幕間 傾国の魔女の身支度。あるいは、愛しき共犯者への返答
【視点:ギルバート】
昨夜の、魂の最深部までドロドロに溶け合うような濃密な解毒と、死線を前にした決意の交歓。
その極上の余韻がまだ微かに残る、王宮の北の塔・最上階、開かずの間。
夜明け前の薄暗い部屋の中で、僕――ギルバート(体は侍女)は、上機嫌に鼻歌を歌いながらインベントリの整理を進めていた。
豪奢なマホガニーの机の上には、王宮の宝物庫から勝手に持ち出した国宝級の魔導具や、希少な錬金術の素材、高純度の回復ポーションなどがズラリと並んでいる。
「愚かな兄上のことだ。学園の警備の目が行き届かない『魔の森』で、確実に僕の息の根を止めに来るだろう。……あの単細胞の脳筋が考えそうな罠など、おおよそ予測がつく」
僕は、致死毒の解毒剤や、広範囲の爆発を引き起こす魔法符を、次々と革のポーチに詰め込んでいく。
これはただの狩猟祭の準備ではない。
僕の可愛い『共犯者』に手を出そうとする愚兄に対する、徹底的な殲滅戦の準備だ。
自分の命(王子の体)を守るため。
……いや、違うな。
それは建前だ。
僕の手がふと止まる。
『私が行きます。殿下の体は、私が守ります』
昨夜、魂の魔力パスを通じて直接僕の脳髄に響いた、リリアの真っ直ぐで力強い声。
……馬鹿な女だ。
ただの下働きのくせに。
王族の暗殺計画に、真正面から突っ込むなど、正気の沙汰じゃない。
それを思い出すたび、長年分厚い氷で閉ざされていた僕の胸の奥深くに、甘く、そして焼け焦げるような心地よい熱が広がる。
「……ふふっ、あはははっ」
僕は部屋の隅にある巨大なアンティークの姿見の前に立ち、込み上げてくる笑いを堪えきれずに肩を揺らした。
鏡に映っていたのは、息を呑むほど妖艶な絶世の美女だった。
現在、僕が纏っているのは、黒いシルクと極薄のレースで設えられた、防御力ゼロ・扇情力MAXの淫らなネグリジェだ。
豊満な双丘は今にもこぼれ落ちそうで、引き締まった腰から太ももにかけての滑らかなラインが、透ける生地越しに生々しく強調されている。
本来の持ち主であるあのカタブツの筋肉脳が見たら、一瞬で恥辱のあまり、泡を吹いて即死するだろうな。
だが、これが『女の武器』というものだ。
僕は、鏡の中の自分(リリアの体)を見つめながら、胸の谷間にそっと指を這わせた。
幼い頃から、僕の周囲には敵しかいなかった。
いつ毒を盛られるか分からない恐怖。
誰にも期待されない絶望。
……だから僕は、誰にも触れられないように、何重にも結界を張って鍵をかけていたというのに。
彼女は『純粋な正義感』という名の無遠慮な力技で、僕の心の防壁をあっさりとぶち破って、土足で踏み込んできたのだ。
「……本当に、生意気で最高の盾だよ、君は」
僕の唇から、どこまでも甘く、どす黒い執着が入り混じった笑みがこぼれた。
それは、相手を見下す冷笑ではない。
僕の全てを懸けてもいいと思える、たった一人の存在に向けた狂気の微笑み。
彼女が全てを盾として僕を守るというのなら。
僕も、後衛から持てる全ての悪意と天才的な魔術的頭脳を総動員して、彼女を完全勝利へと導く。
……そして、その見返りとして、君の心も体も、骨の髄まで僕の快楽で染め上げてやる。
それこそが、最強の共犯者としての礼儀だからね。
さて、僕の可愛い王子様の晴れ舞台だ。
現地で密かに合流するには、どんな装備が相応しいかな。
僕は、鏡の中の自分(リリアの体)を見つめながら、傍らに用意した衣装の山を物色した。
「後衛として暗躍するには…」
楽しげに、王立学園の女子制服を手に取ってみる。
悪くないが、魔獣がうごめく森には不自然か。
目立ちすぎる。
次に、胸元が大きく開いた真紅のイブニングドレスを胸に当てる。
森のダンジョンを歩くには不便極まりない。
回避率がひどいな。
……やはり、これか。
最終的に僕が選んだのは、リリアが元々着ていた「メイド服」だった。
ただし、ただのメイド服ではない。
僕の至高の美意識と機能性によって、極限まで魔改造された一品だ。
スカートの丈は太ももの付け根ギリギリまで詰められ、動きやすさと扇情的な魅力を重視した特注のスリットが入っている。
胸元のボタンも、あえて二つほど外したままだ。
「僕の闇を払う、と……彼女はそう言った」
僕は、柔らかな唇をそっと手でなぞった。
「……ああ。なんて愛おしくて、恐ろしい女だろう」
だが、その時。
――トントン。
「……あの、リリア? 起きているのかしら?」
不意に、部屋の扉の向こうから、見回りの先輩侍女の声がした。
僕は僅かに眉をひそめる。
「ええ、起きていますよ。何かご用ですか?」
リリアの可憐な声帯を使って、少しだけ扉に近づき、猫撫で声で返事をする。
すると、扉の向こうの先輩侍女は、不自然なほど荒い息を吐き始めた。
「あっ……いや、用というほどの……はぁっ……なんだか、ここを通ると、すごくいい匂いがして……胸の奥が、ジンジンしてしまって……んっ……」
「おや」
同性であるはずの先輩侍女が、扉越しに僕の声を一言聞いただけで、熱に浮かされたように甘い声を出している……。
僕は自分の手のひらを見つめ、小さく舌打ちをした。
……少し、この極上ボディを『開発』しすぎたか。
度重なる僕との極限の感覚共有と、絶頂による魔力回路の強制拡張。
それに適応するため、リリアの肉体は魔術的な変異を起こし始めていた。
僕の魔力と彼女の生命力が混ざり合った結果とはいえ、今の彼女の体からは、ただ呼吸をするだけで、周囲の理性をドロドロに溶かし、老若男女問わず発情させてしまう『魅了』のフェロモンを周囲に撒き散らすようになってしまった。
まさに、国を傾ける魔性の体質。
このまま学園の野営地に行けば、無用な虫どもが群がってきて邪魔だな。
……それに、何より腹立たしい。
僕は、鏡の中の淫らな自分を指先でなぞった。
この極上の体は、僕と……そして、この体の本来の持ち主だけが味わえばいいものだ。
他の雑魚どもに、僕のリリアの匂いを嗅がせることすら反吐が出る。
僕は机の引き出しを開け、底にしまってあったある物を取り出した。
それは、リリアが本来かけていた、度の入っていない地味で分厚い伊達眼鏡だ。
ただの変装用だったその眼鏡に、僕は強力な『認識阻害』と『魔力隠蔽』の術式を編み込んでいた。
スッ……と、僕はその眼鏡を顔にかけなおす。
瞬間、部屋に充満していた甘い魅了の香りが、嘘のようにピタリと収まった。
鏡に映る姿も、妖艶な傾国の美女から、どこか地味で目立たない「ただの真面目なメイド」へと印象が強制的に切り替わる。
「大丈夫ですか? お疲れのようですね」
「あ……ええ、ごめんなさい、ちょっと立ち眩みがしただけよ。夜更かししないでね、リリア」
「はい。お休みなさいませ」
扉の向こうの侍女は、状態異常から回復し、正気を取り戻したように去っていった。
「よし。これで完璧だ」
認識阻害の眼鏡の位置を中指でクイッと押し上げ、僕は準備した荷物と、そして『秘密の魔導下着』が入った特製の木箱を手に取った。
「待っていろよ、僕の可愛い王子様。……極上のバフとサポートを届けてあげるからね」
開かずの間の窓から、音もなく王都の夜闇へと溶け込んでいく。
目指すは、愛しき半身が待つ魔の森。
誰一人として、君には指一本触れさせない。
君を絶望させ、君を悦ばせ、君を支配するのは……この僕だけだ。




