第24話 夜会に舞い降りる氷の覇王と傾国の悪女
王宮の心臓部にして、最も絢爛豪華な大広間『太陽の間』。
無数の魔力石が組み込まれた巨大なシャンデリアが、黄金の装飾と大理石の床を真昼のように照らし出している。
数百人を超える王国の高位貴族、外交官、そして軍の重鎮たちが集う戦勝祝賀舞踏会は、すでにむせ返るような熱気と、裏に潜むドロドロの政治的な思惑で満ちていた。
狩猟祭での第三王子の予想外の生還と、魔獣討伐という偉業。
第一王子派の貴族たちが焦燥に駆られたようにヒソヒソと密談を交わす中、中立派や第三王子に期待を寄せる者たちは、今夜の主役の登場を今か今かと待ちわびていた。
……胃が、痛いです。
今すぐ最上級の胃薬ポーションをがぶ飲みしたい気分です。
大扉の向こう側で待機しながら、私(中身は侍女)は、王子の端正な顔を強張らせていた。
いよいよ始まるのだ。
第一王子が仕掛けてくるであろう、致死量の罠が張り巡らされた夜会が。
「――第三王子、ギルバート・フォン・エーテルガルド殿下。ならびに、お連れ様のご入場です!」
式典長のよく通る声が広間に響き渡った瞬間。
ざわめきは、まるで広域の魔法をかけられたかのように、水を打ったような静寂へと変わった。
重厚なオーク材の大扉が、ゆっくりと両開きに開かれる。
「「「おお……」」」
誰かの感嘆の溜め息が、静まり返った広間に落ちた。
私は、漆黒のイブニングコートに身を包み、入り口に立った。
銀糸の刺繍が施された王族の正装は、病弱だったはずの王子の体に、研ぎ澄まされた名刀のような凄みを与えている。
足が震えそうです。
でも、絶対に悟らせてはいけない。
私は氷の覇王を演じ切るんだから!
アイスブルーの瞳に絶対零度の冷気を宿し、私は王者の風格を纏って広間を見渡した。
極度の緊張による顔面硬直が、周囲の貴族たちを威圧していく。
だが。
貴族たちの視線を真に釘付けにし、その魂すらも縛り付けたのは、私の腕に優雅に手を添え、半歩後ろを歩く影の存在だった。
「お手をどうぞ、私のレディ」
そう囁き、エスコートの手を差し出す。
その手を取って光の中へ歩み出たのは、燃え盛る業火のような真紅のドレスを身に纏った、一人の女――ギルバート殿下(体は私)だった。
「な、なんだあの絶世の美女は……ッ」
「殿下の、新しい婚約者候補か? いや、あんな令嬢、社交界で見たことがないぞ……」
「あの歩き方、色気が異常だ……!」
貴族たちの間に、どよめきがさざ波のように広がる。
背中が腰の極限まで開き、歩くたびに深いスリットから白磁のような太ももが覗く、防御力ゼロの扇情極まりないドレス。
結い上げられた黒髪のうなじ。
そして、血のように赤い口紅。
認識阻害の伊達眼鏡を外し、完全に魔力を解放した殿下からは、目に見えるほど濃密な紫色の魔力と、むせ返るような『フェロモン』が広間中に撒き散らされていた。
「(……殿下、目立ちすぎです。貴族の有象無象の雄どもの目が、完全に殿下に釘付けになっていますよ。……すごく、腹が立ちます)」
「(気にするな。これが僕の『戦術』だと言っただろう?)」
「(戦術、ですか……?)」
「(ああ。暗殺や毒殺といった第一王子の卑劣な裏工作は、すべて『人目が届かない死角』で行われる。ならば、僕がこの会場のすべての視線を惹きつけ、死角をゼロにしてしまえばいい。全員の目が僕たちに集中していれば、奴らは迂闊に動けなくなる)」
殿下の言葉に、私はハッとした。
「(それに……こうして君のエスコートを受けていると、どうにも気分が良くてね。誰にも邪魔されたくないのさ)」
殿下が、私の腕を抱く力を強める。
「(……っ! 殿下は、本当に……やり方が、極端すぎます。バカです。大魔王です)」
私は心の中で文句を言いながらも、その胸の奥底で、トクン、と熱いものが弾けるのを感じた。
私のために、その強大な力を惜しげもなく使い、あまつさえこんな恥ずかしい格好までして盾になろうとしてくれる。
ああ、私は。この悪辣で、意地悪で、どうしようもない変態王子が――本当に、狂おしいほどに好きなんだ。
湧き上がる恋心と、彼を絶対に守り抜くというナイトの誓いが、私の中で完全に一つに溶け合った。
もう、怯えも、迷いもない。
この想いは、どんな魔法にも負けない、私だけの最強の魔法だ。
「……足元にお気をつけください、私の愛しいレディ」
私は、大階段を降りる際、殿下の手を優しく引き、男のリードで殿下をエスコートした。
しかし殿下は、ただエスコートされているだけではなかった。
密かに、広間全体を覆うように黒魔術と魅了を微弱に、展開していたのだ。
殿下の強烈な色香に、男たちは理性を失い、女たちは私(王子)の美貌と冷たい眼差しに魅了され、隣に立つ絶世の悪女への嫉妬さえ忘れていた。
誰も、私たちから目を離せない。
「(……君のそのエスコート、満点だよ、僕の可愛い覇王様)」
殿下が、私の腕に絡ませた手をきゅっと握り込み、豊かな双丘をわざと私の腕に押し当ててきた。
ひゃうっ!? またそういうセクハラ攻撃を!
でも、私はその快感と羞恥を、極限の精神力でねじ伏せた。
負けない。
私は氷の覇王。
そしてこの人は、私が命を懸けて守ると誓った、私の大切な……。
「(っ……!?)」
私は、自分にすり寄る殿下の細い腰に、堂々と腕を回して、グッと力強く抱き寄せた。
大勢の貴族の目の前で、殿下が自分の最愛の相棒であることを誇示するかのように。
「(っ……リリア、お前……)」
強引な私のリードに、今度は殿下の方が一瞬息を呑んだ。
「(……僕を守るナイトのつもりか? 生意気な女だ)」
「(ふふっ。殿下こそ、私の腕の中で大人しく守られていてくださいね。貴方の背中は、私が預かりましたから)」
憎まれ口を叩きながらも、殿下のアメジストの瞳が蕩けるように細められ、頬が微かに朱に染まったのを、私は見逃さなかった。
この、世界で一番恐ろしくて、美しくて、残酷な王子。
男たちを狂わせる傾国の悪魔が、今、自分だけのためにその力を行使し、自分の腕の中にすっぽりと収まっているのだ。
私にだけ心を許し、共にこの命懸けの戦場を歩んでくれている。
その事実が、力を漲らせた。
「おい、見ろ。第一王子殿下だ……」
その時。
広間の奥、一段高くなった玉座の近くで、ワイングラスを片手にこちらを睨み据える巨漢の姿があった。
第一王子、ヴォルフガング殿下。
彼の周囲には、第一王子派の重鎮たちが集まり、私たちを忌々しげに、そして獲物を狙う肉食獣のように見つめていた。
視線と視線が、空中で激突する。
ヴォルフガングの放つ、重圧のような殺意の特大プレッシャー。
だが、今の私に恐怖はない。
私は微塵も怯むことなく、絶対零度の瞳で狂王を真っ直ぐに見返した。
私は、腰に抱いた殿下の熱を感じながら、静かに息を吸い込んだ。
「さあ、いきましょうか、私のレディ」
「ええ。貴方のリードに、すべてお任せしますわ」
私たちは広間の中央へと進み出る。
周囲の貴族たちが海が割れるように道を開け、オーケストラの指揮者が、第三王子のために優雅なワルツのタクトを振り上げた。
熱狂と陰謀が渦巻く、血塗られた夜会の幕が、ついに切って落とされた。




