り出そうとした、その瞬間だった。
『やった……! これで、殿下を救える……!』
異常進化した感覚共有のパスを通じて、強烈な思念が僕の胸の奥へと飛び込んできた。
「……これは」
パス越しに伝わってくるのは、ひんやりとした土の匂い、筋肉の熱い疲労感。
そして、大勢の荒くれ者たちの耳を劈くような歓声と、彼らと分かち合う泥だらけの熱気だった。
「……ははっ。全く、君ってやつは」
僕は、シーツを握りしめていた手の力を抜き、ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。
焦燥感は呆れへと変わり、やがてどうしようもない愛おしさと、胸が痛くなるほどの温かい感情が全身を満たしていく。
僕が限界を迎えて倒れている間に、魔術も持たない彼女が、僕が絶対に守らなければと思っていたあの不器用で真っ直ぐな少女が、己の足で立ち上がり、誰も予想しなかった場所から突破口をこじ開けてみせたのだ。
……それにしても、なんて鮮やかなツルハシの素振りだ。
僕はパス越しに伝わってくる彼女の身体の動きを分析し、思わず苦笑した。
彼女は今、見事な腰の回転でツルハシを振るい、巨大な鉱脈をぶち抜いたらしい。
全く、どこまでも規格外で、愛おしい僕の半身だ。
「本当に……君は、僕の予想を遥かに超えていく、美しき覇王だ」
僕の唇から、自然と柔らかな笑みがこぼれた。
彼女がそこまでやってくれたのなら、僕もここで寝ているわけにはいかない。
僕は、鉛のように重い体を気力だけで叩き起こした。
まだ魔力は底を突いたままだ。
頭痛も貧血の眩暈も治まっていない。
だが、乱れた真紅のドレスを整え、薄く化粧を施して青白い顔色をごまかした。
鏡の前で、完璧で妖艶な傾国の悪女の笑みを作る。
さあ、僕も僕の戦場へ向かおう。
目指すは、王都の中央広場。
魔力がなくとも、持ち前の話術と美貌で群衆を惹きつけるパフォーマンスを行うつもりだった。
しかし、僕が王宮の長い回廊を抜け、中庭へと続くガラス張りの通路に差し掛かった時だった。
「――おやおや。随分と顔色が優れないご様子ですわね、麗しのメイド様」
涼やかな、しかし猛毒を含んだ声が、静かな回廊に響いた。
僕が立ち止まると、前方の美しいアーチから二人の令嬢が姿を現した。
一人は、漆黒のドレスに身を包み、扇子で口元を隠して冷徹な笑みを浮かべる第二王子の婚約者、ヴィクトリア・クロムウェル。
そしてもう一人は――。
「……ヴィクトリア様。それに、ベアトリス嬢まで」
ヴィクトリアの傍らには、僕の本来の婚約者であるベアトリスが、どこか緊張した面持ちで立っていた。
彼女の瞳には、僕に対する強い警戒と、何かを問い詰めようとする切実な光が宿っているように見える。
「奇遇ですわね。私たちはこれから、中庭でお茶会を楽しもうとしていたところですの。……第三王子殿下の特別なご友人であられる貴女も、ご一緒にいかがかしら?」
ヴィクトリアは、にっこりと完璧な令嬢の微笑みを浮かべた。
だが、その声色には拒否は許さないという絶対的な圧力が込められていた。
……なるほど。そういうことか。
貧血による眩暈が、僕の視界を一瞬揺らす。
今の僕の魔力では、魔術も出せない。
文字通り、丸腰状態だ。
このままお茶会に向かえば、物理的な罠に嵌められる危険性は極めて高い。
だが……ここで逃げたら、僕の覇王の顔に泥を塗ることになる。
ハッタリならいくらでもかけられる。
僕は背筋をピンと伸ばし、ヴィクトリアをゴミでも見るかのように冷酷に見下ろすと、妖艶に笑ってみせた。
「……いいでしょう。次期王妃を自称するヴィクトリア様と、愛らしい公爵令嬢様のお誘い。むげにするわけにはいきませんわね」
僕は、胸をあえて強調するように優雅に揺らしながら、三人の淑女による猛毒の茶会へと、堂々と足を踏み入れていった。




