努力の対価、約束の代償 5
コツ、コツ、と床を打つ音が聞こえている。
腕の中にある温もりと、わずかに感じる光。ぼんやりと目を開けば、赤い髪のうなじが見えた。すぐに、フリーダにおんぶされているのだと理解する。
「……そこはお姫様抱っこでしょ?」
「その役目はアルベルト陛下にお譲りいたします。……と、お目覚めになったのですね。そのような軽口を叩けると言うことは、少しは回復したのでしょうか?」
「ええ、少し寝たらすっきりしたわ。どれくらい眠っていた?」
「五分くらいですよ」
フリーダは私の容態を確認した結果、問題はないと判断して六芒殿から運び出したそうだ。
「じゃあ、広場に向かって。スタンピードが収まれば、そこに報告が来るはずだから」
「そう思って、向かっているところです」
「さすが、出来る侍女ね」
私はくすりと笑い、「ありがとう、もう大丈夫よ」と彼女の背中から降り立った。
「本当によろしいのですか? お疲れなら、広場までお運びしますが」
「魅力的な言葉だけど、ダメよ。私がそんなふうだと、兵士が不安がるでしょ」
「ノエル皇妃殿下、そこまでお考えになって……分かりました。もうなにも申しません」
こうして、私たちは中庭へと戻った。
怪我人はさきほどより増えており、懸命な治療が続けられている。だが、そこにルートヴィヒや、フリーダが連れてきた部隊の姿が見えない。
「ルートヴィヒは討伐部隊で出撃中だそうです。近くで孤立していた部隊の救援をおこなっているそうなので、それが終わり次第帰還すると思います」
「なら、戻るのを待ちましょうか」
私はそう言って木陰に腰を下ろす。
だが、フリーダは座らず、私の隣に立ったまま控える。
「ノエル皇妃殿下、食事かなにかをお持ちしましょうか?」
「いいえ、大丈夫よ」
それよりも眠いと目を擦れば、フリーダは「部屋で寝てもかまいませんよ」と苦笑した。
実際、いまの私に出来ることはない。けど、この結末を見届けなければ安心して眠れない。そんな想いを口にすると、彼女は「ではせめて、目を瞑って休んでください」と隣に腰掛けた。
肩を貸してくれるってことで、いいのかしら?
「少し、借りるわね」
私はフリーダに寄り掛かって目を瞑る。
だけど、寝ようとしたら眠れなくなった。
「ねぇフリーダ。浄化の効果が出るまで、どの程度の時間が掛かるかしら?」
「スタンピードが終わったからといって、魔物の凶暴性が失われるわけではありません。ですが、領都に向かっていた魔物の行動は変わっているはずです」
「……なら、もうすぐ状況が変化するわね」
そんな話をしながらウトウトしていると、広場の入り口の方から歓声が上がった。
私はハッと目を開き、フリーダに視線を向ける。
「少しお待ちください。……あぁ、声が聞こえて来ますね。どうやら、ルートヴィヒの部隊が帰還したようです。魔物が撤退したという声も聞こえて来ますね」
「……上手くいった、と言うことね」
よかったと、心の底から安堵する。
広場にいた者たちの顔も一斉に明るくなった。
ほどなく、ルートヴィヒを先頭にした一団が見えるようになった。そこには、フリーダが連れてきた、ライオットやカイ、クリスティアの姿もある。
「救助が間に合ったそうだぞ!」
「フリーダ様がお連れになった援軍のおかげだそうだ!」
そこかしこでそんな声が聞こえてくる。
「よかったですね、ノエル皇妃殿下」
「ええ。がんばった甲斐があったわね」
よかったと安堵の息を吐く。
次の瞬間、大きな歓声が上がった。
「ルートヴィヒ様、ばんざーい!」
「フリーダ様、ばんざーい!」
「騎士団と聖女様にも感謝をーっ!」
感謝の声が降り注ぐ。
まるで演劇のフィナーレのような光景。
私は、それを舞台袖から眺める脇役の一人。
「……フリーダ、スタンピードの沈静化は確認できたわ。ルートヴィヒもやることが多いでしょうから、報告は後にしましょう」
「ですが、ノエル皇妃殿下。それでよろしいのですか……?」
あの輪の中に飛び込めば私もスポットライトを浴びることが出来る。だけど……
「いいのよ」
「ですが、認められたいのでしょう?」
「そうね。でも……ここで功績を誇ったら、なんだか自作自演みたいじゃない?」
それはちょっと嫌だ。
「なにより、貴女のように分かってくれる人もいるのだから、今回はそれで十分よ」
私は立ち上がり、客間を借りるために城へ向かう。だが、広場を歩いていると、私を呼ぶ声が響いた。振り返ると、駆け寄ってくるルートヴィヒの姿が目に入る。
「ルートヴィヒ、どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ。あんたが六芒殿を浄化したのか?」
「そうだけど……まさか、信じないと言うつもり?」
さすがにそんなことを言われたらショックだ。
「いや違う、疑ってない。純粋に驚いただけだ」
それはつまり、信じてなかったってことよね?
やっぱり、少し寂しいなと思った。けれど、そんなわだかまりも次の瞬間には消し飛んだ。
ルートヴィヒが皆の見ているまえで片膝を突き、私に向かって臣下の礼を執ったからだ。
「貴女のおかげで多くの命が救われました。亡くなった者もおりますが、その亡骸を連れ帰ることも出来ました。このご恩は一生忘れません」
「いえ、私は……」
「また、数々の無礼についても謝罪いたします。貴女の実力は本物でした。疑ったこと、大変申し訳ありませんでした」
あれだけ私を嫌っていたルートヴィヒが謝罪をして、私の働きを認めてくれた。
頑張ってよかった。
胸が熱くなり、不覚にも泣きそうになる。直後、背後から「パパ!」と叫ぶ女の子の声が聞こえた。
振り返ると、担架に乗せられた兵士にすがりつく、アンナの姿が見えた。
『亡くなった者もおりますが、その亡骸を持ち帰ることも出来ました』
ルートヴィヒの言葉を思い出す。
「……あぁ、やっぱり、慣れないなぁ」
私はがんばった。
その対価は得られたと思う。
でも、本当に護りたかったものには届かなかった。それが悔しくて仕方ない。
「……なにが、慣れないのですか?」
ルートヴィヒは怪訝な顔で、私の背後に視線を向けている。でも、私は胸が苦しくて振り返れない。
「さっき、あの子と少し話したの。殿になった兵士の娘だと言ってたわ。でも彼女は、父が無事に帰って、誕生日を祝ってくれると信じていて……」
「……そうでしたか。殿を務めた者たちの多くが帰らぬ人となりましたが、おかげで多くの民を救うことが出来ました。あの娘も誇らしく思うでしょう」
ぐっと拳を握る。
「そう、かもね。でも、彼女はきっと、無事に帰って来ることを願っていたはずよ」
「でしょうね。だからよかった。あの様子なら、誕生日はきっと盛大に祝うでしょう」
「……え? なにを――っ」
まさかと振り返る。アンナは変わらず、担架に乗せられた兵士にすがりついている。
そのアンナの手を、兵士が握り返していた。
「……生きて、いた?」
「魔物が早々に撤退を開始したおかげで、孤立する部隊の救出に間に合ったんです。あの兵士も、そのときに救えた者の一人です。あれは――貴女の功績です、ノエル皇妃殿下」
「……私の?」
ルートヴィヒが力強く頷く。
誰かが、「ノエル皇妃殿下ばんざーい」と叫んだ。その声は波紋のように広がっていく。
降り注ぐ感謝の言葉。
いつも悲しい結末ばかり見てきたけれど、今回は救えた命もあった。それを実感する。
「頑張ってよかった……っ」
口元を手で覆いながら、私は静かに涙を流した。




