第38話 泥まみれの原石と譲れない誓い
私が殿下に三日間の強制休養を言い渡し、自らの足で反撃の糸口を探し始めてから三日が経過した。
だが、状況は好転するどころか、ジリジリと悪化の一途を辿っていた。
「……本日分の在庫、すべて完売です。ですが、明日の販売分を確保する目処が全く立っていません」
王都の大通りに面した黎明商会の仮設オフィス。
薄暗いランプの灯りの中、帳簿の赤字から顔を上げた私、は、深い溜息を吐き出した。
物流が完全にストップした今、私は王都の裏路地に残る小さな工房や、第二王子の息がかかっていない独立系の職人たちを自らの足で回り、どうにか少量のモダン・ドレスと香水をかき集めて手売りする商売を続けていた。
大衆の熱狂はまだ残っている。
でも、売る弾がなければ戦えないのだ。
「なら、できることをやるだけだ。行くぞ、リリア」
「……殿下、お待ちください。今日のスケジュール、これ以上は絶対に無理です! 三日間休んだからって、全回復したわけじゃないんですから!」
私は、出かけようとするギルバート殿下の前に立ち塞がった。
真紅のドレスを纏った彼の細い肩を、強く押さえる。
殿下のアメジストの瞳には、焦燥と、狂気にも似た光が宿っていた。
「退け、リリア。材料がないなら、僕たちが直接出向いて大衆の目を引くしかない。次は東区の新興商人たちの会合だ。そこでさらに大規模な精神魅了をかけて……」
「これ以上、魔術を乱発したら本当に倒れてしまいます! パス越しに、殿下の魂が軋むような痛みがビンビン伝わってきているんですよ!?」
「……君に、負け犬の顔はさせない。僕の覇王は、いつだって一番美しく玉座に座っていなければならないんだ。不安なら、僕が極上の魔法で忘れさせてやろう」
ふわり、と。
甘いフェロモンの香りが鼻腔をくすぐったかと思うと、殿下の腕が私の首に絡みつき、その柔らかな唇が私の耳たぶを甘く食んだ。
「ひゃんッ!?」
「生意気なリリアには、お仕置きが必要だな」
「あ、ああっ……で、殿下ぁ……っ、またですかっ」
「僕に任せて、もっと素直になれ」
「ご、ごまかさないでくださいっ……!)」
私が涙目でビクビクと震えながら抗議すると、殿下は悪戯っぽく笑って私を解放した。
――その時だった。
オフィスの裏口の扉が控えめにノックされ、一人の初老の男が、転がり込むように入ってきた。
「ど、どうか! どうか、第三王子殿下とお目通りを……ッ!」
男の服は泥にまみれ、その顔には深い疲労と絶望が刻まれていた。
私が咄嗟に男を庇い起こすと、彼は震える手で麻袋から黒く濁った石の塊を取り出し、机の上にゴトリと置いた。
「未活用の魔鉱石です。……純度が低く、不純物が多いために、王都の魔導機関ではクズ石と呼ばれて見向きもされません。レオンハルト殿下の商会にも使い道がないと買い叩かれました。ですが……っ、時間をかけて独自の精製法で不純物を取り除けば、高純度の魔石にも劣らない熱量を生み出せるんです! どうか、黎明商会でこの鉱山開発に投資し、提携していただけないでしょうか!」
男の必死の訴えに、驚く。
だが。
「……帰れ。そんな泥まみれの石ころに投資している暇も、金も、我々にはない」
冷たく、そして酷薄な声がオフィスに響いた。
殿下が、真紅のドレスの裾を揺らしながら歩み寄り、机の上の魔鉱石を扇子の先で弾き飛ばしたのだ。
「(で、殿下……!?)」
「不純物を取り除く? そんな悠長な研究に何ヶ月かけるつもりだ。僕たちが今やらなければならないのは、悠長な鉱山開発などではない。王都中の大衆の目をこちらに向け続けるための、徹底的なブランディングだ」
殿下は床に転がった石を見下ろし、冷徹な瞳で男を射抜いた。
「今の黎明商会に必要なのは、即効性のある熱狂だ。いつ金になるかも分からない不確実な石ころの山に回す資金など、金貨一枚たりとも存在しない。さあ、用が済んだら出て行け。……次のサロンの時間が迫っている」
だが、私は彼の手を取り、その場から動かなかった。
「(……殿下。貴方は焦りすぎです。この話、乗るべきです)」
『(本気か、リリア? そんな海のものとも山のものともつかない鉱山に投資する資金など、今のうちには残っていない。離せ、時間がないんだ。僕たちが止まれば、奴らの小銭の波に一瞬で飲み込まれる。早く大衆の脳髄を洗脳しなければ、君が……!)』
パス越しに、殿下の血を吐くような悲鳴に近い焦燥が流れ込んでくる。
虚構の熱狂を、魔法で無理やり維持しようとしている彼の限界は、もう目と鼻の先まで迫っているのだ。
「(だからこそです、殿下)」
私は、殿下の冷たい手を両手でしっかりと包み込み、真っ直ぐに彼のアメジストの瞳を見つめ返した。
「(虚構の熱狂だけでは、いずれレオンハルト殿下の圧倒的な現実に押し潰されます。……泥臭くても、今の私たちには、本物の足場が必要なんです。味方は、一人でも多い方がいい)」
私のお父様、ヴァレリウス卿が語っていた言葉が蘇る。
『世界には、まだ誰も価値に気づいていない原石が眠っている。それを磨き上げるのも、王に仕える騎士の役目だ』と。
剣も魔術も使えない、経済の知識もない自分。それでも、絶望的な状況下で唯一できることは、可能性を信じて手を差し伸べること。
泥臭くても、不恰好でも、それが私の――騎士の娘の戦い方だ。
私は、床に転がった魔鉱石を拾い上げ、泥だらけの初老の商人の前に歩み寄った。
「……申し訳ありません。彼女の言う通り、今の我々には、すぐに貴方の鉱山を救うだけの莫大な資金の余裕はありません」
「そ、そうですか……っ」
「ですが」
私は、王子の端正な顔に、力強く、そして温かい微笑みを浮かべた。
「私は、この原石の可能性を信じます。そして、巨大な資本に虐げられながらも、決して諦めなかった貴方のその泥だらけの手を、決して無下にはしない。……今はまだ動けませんが、必ず後で、私自身の足でその鉱山へ向かい、貴方たちの力になると約束しましょう」
それは、打算など一切ない、気高き騎士としての絶対の誓いだった。
商人はボロボロと大粒の涙をこぼして深く頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……! 殿下、どうか、どうかよろしくお願いいたします!」
◇
商人が希望を胸にオフィスを立ち去った後。
殿下は、小さくため息をつき、扇子で自らの顔を仰いだ。
「……本当に、君は甘い覇王様だ。あんな口約束して、どうするつもりだ?」
「どうにかします。殿下が私のために無理をしてくれているのですから、私だって、これくらいの泥は被ります」
殿下は毒気を抜かれたようにふっと表情を緩めた。
「……好きにしろ。君のそういう我が儘には、どうせ逆らえないからな」
殿下は、ドレスの襟元を正し、再び完璧な傾国の悪女の仮面を被った。
だが、その直後、グラリと彼の体が僅かに揺れた。
慌ててその背中を支える。
「殿下……っ! だから、もう今日は休んで……」
「……平気だ。ただの立ち眩みだよ。さあ、行くぞリリア。オペラ座の特別観覧席が、僕たちの到着を待っている。大衆に、一瞬たりとも僕たちの美しさを忘れさせるな」
殿下は危険な悪寒を必死に押し殺し、私の腕に優雅に手を絡ませた。
泥まみれの原石という未来の希望を胸に秘めた私と、魂を削って現在の熱狂を維持しようとする殿下。
私たちは互いの魂を支え合いながら、第二王子の包囲網を突破すべく、再び狂乱の王都へと足を踏み出していく。




