第14話 死の罠と絶頂の魔法剣。狂戦士、反撃開始
王立狩猟祭が開幕を告げる重々しい角笛の音が、王都の空気を震わせてから数刻。
陽の光すら分厚い葉群に遮られる鬱蒼とした『魔の森』の深部は、むせ返るような腐葉土の匂いと、正体不明の獣たちが発する微かな瘴気に満ちていた。
薄暗い獣道を、私、リリア(中身は侍女)は王子の狩猟服という名の重量装備に身を包み、慎重な足取りで進んでいた。
私の背後には、第一王子ヴォルフガング派が手配した四人の屈強な護衛騎士が音もなく付き従っている。
重いです……。ちょっと歩くだけで息が上がります。
ああ、毎日重い水桶を運んで鍛え上げた、私の本来の体が恋しい……!
一見すれば、王族を守るための厳重な陣形だ。
しかし、森のさらに奥へと足を踏み入れるにつれ、私の脳裏で危険を知らせる警鐘がガンガンと鳴り響き始めていた。
……おかしい。
風の向きが不自然に澱んでいます。
それに、この足跡……野生の魔獣の歩幅じゃない。
完全に統率の取れた、軍用魔獣のそれです。
誇り高き騎士爵家の娘として、幼い頃からお父様に叩き込まれた野営や索敵の経験値が、理屈よりも先に強烈な危険を告げていた。
さらに私を苛んでいたのは、股間に密着した『秘密の魔導下着』から絶え間なく送られてくる、微弱だが確かな快感の波だった。
布地が擦れるたびに、王子の敏感な先端が甘く痺れ、私の体力と精神力をゴリゴリと削っていく。
殿下のバカ! ド変態! こんなセクハラ呪い装備で森を歩かせるなんて、鬼畜の所業です!
ちょっと気を抜いたら、変な声が出そうになるじゃないですか!
だが、森の深部に入り、本物の死の気配を肌で感じたその瞬間、私の中の『騎士のスイッチ』が完全に切り替わった。
脳髄を溶かしかける羞恥心を、冷徹な生存本能が力ずくで上書きしていく。
研ぎ澄まされた五感が、森の奥に潜む巨大な魔獣の気配と、そして何より――すぐ背後にいる護衛たちが放つ、ねっとりとした「奇妙な殺気」を正確に捉えていた。
彼らの視線は、周囲の警戒ではなく、私の無防備な背中にのみ集中している。
やっぱり!
殿下の想定どおりですね!
私は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
一切の感情を排して四人の男たちを射抜く。
「……お前たち。なぜ、剣の柄に手をかけている?」
静寂が落ちた。
護衛の男たちは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに酷薄な笑みを浮かべ、あからさまな舌打ちを響かせた。
「……気づくのが遅すぎますよ、殿下。狩られる側のくせに」
バンッ!!
男の一人が懐から黒光りする魔石を取り出し、力任せに地面に叩きつけた。
瞬間、砕けた魔石から血のように赤い光が爆発的に広がり、私を中心とした半径十メートルほどをドーム状に包み込んだ。
外界の音と空気を完全に遮断し、転移も封じる『隔離結界』。
「なっ!?」
私が結界の中に閉じ込められたのを確認すると、四人の男たちは素早く結界の外側へと跳び退いた。
「悪いことは言いません。第一王子殿下に逆らった己の不運を呪って、そこで大人しく餌になってください」
護衛――いや、暗殺者たちの言葉が終わるか終わらないかのうちに。
ズシン……、ズシン……!!
大地を揺るがす地響きと共に、巨大な樹木がへし折られ、結界の奥の茂みから「それ」が姿を現した。
体長五メートルを優に超える、漆黒の剛毛に覆われた四つ足の巨大魔獣――『シャドウ・グリズリー』。
嘘でしょ!?
あれは森の最深部のヌシじゃないですか!
本来ならば、熟練の騎士団が小隊規模で討伐にあたるはずの高ランク魔獣である。
血走った双眸が、結界の中に一人残された私をねっとりと見下ろした。
「さあ殿下! 見苦しく逃げ惑ってくださいよ!」
「虚弱な引きこもり王子が、剣一本でグリズリーに勝てるわけがない。大人しく餌になりな!」
結界の外から、暗殺者たちの下劣な嘲笑が響く。
彼らの言う通りだった。
私が腰から引き抜いた長剣は、本来なら片手で軽々と振れる標準的なものだ。
しかし、この王子のひ弱な細腕では、両手で必死に構えるだけでも筋肉が軋みを上げ、手首が悲鳴を上げている。
スライム以下のこの脆弱な筋力で、あんな鋼鉄の毛皮を斬り裂けるわけがない……!
「グルルォォォォォォォッ!!」
グリズリーが、丸太のような前脚を高く振り上げた。
一撃でも喰らえば、王子の体など文字通り飴細工のように木っ端微塵に砕け散る。
死の恐怖が私の視界を暗く染めかけた、その瞬間。
『――下がるな、リリア! 前に出ろ!!』
耳元のピアスから、ギルバート殿下の鋭い怒声が弾けた。
「(で、殿下! )」
『魔法は僕が遠隔する! 君はただ、敵に向かって剣を振るえ!』
殿下の声が、かつてなく切羽詰まった熱を帯びている。
離れた場所にいる殿下も、ソウル・シンクロを通じてこの絶望的な死の気配を共有しているのだ。
同時に。
「あァッ!?」
私の股間を覆っていた『秘密の魔導下着』が、突然、発狂したかのような暴力的な振動を始めた。
ひ、ひぃぃっ!? 出力がおかしいです!
限界突破してます!)
今までの「微弱な快感」など、まるで児戯に等しい。
殿下が意図的に出力を限界まで引き上げたのか、魔導繊維が凶悪な意志を持ったスライム触手のように蠢き、王子の最も敏感な部分を激しく、そして容赦なく蹂躙し始めた。
『言ったはずだ、僕の魔法のパスを全開にするには、極限の「快楽」が必要だと! さあ、僕の魔力を受け取れ!!』
「ひ、ぃあぁッ! だめ、無理、強すぎ……っ、おかしくなっ、あぁぁぁぁぁッ!!」
私の口から、隠しきれない艶やかな声が森に響き渡った。
王子の端正な顔立ちが、凄まじい魔力の波によって瞬時に真っ赤に染まり、瞳孔は大きく見開かれ、だらしなく開いた口元からは熱い吐息と共に銀色の涎がこぼれ落ちる。
お父様、お母様、ごめんなさい!
娘の純潔な尊厳が今、完全に致命傷を負いました!
だが、その強烈な快楽のエネルギーを代償として。
私の構える長剣の刀身に、殿下の底知れぬ黒魔術が、ドス黒い炎のうねりとなって凄まじい勢いで纏わりついた。
……ッ!!
お父様が、言ってました!
恐怖も痛みも、すべてを怒りに変えろと!
腰がガクガクと震え、脳髄が白く焼き切れそうになる中で、私の『騎士の魂』だけは決して折れなかった。
この果てしなく恥辱的な快楽すらも!
私の力に変えてみせます!!
「どんな絶望の中でも……前へッ!!」
私は、絶頂による全身の痙攣すらもバネにして、泥まみれの地面を力強く蹴った。
王子の細い体が、矢のような速度で、巨大なグリズリーの懐へと飛び込む。
「あ、はぁッ、んあぁッ!!」
艶めかしい声を上げながら、私は両手で握った黒炎の長剣を、振り下ろされようとしていたグリズリーの前脚に向かって、ただ触れさせるように振り抜いた。
筋力など、一切必要なかった。
――ドゴォォォォォォォォンッ!!
剣が魔獣の肉体に触れた瞬間、殿下によって極限まで圧縮された黒魔術が大爆発を起こした。
漆黒の業火が吹き荒れ、巨大なグリズリーの前脚が、まるで爆竹を詰め込まれた風船のように、一瞬にして粉微塵に吹き飛ぶ。
「ギャァァァァァァォォォッ!?」
「「「な、なんだと!?」」」
結界の外にいた暗殺者たちの下劣な嘲笑が、完全に凍りついた。
恥ずかしい!
穴があったら潜りたい!
でも、止まったら死にます!
「あ、あぁぁ……っ、殿下、これ、すごい、けど……っ、腰が、抜けちゃいそうですぅ……っ」
『休むなリリア! 雑魚どもが来るぞ、すべて叩き斬れ!!』
殿下のドSな指示と共に、魔導下着の振動がさらに不規則で暴力的なリズムを刻み始める。
「ひゃんッ! あ、ぃく、また、あーーーーッ!!」
私は涙目になりながら、自らの意思とは無関係に股間から溢れ出る魔力の熱さと、連続する魔力の波に完全に身を委ねた。
だが、その動きは完全に狂戦士そのものだった。
ああ、もうどうにでもなれ! 恥ずかしさの限界突破です!
この快感も、全部あいつらにぶつけてやる!
過剰な快楽によってリミッターが外れ、痛覚が麻痺した王子の体は、本来持つポテンシャル以上の俊敏さを発揮し始めた。
「ひぃぃっ! 化け物だ!」
「変態だ! アヘ顔で笑いながら斬りかかってくるぞ!?」
「来るな、こっちに来るなァァァッ!!」
変態じゃないです!
私は被害者ですぅぅっ!
恐怖に顔を引き攣らせ、結界を解除して逃げようとした暗殺者たちに、私が獣のような速度で肉薄する。
剣が触れる。
その度に、黒炎が爆発する。
「あァッ」「んッ、ふぁッ」という背徳的な声と、肉片が吹き飛ぶ凄惨な爆発音が、森の奥深くで異様な交響曲を奏でていた。
だが。
血の海に沈む暗殺者たちを見下ろし、私が荒い息を吐きながら膝をついた、その時だった。
「……グルルルルォォォ……ッ」
背後から、低く地を這うような、呪詛に満ちた唸り声が響いた。
私が絶望と共に振り返ると、そこには、先ほど前脚を吹き飛ばしたはずのシャドウ・グリズリーが、再び立ち上がっていた。
いや、ただ立ち上がったのではない。
失われたはずの前脚の断面から、どす黒い瘴気が間欠泉のように吹き出し、蠢く肉塊となって新たな異形の腕を形成していたのだ。
「嘘でしょ……」
巨大化し、理性を失って完全に異形と化したグリズリーが、血走った目で私を見下ろす。
今度こそ、逃げ場はない。
しかも、急激な魔力消費の反動か、あれだけ荒ぶっていた下着からの魔力供給もプツリと途切れてしまっていた。
魔力切れ……!?
『リリアッ!!』
殿下の、かつて聞いたこともないほど悲痛な叫びが、耳元のピアスから響いた。
すべてが終わる。誰もがそう確信した死の直前。
しかし、私の心は、不思議なほど静まり返っていた。
私は、力なく垂れ下がっていた剣を、ゆったりと顔の高さに構え直した。
お父様が、言ってました……!
『リリア。恐れを抱くのは恥ではない。だが、恐れに飲まれて剣を落とすことは、騎士の恥だ。絶望の中でも、前を見ろ』
お父様。……これが、貴方の遺した剣です。見ていてください。
極限まで力を抜いた、自然体の構え。
それは、圧倒的な力を持つ魔獣や剛剣使いに対抗するため、父から徹底的に叩き込まれた「柔の剣」の型だった。
恐怖を捨て去り、呼吸を整える。賢者のように研ぎ澄まされた精神。
魔法は使えません。
でも、これ以上殿下に負荷をかけるわけにはいきません。
……ここからは、騎士の娘としての意地です!
「ガァァァァァァァッ!!」
狂化したグリズリーが、渾身の力で異形の巨腕を振り下ろしてきた。
大気を引き裂く暴風が私を包む。
私は、その圧倒的な質量から逃げなかった。
直撃する寸前、私は王子の体を風のようになびかせ、わずかに半歩だけ斜め前へと踏み込んだ。
魔獣の放つ凄まじい破壊力。
そのベクトルの軌道に、自身の剣を滑り込ませる。
斬るんじゃない。
力を……流す!
相手の突進する巨大なエネルギーを、刀身を伝わせてそのまま「受け流し」、力の逃げ道を足元へと誘導する!
いっけぇぇぇぇぇっ!!
ドグシャァァァァァァァンッ!!!
グリズリーは、自身の全霊の攻撃の力をそのまま大地に叩きつけられる形となり、巨大な体躯が前方のめりに大転倒した。
そのすさまじい自重と突進力により、魔獣の首は無防備に捻じ曲がり、太い骨が砕ける致命的な音が森に響き渡った。
静寂が戻った。
巨獣は白目を剥き、二度と動くことはなかった。
『……は?』
ピアスの向こうで、殿下が完全に唖然として言葉を失っているのが伝わってくる。
魔術の補助もなしに、王子の脆弱な体だけで、高ランクの狂化魔獣の突進を物理で無力化したのだ。
「ふぅ……っ、はぁっ、はぁっ……」
私は剣を杖代わりにして立ち尽くし、全身から滝のような汗を流しながら、空を仰いだ。
……やりました。私、やりましたよお父様。
そして、泥と汗にまみれた顔に、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「はぁ、はぁ……どうですか、私の剣は。……殿下も、驚いてばかりいないで、作戦、ちゃんと遂行してくださいよね」
息も絶え絶えの、しかし誇り高き軽口。
『……っ、ふ、ふふっ。あはははははっ!ああ、まったく……君というやつは……』
しばらくの沈黙の後、ピアス越しに殿下の心底楽しげな、そしてどこか熱を帯びた笑い声が響いた。
『ああ、任せておけ、僕の無茶苦茶な王子様。君の作った道は、僕が最高のエスコートで切り開いてやる』
私の心臓は、恐怖ではなく、今まで感じたことのない高揚感でドクドクと脈打っていた。




