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第36話 傾国のインフルエンサー。黒魔術と熱狂のメディア戦略

第二王子レオンハルトのお茶会での経済戦争の宣戦布告から数日後。


王都はすでに、第二王子派閥が仕掛けた容赦のない経済包囲網によって、息苦しいほどの閉塞感に包まれていた。


主要な交易路は彼らの息のかかった商会に完全に独占されている。


市場には他国製の安価な商品が溢れ返り、侍女の私としてはの安すぎて逆に恐怖を感じていた。


資金力と流通網で圧倒的に劣る私たち第三王子陣営が、真正面から価格競争を挑めばどうなるか。


一瞬で資金がショートしてになるのは火を見るより明らかだった。


「……というわけで。盤面は完全にこちらが不利、圧倒的な敗戦濃厚からのスタートだ。燃えるだろう、リリア?」


「全然燃えません! というより、どうしてそんなに楽しそうなんですか、殿下!」


王宮北の塔、開かずの間。


絶望的な数字の暴力が記された報告書を前に、私は頭を抱えてソファに突っ伏した。


しかし、それをよそに、ギルバート殿下は真紅のドレス姿のまま、優雅に最高級の紅茶を啜っていた。


その妖艶な微笑みには、焦りどころか、残酷な愉悦すら浮かんでいる。


「資本力で勝てないのなら、別の価値を市場に持ち込めばいいだけのことだ。奴らが『量と安さ』で勝負するなら、僕たちは『希少性と付加価値』で勝負する」


殿下はティーカップをコトリと置き、アメジストの瞳を妖しく細めた。


「現代の市場において、最も価値のあるものは何だか分かるか? 金貨でも、鉄屑の魔導機関でもない。……人々の熱狂だ。誰が何を身につけ、何を好むのか。大衆の憧れと欲望を支配した者が、最終的に市場を制するんだ」


「人々の、熱狂……?」


「ああ。そして、大衆を熱狂させるための極上の偶像が、今ここに二つもあるじゃないか」


殿下は立ち上がって私に歩み寄り、王子の端正な頬を両手で優しく挟み込んだ。


「絶対的な強さと美しさを誇る『氷の覇王』と、常識を破壊する『傾国の悪女』。……僕たちのこの圧倒的なオーラと美貌を最大限に利用して、王都全域に情報戦を仕掛ける」


                      ◇


それから数日間。


殿下の言葉通り、王都の中心部にある大広場は、これまでにない異様な熱気に包まれていた。


「……殿下。これは、一体何の騒ぎですか。なぜ私がこんな、見世物小屋の客寄せ妖精みたいに高いところに立たされているのですか!」


広場に特設された豪奢なバルコニー。


仕立て下ろしのネイビースーツをビシッと着せられた私は、顔を引き攣らせながら、隣で真紅のドレスを翻す殿下に抗議した。


「妖精とはなんだ。君は最高に美しい芸術品だよ、リリア。……さあ、下々の者たちに、もっと君の覇王としてのカリスマを見せつけてやれ」


「見せつけるって、ただ無言で立ってるだけじゃないですか! 恥ずかしくて精神力がゴリゴリ削られていきます!」


眼下には、広場を埋め尽くすほどの凄まじい群衆が押し寄せていた。


彼らの視線の先にあるのは、バルコニーから垂れ幕で大々的に掲げられた『第三王子直轄・黎明商会』の設立宣言と、巨大な魔法画だった。


そこには、冷徹で知的なスーツ姿の第三王子と、王子にのみ傅く妖艶なモダンガールの姿が、実物以上にドラマチックかつ扇情的に描かれている。


「皆様! 本日は我が黎明商会の設立発表にお集まりいただき、心より感謝いたしますわ!」


殿下が、魔術で艶やかな声を広場全体に響き渡らせる。


その瞬間、殿下から微弱な精神魅了の魔力が、極上の香水のようにフワリと風に乗って群衆へと降り注いだ。


「ああっ……! ギルバート殿下! そして麗しの専属メイド様!」

「なんて美しい……! 同じ空気を吸っているだけで頭がクラクラする!」


第二王子の魔導自動車は確かに凄まじい技術だが、あれは一部の富裕層しか買えない。


対して、殿下が仕掛けたのは、大衆の憧れと欲望を直接刺激する作戦だった。


「私たちが提案するのは、一部の特権階級だけが独占する富ではありません。古い因習やコルセットから解放された、真の自由と美しさです!」


殿下は、自らがデザインし、王宮の職人たちを徹夜させて量産したモダン・ドレスと、覇王の高級香水など関連グッズを次々と披露していく。


「あ、あれが欲しい! あのメイド様と同じ、軽やかなドレスを着てみたい!」

「覇王の香水……! これを身につければ、殿下のように強くて格好良くなれるのか!?」


ちょっと待ってください、覇王の香水!? 


ただの侍女のフレーバーですよ!


私の内心のツッコミをよそに、群衆の熱狂が、一気に沸点に達する。


さらに殿下は、隣に立つ私の腕に自らの豊かな胸をむにゅっと押し当て、艶然と微笑んでみせた。


『(ほら、リリア。突っ立ってないでもっと僕の腰を強く抱き寄せて、群衆を見下ろして微笑め)』


「(ムリです! こんな大勢の前でイチャイチャするなんて、恥ずかし死にしてしまいます!)」


『(ふふっ、反抗的な王子様には、特別なお仕置きが必要だな)』


――ビクゥッ!?


瞬間、進化した感覚共有のパスを通じて、殿下から致死量スレスレのとろけるような快感が私の脳髄に直接流し込まれた。


「(ひゃんっ……!? で、殿下ぁ……っ、腰がっ)」


『(ほら、僕に寄りかからないと倒れてしまうぞ? そのまま、涼しい顔で群衆を流し目で見下ろすんだ。君のその冷たくて色っぽい視線が、女たちの財布の紐を限界まで緩めるんだから)』


あ、悪魔ですか殿下は! 


これじゃあただの客寄せ妖精通り越して、完全に特級サキュバスに捕食されてる絵面じゃないですかッ!


私は顔から火を噴きそうになりながらも、腰から崩れ落ちないよう必死に殿下の腰を抱き寄せた。


結果的に『愛人に寄りかかりながらアンニュイに群衆を見下ろす氷の覇王』という、計算し尽くされた極上のポーズをとらされてしまったのである。


――キャァァァァァァァァッ!!!


広場に集まった令嬢や若い女性たちから、鼓膜を突き破らんばかりの黄色い絶叫が上がる。


その異常な熱気は瞬く間に男性陣や新興商人たちにも伝播していった。


「第三王子殿下は、自ら新しい時代を切り開こうとしている! 第二王子のような古い貴族主義じゃない!」

「俺たちの資本を、黎明商会に投資するんだ!」


結果は、爆発的だった。


ただの商品を売るのではなく、『第三王子と傾国の悪女』という強烈なブランドを売る。


殿下の黒魔術と圧倒的なプロデュース能力により、王都の庶民のなけなしの小銭から、第二王子派閥に不満を持っていた新興ブルジョワジーの巨額の資本までが、まるで滝のように黎明商会の金庫へと流れ込み始めたのだ。


                        ◇


「……どうだ、リリア。これでレオンハルトのお株を奪ってやった。経済を動かすのは、無機質な鉄屑なんかじゃない。人間の熱狂なんだよ」


バルコニーの奥の控え室に下がり、殿下は満足げに唇の端を歪めた。


次々と運び込まれる莫大な投資目録の束を、パラパラと弄ぶ。


「確かに、すごい額です……。でも、殿下」


私は、殿下の白い額に薄っすらと汗が滲み、その呼吸が微かに乱れているのを見逃さなかった。


広場全体の大衆に魅了魔法をかけ続け、熱狂をコントロールするという行為。


それは、どれほどの神童であろうと尋常ではない魔力消費と精神的負荷を伴うはずだ。


パスの異常進化のおかげで、彼が笑顔の裏にひた隠しにしている強烈な疲労感が、ジリジリと私の胸に伝わってくる。


「いくらなんでも、無理をしすぎです。魔術の使いすぎで、少し顔色が悪いですよ……っ」


「気にするな」


殿下はフッと笑って、心配そうに見つめてくる私の頬を、愛おしそうに撫でた。


「君を真の王座に就かせるためなら、この程度の労力、安いものだ。君の未来は、僕がこの手で切り開く。……さあ、これでレオンハルトがどう泣き喚くか、見物だな」


そこにあるのは、自己犠牲すら厭わない、深く重たい愛情だった。


経済の知識がない私をカバーするために、彼は自分の身を削って、すべての盤面をコントロールしてくれているのだ。


……お父様が教えてくれた騎士の誇り。


それは、誰かに守られるだけの存在になることではない。


私は、そっと殿下の手を力強く握り返した。


今はまだ、経済のことは彼に頼るしかない。


でも、いつか必ず、彼が限界を迎えて倒れそうな時は、私が盾と剣となってすべての攻撃から彼を守り抜く。


ただの客寄せ妖精から、本物の王になるために。


私は決意を新たに、熱狂に包まれた王都の空を見据えた。

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