努力の対価、約束の代償 6
翌日は、昼から戦勝パーティーがおこなわれることが決定した。だけどそれより少し早く、準備をしていた私のもとに、ルートヴィヒが訪ねてきた。
私は着替え中だったので、フリーダが対応してくれる。
「ノエル皇妃殿下はまだご準備中です」
出直せと言いたげなフリーダの声が、半開きの扉の向こうから聞こえてくる。とはいえ、相手はこの城の主。領主を相手にそうもいかないだろうとドレスに袖を通していると――
「お疲れならば急かすつもりはない。ただ、パーティーの前に少し時間を取って欲しい」
彼の殊勝な声が聞こえて来た。
「フリーダ、すぐに用意をすると伝えて」
かしこまりましたと、フリーダの声が聞こえる。
「ルートヴィヒ、ノエル皇妃殿下はすぐに用意なさるとのことです」
「そうか。ではすまないが、この場で待たせていただこう」
これは急ぎみたいね。
私は急いで身だしなみを整えた。そうして部屋を出ると、彼がなにをしに来たのかすぐにわかった。
彼の横に、拘束されたイルマの姿があったからだ。
「彼女がなにをしたか聞きました。俺の監督不行き届きです」
ルートヴィヒは深く頭を下げる。
「えっと……ルートヴィヒは、彼女が被害を受けた聖女の姉だと知っていたのよね?」
「ええ。貴女に敵意を抱いているのは知っていました。ですが、まさかあのような状況で貴女に危害を及ぼそうとするとは思いもよりませんでした。申し訳ありません」
知っていたら、私の案内役は任せなかったと。
恐らく本当のことだ。
少なくとも、ルートヴィヒは私情よりも国益を選んだ。部下もそうだと信じていたのだろう。
「謝罪は受け入れるわ。それ以上は気にしないで」
「温情に感謝いたします」
彼は頭を上げ、それからイルマに視線を向ける。
「それで、彼女の処遇はどういたしましょう?」
どうって、私に聞いているの?
「彼女は任務中に護送対象を殺そうとしました。それは即刻処刑になるほどの罪です。ですが、貴女が反対していると聞いたので」
「……そう」
私の返答次第で彼女の命運が決まるってことね。
拘束されたイルマは憔悴しているが、不服そうには見えない。運命を受け入れているようにも見える。
そんな彼女を見て、私は一つの結論に至った。
「なら、命は取らないであげて」
ルートヴィヒは少し意外そうな顔をした。背後にいたフリーダも、「温すぎます、ノエル皇妃殿下。彼女は重罪を犯したのですよ」と苦言を呈する。
「そうね。でも、彼女は本当に私を殺そうとしたのかしら?」
あのときのことを思い出す。
イルマは剣を抜いたけれど、私に斬りかかろうとすらしなかった。憎しみは感じても、殺意は感じなかった。
「私を脅して、その罪を自覚させただけ、なんじゃないの?」
「……だとしても、私が命令を破り、貴女に危害を及ぼそうとした事実は変わりません」
私を見るイルマの瞳は綺麗だった。
なのに、殺意の有無についてははぐらかした。
それこそが、答えのようなものね。
やっぱり彼女を殺すのはなしよ。
「正直、私が嫌なのよ。発端は私の兄でしょう? その兄が責任を果たしていないのに、貴女だけ罰するのは不公平じゃない? それに……」
イルマの妹である聖女は、私の兄に弄ばれ、そのショックで聖力を使えなくなった。
そのうえ、私に姉のイルマまで奪われる――なんて悲しみを背負わせたくない。
怨まれるのだって嫌だ。
たとえそれが、どのような理由だったとしても。
「とにかく、命は奪わないで」
私がそう訴えると、ルートヴィヒは小さく息を吐いた。
「ノエル皇妃殿下がそこまでおっしゃるのなら、従いましょう。フリーダもそれでいいか?」
「正直不満もあるが、ノエル皇妃殿下のご判断なら従います」
「そうか。ならばイルマよ。そなたは騎士の地位を剥奪とする。兵士として、一からやりなおせ」
「……かしこまりました。ノエル皇妃殿下の温情に、感謝いたします」
イルマは泣き崩れた。
こうして、彼女の拘束が解かれた直後、廊下の向こうから、「お姉ちゃん!」という声と共に女性が飛び出してきた。それを見たイルマが、「アマリア、どうしてここに!?」と声を上げる。
イルマをお姉ちゃんと呼ぶ女性。
つまり、彼女が兄に弄ばれた聖女ね。
青み掛かった黒髪の、どこか儚げな美少女。なるほど、兄が好きそうな見た目をしている。その彼女――アマリアが、私を見るなり深々と頭を下げた。
「あの、お姉ちゃんを許してくれてありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、兄が大変失礼いたしました」
頭を下げ返すと、アマリアはふるふると首を横に振った。
「お姉ちゃんから聞きました。貴女も被害者だったと。それに、私も馬鹿だったんです。あんな上っ面だけの男に騙されて、不用意にあんな誓いをしてしまって。聖力を使えなくなったのも自業自得です」
って、待って。ちょっと待って。
誓いをしたから、聖力を使えなくなった? ショックで使えなくなった訳じゃなかったの?
「まさか……聖女の誓いをしたの?」
「……はい」
「――なんだと、私は聞いていないぞ!?」
イルマが声を荒らげる。
聖女の誓いというのは、聖女が聖力を使って女神に誓いを立てる契約魔術。個人で誓いを立てる場合もあれば、誰かと約束を交わす場合もあるが、どちらにせよ強い強制力が働く。
女神に立てた誓いを破ったのなら、聖力を扱えなくなる可能性も十分にある。
「アマリア、なにがあったのか話してくれ!」
イルマが詰め寄ると、アマリアは視線を彷徨わせる。
けれど意を決したのか、グッと顔を上げた。
「王太子に愛を囁かれたとき、アシュタルのためにだけ聖力を使うと誓ったの」
女神への誓いは絶対だ。
アシュタルのためにだけ聖力を使うと言ったのなら、それ以外のためには聖力が使えなくて当然である。なぜそんな誓いを……と、私は思わず天を仰いだ。
イルマたちも似たような反応である。
だが、アマリアは「それだけじゃなくて……」と口にした。
「まだあるのか!?」
イルマが目を見張り、アマリアは申し訳なさそうに目を伏せる。
「あの男は、私だけを愛すると誓ってくださったんです」
「……は?」
私か、あるいはそれ以外の誰かか、とにかくそんな声が零れた。それくらい、あり得ない話だった。
「兄が、そんな誓いを立てたの?」
「はい。だから私も、あの男を信用したんです」
それは……まあ、そうだろう。
聖女の誓いは絶対だ。破れば女神の罰が下る。その聖女の誓いで嘘を吐くなんて思うはずがない。
だとすれば、アマリアの誓いも非常識とは言えない。
むしろ非常識なのは……
「あの愚かな兄は、なにを思ってそんな約束をしたのかしら?」
「いま思えば、あの男は聖女の誓いの意味を理解していなかったのかもしれません」
「そんなこと、あるはず……いえ、あの兄だものね」
あり得ない、とは言い切れない。と、そこまで考えたとき、私はある事実に気付いた。
「待って。貴女はその誓いで、聖力を使えなくなったのよね? じゃあ……兄は?」
アシュタルのためだけに聖力を使うと誓ったから、アマリアは聖力を使えなくなった。
なら、アマリアだけを愛すると誓った兄は……?
そんな疑問を抱いて周囲を見回すと、フリーダとルートヴィヒがふっと視線を逸らした。続けて目が合ったアマリアも顔を伏せる。
私はイルマに、「どう思う?」と問い掛けた。
「それは、その……恐らく、ですが」
「ええ、それでかまわないから教えて」
「他の方が相手では、後継者を望めない身体になったのでは、と」
「ああ……あれが使い物にならなくなったのね」
フリーダが大きく咳払いをした。
私の発言は、皇妃にあるまじき言葉だったようだ。
「ごめんなさい。でも、腑に落ちることがあったのよ」
「腑に落ちること……ですか?」
フリーダは警戒する素振りを見せた。
「私が出立するまでの一ヶ月、兄はかつてないほど不機嫌だったの。講和が頓挫したからだと思っていたけど、そっか、欲求不満だったのね」
「――ノエル皇妃殿下!」
「はい、ごめんなさい」
すごい剣幕だったので口を閉じる。
その横で、ルートヴィヒが豪快に笑い始めた。
「くくくっ、これは最高だ。我が領地の聖女を傷付けた罪、いつか償わせようと思っていたが、そうか、既に女神より罰が与えられていたか!」
ルートヴィヒ、嬉しそうね。
まぁそうよね。お詫びの品一つで逃げた兄に、これでもかと女神の罰が下っていたのだから。
「ちなみにアマリアは兄とよりを戻す気はある? たとえば、そうね。兄が土下座した場合とか」
「よりを戻す気はありません。次は見た目じゃなくて、心根が素敵な人を見つけてみせます」
「いいわね」
なら、兄はもはや、誰とも結ばれることが出来ない。女癖の悪い彼にとっては最大の罰と言えるだろう。それに、子を成せないのなら、王太子としては大きな弱みとなる。
それ以前、あのイライラがいまも続いているのなら、失脚もそう遠い話ではないだろう。
なら、あとはアマリアが聖力を使えないことだけね。それについては……そうね。
なんとか出来るかもしれない。
「私は兄の身代わりにされた。それを止めてくれなかった父にも不満を抱いているわ。その復讐は果たすつもり。でも……」
思い出すのは見送りに来てくれた仲間たち。
そして感謝の言葉を伝えてくれた民や、感謝をする者がいるのだと教えてくれた者たち。
「アシュタルには、私の大切な人たちがいるの。だから私は、アシュタル国を救いたいと思っているの。だから――私の下で働かない?」
アマリアに手を差し伸べる。その手を見たアマリアが、キョトンとした顔になる。
「……それは、使用人として、ですか?」
「いいえ、聖女としてよ」
ルートヴィヒが「それは……」と割って入ろうとする。それをフリーダが止めた。
それを横目に、「どうかしら?」と言葉を重ねる。
「でも、私は聖力が……」
「私を信じなさい」
「ノエル皇妃殿下を、ですか?」
不思議そうに私を見上げてくる。
私はアマリアの背後へと回り込み、彼女の肩を掴んで耳元に顔を寄せた。
「私を信じ、女神に祈りなさい。そうすれば聖力が使えるから」
「ノエル皇妃殿下を信じ、女神に祈る……」
アマリアは小さくうなずき、手をゆっくりと虚空に伸ばした。その指先に――淡い光が宿った。聖力を感じさせるその光は、間違いなくアマリアの聖力だ。
「嘘、どうして……」
思った通りだ。正面に回り込むと、彼女は信じられないと言いたげに唇を震わせていた。
「さすがノエル皇妃殿下」
「まさか、このような奇跡が……王妃殿下は何者なんだ?」
フリーダとルートヴィヒの声が聞こえてくる。私の正体を知る者と、そうでない者の反応の差が面白い。
「アマリア! 力が戻ったんだな!?」
感極まったイルマがアマリアに抱きついた。
「……うん、そう、みたい?」
「そうか、本当によかった!」
イルマは涙を流した。
だが、当の本人は、嬉しさより困惑が勝っているようだった。アマリアは信じられないと唇を震わせて、その答えを求めて私に視線を向けた。
「いままで、一度だって発動しなかったのに。……なにをなさったんですか?」
「簡単なことよ。貴女はアシュタルのためだけに聖力を使うと誓った。だから、アシュタルのためになる役目を与えた。私がしたのはそれだけよ」
アシュタルをよくしたいと話したのはそのためだ。
アマリアはその話を信じた。
だから、アシュタルをよくしたい私に協力する、という名目で力を使えるようになった。
「そんな、ことで……?」
「そうね。でも、言うほど簡単なことではないわよ。貴女が私に共感しなければ、あるいは私の言葉を信じなければ、女神様は貴女を認めなかったでしょうから」
だからこれは、アマリアの純真さがもたらした奇跡。それを伝えると、アマリアはくしゃりと顔を歪ませる。
「ノエル皇妃殿下、このご恩は一生忘れません。どうか、あなたにお仕えさせてください」
「ええ、席を用意して待っているわ」
準備をしてから来なさいと笑う。
アマリアは堪えきれなくなったかのように口元を手で覆い、止めどなく涙を流した。




